まちなか再生とツーリズム

2016年7月26日 (火)

子ども食堂

「こども食堂とは、こどもが一人でも安心して来られる無料または低額の食堂」。
それだけ。
「こども」に貧困家庭という限定はついていない。
「こどもだけ」とも言っていない。
大事なことは、子どもが一人ぼっちで食事しなければならない孤食を防ぎ、さまざまな人たちの多様な価値観に触れながら「だんらん」を提供することだ。
だから、一人暮らし高齢者の食事会に子どもが来られるようになれば、それも「こども食堂」だ。

「こども食堂を開く時『困っている人やお金がない人は来てください』と言ったら、絶対に来ないでしょう。また、そんな情報も届かないかもしれません。特にひとり親の方々は支援や制度、人や地域とつながる時間の余裕が全くありません。
問題はお金だけでなく「時間」と「つながり」の困窮による孤立です。子ども食堂の意味は“単に子どもがご飯を食べる場所”ではありません。子どもも大人も社会的孤立の状態にあって得られない情報や、支援、制度利用、つながりを得られる場が必要です。日中は行政と学校というセーフティネットがあります。もうひとつ、地域が「生きること」を支える役割を果たせるようになってほしい」

”場”としてのこども食堂
「むしろ、より積極的に、多世代交流型になることが望ましい」と近藤さんは言う。
孤食をわびしく感じるのは、子どもだけではない。
若者もお年寄りも、仕事で疲れて食事をつくる元気の出ない母親や父親も「今日はちょっと食べに行こうかな」と寄れればいい。
そして、子どもは食事後に遊んでもらったり、ちょっと勉強を見てもらったり、 母親や父親は人生の先輩たちから子育てのアドバイスを受けたり、地域の子育て情報を交換したり、お年寄りは、子どもと遊んであげることを通じて子どもに遊んでもらえばいい。 そこに障害のある子どもや大人がいてもいいし、外国籍の子どもや大人がいてもいい。より多くの人たちが「自分の居場所」と感じられるようになることが理想だ、と。

 支援ではなく、命をともに守る、つながりの場づくりなんだと知った。
湯浅誠「子ども食堂で考える、貧困 対策に必要なこと」 東洋経済ONLINE 2016/7/23・24

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2016年4月 5日 (火)

四国落人山地の豊かさと予土急行国道33号線

土居商店の先先代の頃は、国道古床から山中に入った黒藤川の楮、三又を集め、高知に出荷していた。土居の出荷で、和紙の価格が左右された時もあった。黒藤川は、平家落人・源三位頼政の子孫といわれる。

1894年(明治27年) 四国新道の全線(最後の松山ー高知間)開通


1934年に四国で最初の省営自動車線として予土線(鉄道を補完するものとして)が開業、後に鉄道との通し貨物取り扱いもする。
 この頃、高知松山国道が整備されたので、黒藤川の土居商店は国道の古床バス停に下りてきた。
1950年7月15日 - 松山・佐川間急行便が設定された。
1965年7月15日 - 12人乗りマイクロバスで始めた特急便の車両を大型化した。
 この頃の土居は、建築材料など、なんでもしていた。

1999年 古い家を壊し、ええもん屋を始めた。地域が衰退する中、地元の良いものを残したい思いで、建て替えた。

 当時は電源開発の工事、道路の工事があり、仕入れの弁当でも、飛ぶように売れた。

 当初、食堂は考えていなかったが、大阪で板前をしていた黒藤川 の人が地元に戻り道路工夫をしており、料理を教えてくれた。お客を自分の味に慣らせるなど、営業の仕方も教えてくれた。ふわっとした巻き寿司の作り方も、息子に教えてくれた。
2002年9月1日 - 「なんごく号」全廃とともに落出~高知間の急行バス路線を廃止。落出~佐川間は同年7月1日から黒岩観光バスとなる。
 松山からバイパスができたので久万高原までは人が来る。しかし、JRバス久万線が来るのみの土居は、四電の工事宿舎を払い下げを受けて、農家民宿をやっているが、なかなか人がい来ない。
 娘が久万のお茂ご酒造に嫁に行ったが、酒造業をやめた。そこで。蔵でこんにゃくづくり、甘酒づくり、ピクルスづくりをし、農家民宿の広報もお茂蔵で展開しようと考えている。平家の落人の豊かさの代表として、平家こんにゃくを売り出したい。
 何よりも立派な蔵を活かして、山の豊かさ、平家の誇りを伝えたい。

 女性が醤油蔵をビフォーアフターで改造し、醤油カフェをやっている、京都府京丹後市の大丸醤油に、家族で見学にいって、これからの山の豊かさ、蔵の表現を考えようと思っている。

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2015年11月 2日 (月)

