プロフィール

プロフィール

 ぼくは1954年、神戸市長田区の長屋に生まれた。5歳のとき、父の早世で、街中を彷徨することを常とする。今から思うと、都市をゆりかごとして暮してきたような気がする。伝統的な民俗学よりも、職人や都市の暮らしの多様なテーマをさ迷い、28歳で歴史民俗学実証主義の研究会を追放される。さらに、鍛冶研究をすすめても、実際に鉄を扱うことのできる民具研究者(某大元学長のA先生)を前に身をすくめ、方向を失う。結局、自分の生まれた下町長屋しか、内省的民俗学のテーマがないところまで追い詰められ、34歳で河原の場が都市的なる場になることの意味を博士論文のテーマと決めた(『河原町の民俗地理論』)。ところが40歳で、阪神大震災に遭遇、ニュータウンに住む己の平和な現状と、下町の惨状をみるとき、忸怩たる思いで、市民まちづくりによりそうような民俗学と思った(岩波ジュニア新書『神戸―震災を越えてきた街ガイド』)。とくに、地蔵コミュニティについて関心を持った。

 これは、従来私がすすめてきたジェンダー研究、夜這いや水子、若者研究の延長でもあり、現在は親子劇場を事例とした子育てコミュニティのあり方や、高齢者福祉と子育て支援との連動、それに関連したエココミュニティ交通のあり方にも関心をもっている。


フィールドワーク遍歴

 ゲートルを足に巻いて、日本全国を歩いた宮本常一にあこがれ、学生時代から歩き回る。学部では滋賀県で山の神の調査をした。山越えで村に行き、露天風呂で野宿したことも。大学院では、沖縄の鍛冶文化を求めて、南西諸島を歩き回った。しかし、結局、鉄をうてない文科系の弱さ・職人の技術講釈に圧倒され挫折。生まれ育った都市を研究するしか仕方がなかった。一方で各地の河原町(盛り場を多く含む)を、趣味の温泉とともに歩き回った。<受話器の前でつれあい曰く。「主人は仕事で遊びにいってます」> また、天草や人吉など熊本の語りに魅せられていった(『夜這いと近代買春』)。震災以後、旅人としてのフィールドではなく、自分の生まれ育った都市や,その下町の視点から、都市を問い直す、とくに子育てできる町、豊かに老う町を考えている。町と個人生活、外と内、公と私が融合するような暮らし、コレクティブタウンを妄想し、暮らしの意識変化(世相変化)から(民俗学的に)考えようとしている。

 とくに、都市を災害の記憶との関連でとらえようとする私にとって、阪神大震災・大水害・大空襲の記憶、関東大震災・東京大空襲の記憶と、伝承化する市民活動のモノグラフを、民俗誌として記述したいと考える。

 ところが、フィールドと生きる場が同じということは、距離のとりかたが難しい。目先の利益を考える一部の商店街や、ことなかれを尊重する一部の役人には、この種の役に立たない(法や技術などのロゴスによるモノローグ構築能力がない)、しかも厳しい視点を提示する民俗学者は「けむたい」のである。一方『性と子育ての民俗学』では、自分の生き方・子育てそのものも俎上にあげてしまっている。最近は、自分が建てた家を「現代の民家」といって、破廉恥にも学術論文の素材にした。

 これでいいのかどうか、もういちど、距離をおいたフィールドを再構築するのが、今の課題であり、民俗学的パトス(感情や会話のダイアローグ)をプログラム化する作法をもちたいと考えている。

 そういう意味で、博士号を取得したかった。故宮田登先生に相談したのが1994年、その後震災があって遅れ、やっと提出できたのが、1999年である。しかし、宮田先生は2000年2月に突然逝去され、神奈川大学に提出していた論文を遠慮申し上げた。2001年、名古屋大学大学院比較人文講座に内地留学を許され、和崎春日先生もとで、多くの若い学生さんらと修行する。2002年に明石書店から『河原町の歴史と都市民俗学』を出版し、倉石忠彦先生に憐憫をもって審査いただき、2004年、國學院大學から文学博士をいただいた。これは、日本生活学会から今和次郎賞をいただき、感謝しています。


最近の関心

 そして今、交通を活かしたまちづくり現場、限界集落からオールドニュータウン、シャッター通り商店街から、クルマが押し寄せて困っている観光地・・・交通のコミュニケーション課題を抱えているところを歩いている。住吉台くるくるバスによるまちづくりをまとめた論文が、交通工学研究会(国交省、警察庁所管)の2007年度技術賞をいただき、土木工学に感謝と関心を持ち始めている。関西の自治体の交通政策の担当者とともに実践的に学ぶ再生塾に関わらせていただいているのも、楽しいことです。
 また、地元、昭和園自治会の四十谷川清掃や、教会・幼稚園・大学・商店街・自治会が関わる津門川の川掃除にも参加し、川沿い環境の整備・駅前公園の整備・自転車問題に関心を持っています。このたび、にしきら商店街の顧問になってしまい、歩いているとあっちこっちで声をかけられるので、とても嬉しい気分でわが西北(にしきた)を歩いています。