石鎚山から太平洋を見る

2Photo
若き日の空海は、山岳宗教者に教えを請い、石鎚山で修行したという。石鎚山からは、眼下に瀬戸内海、室戸岬、足摺岬が見え、広い天空と二つの海、水平線を一眼にし、宇宙を体得し、空と海、空海の号を得たと岩波新書で聞いた。4年前、山上の神官に伺ったところ、「秋に来なさい」といわれた。
http://morikuri.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-0e88.html
昨日、神戸の地域資源研究会の仲間5人と登った。天気予報は、見事にハズレ。晴天のなか、鎖場を踏破した。成就社では、荷物を運ぶ郵便局員がほら貝を吹いておられお話を伺った。
 企業経営の参加者は、弥山頂上から天狗岳への尾根迂回ルートを探し最高峰を目指したが、私は尾根トップの岩の角にしがみつき千仞の谷を覗き(4年前と同様)、最高峰に到着した。
 瀬戸内に沈む夕陽に島々や周防大島、上関、しまなみ街道がくっきりと浮かび上がった。陽が沈み、漆黒のなかに道後温泉、今治来島大橋が浮かび上がり、振り返ると須崎の町明かり、はるか向こうに高知の明かり。空には、満点の銀河。
 仲間と580円の缶ビール、300円の焼酎を呑んで、20時、眠る。
 24時、トイレに行った後、山上山荘の外に出る。月の光がこうこうと山上を照らし、星は数えるほどしか見えない。
 朝5時、仲間と起床、石油ストーブを囲んで日の出を待つ。5:55空が明るんだので外に出る。明けの明星、オリオン座、北斗七星が冷気に輝く。朝のお勤めで石鎚大神に祝詞をあげると、日の出となった。朝陽で土佐湾が輝き、羽根岬or手結岬の先に室戸の湾が見える。広い太平洋の水平線が朝陽をあびて輝いて見えた。
 ふりむくと、石鎚山の影が瀬戸の朝もやに映っていた。ブロッケン現象である。
宇宙を感じるとは、めくるめく地球の動きと、地球における自分の座標を認識する、こういうことなのだ。 天候に恵まれ、感謝。
20151101





 

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2015年5月26日 (火)

うめきたBID:まちづくり協力金の徴収と運営

 BIDとは、民間が行うエリアマネジメント活動の資金を自治体が再配分し、公共空間の管理も一体的に任せて街づくりを推進する制度だ。欧米で広がりをみせている。この4月、大阪市が国内で初めて運営をスタートさせた。(日経BP・新公民連携最前線2015.4.8)
 大阪市は2015年4月、大阪市が日本で初めてBID(Business Improvement District、ビジネス活性化地区)の制度運用を始めた。対象となる地域は、JR大阪駅北側の大規模複合施設「グランフロント大阪」を含む「うめきた先行開発区域」7ヘクタールのエリアだ。そのエリアの地権者12社で構成したエリアマネジメント団体「グランフロント大阪TMO」(大阪市)が、制度適用の第1号団体となる。欧米型BIDでは、あるエリアの街づくりに充てるための資金を、その対象エリアの不動産所有者などから税金として徴収し、エリアマネジメント団体の活動資金として再配分する場合が多い。国や州の法律に基づいて目的税的に機能している。この資金を原資として、エリアのプロモーション活動やイベントなどの収益事業を行うこともできる。税以外の活動原資としては、事業収益や寄付金などもあり、BIDへの寄付金は税制優遇の対象となる。
大阪版BIDは、既存の都市再生特別措置法や都市計画法、地方自治法などの法律の一部を、2014年に施行した大阪市エリアマネジメント活動促進条例でつなぎ合わせて構成しており、BIDのための新たな税制が創設されたわけではない。都市再生特別措置法の「都市再生推進法人」の枠組みを使い、地方自治法の「分担金」を財源としている。
 特定エリア内の不動産所有者から市が分担金を集め、所有者で構成するエリアマネジメント団体に補助金として交付するという流れだ。
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 制度の縛りがあるため、大阪版BIDの場合、この補助金を使えるのは明らかな非収益事業のみに限られる。うめきた先行開発区域でいえば、街灯やベンチの設置、警備員の配置などだ。対象エリアで補助金を使う事業はすべて、大阪市と同団体の間で締結した「都市利便増進協定」(都市再生特別措置法)にのっとる。都市利便増進協定とは、街づくりのルールを地域住民が自主的に定めるための制度だ。
 補助金の受け皿となる都市再生推進法人は公益法人ではなく一般社団法人であるため、企業からエリアマネジメント団体への寄付についても、欧米型のような大きな税制優遇はない。

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2015年5月19日 (火)

京都市歩道橋半数撤去と「歩くまち」条例

京都新聞「京都市の歩道橋、半数撤去へ」20150519 「車の通行のために歩行者に苦労をかける歩道橋は、『歩くまち』を目指す京都とは方向性が違う」(土木管理課)としている。市長がビジョンを持ち、条例を定めることで、町は変わる。町を変えるということは、制度改革も重要だが、一方でまちづくりの方針を打ちたて条例化して実行することではないか。基礎自治体の意味はそこにある。大阪は、これからが問われている。
 そういえば、都構想で大役を果たされた某先生と、昔、神戸市加納町3交差点で、歩道橋を無視し「こんなもん、撤去してまえ」と肩組んで横断し、中央幹線の深夜のクルマを停めたことを思い出した。もう時効ですが・・・。闘争の彼も、こんな地道で優しいところがある。
 京都のクルマより人を大切にする政策は、サルコジ政権のグリーンイノベーションと同様であり、観光のみならず、京都のソフト産業(ワコール、島津、村田、オムロン、タキイ、任天堂、ユアサ、堀場、ローム、京セラ)を支える。
 これからの神戸、大阪はどうするのか。そろそろ、考え直さねばならないのではないか。 住民投票の結果は、大阪の誇りを残して、変えてくれよということではなかったか。2015051900000001kyt0005view_3

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2015年5月18日 (月)

クルマのない神戸トアロードはこんな美しい街だったのか!

神戸の街が好きなつれあいの父が85で亡くなり、85の義母を西宮に呼び寄せ同居。
昨日、大丸神戸店ガレリアのオープンカフェでコーヒーを飲んだ。美しい町並みだが、対面のニッケ本社前は、普段は通過・停車車両で汚い。
 昨日午前は、神戸まつり前でとても美しい。
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2015年1月15日 (木)

お遍路のインバウンド観光、

にし阿波インバウンドフォーラム」(徳島県)で、エラリー・ジャンクリストフ(DOUBLET社、翻訳者)、松山良一(日本政府観光局JINTO理事長)、川瀧弘之(国交省観光庁観光地域振興課長)、清水慎一(観光地域づくりプラットフォーム推進機構会長)、らのお話を伺った。そのメモ
■フィーチャーブランド社 国家ブランド指数(2014-15)ランキング
・総合ブランド では、日本、スイス、ドイツ、スウェーデン、カナダ、ノルウェー、米国、豪州、デンマーク、オーストリア
・観光ブランド では、イタリア、日本、米国、カナダ、豪州、フランス、ニュージーランド、スイス、ドイツ、オーストリア
ところが
・世界経済フォーラム(WEF)旅行・観光競争力指数(2013)ランキング では
スイス、オーストリア、スペイン、英国、米国、フランス、カナダ、スウェーデン、シンガポール、豪州、ニュージーランド、オランダ、日本14位(これでも2011年22位から8ランクアップ)
・外国人訪問者数 フランス8473万人(6600万の人口で)、以下、米国6977万人、スペイン6066万人、中国5569万人、イタリア4770万人、以下、対、マレーシア、香港、マカオ、韓国、シンガポール・・・日本27位1036万人
 フランスを基準にすれば、2020年までに2000万人のインバウンドではなく、1億人のインバウンド客にせねばならない。
■観光の名目GDP構成比は5%24兆円(H24)=建設業6%27兆円
 雇用誘発効果399万人 全就業者の6.2%(H24)
 国内旅行消費額のインバウンド比率 6%(日本)⇒しかし、フランス34%、英国17% 韓国47%
■四国に関して "National Geographic Traveler” 2012,1 四国特集 Japan’s Past Perfect
 GeoEx社 Don George “Journey through Ancient Japan”
Mountain Hiking Holidays社“Hiking Temple to Temple in the Lost Japan”
ex.特定の資源を結んだ観光ルート ロマンチック街道=復興ドイツの戦略
 だったら、四国はお遍路のDNAやろう!
  外国人目線によるインバウンド=そこにしかない、行かないとわからない お接待
  インバウンドの絞込み   お遍路!
  広域連携:ワンストップサービス、 お遍路インバウンドのプラットフォームが必要だ
  インバウンドのための不安の解消=WiFiスポット、二次交通情報・高速バス整備、多言語サイト(SNS)、レンタカー活用・ガイド
 ⇒これらは、以前から私が言ってきた事。誰がやるのか、川瀧さんの言葉で言えば、お遍路のインバウンドは必然。逃げられない。誰が、腹をくくってするかだ。
▼エラリー・ジャンクリストフさんのすばらしい指摘「ニューヨークタイムス 世界50の観光地 で、四国遍路「弘法大師1200年祭がすんだ。今年から、ゆっくりまわれる」
Shikoku pilgrimage to temple to temple in the Lost Japan さて、誰が覚悟を決められるか?

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2014年12月13日 (土)

岬のカフェと道の駅枇杷倶楽部

吉永小百合の映画「不思議な岬の物語」の舞台、千葉県南部の岬カフェと、道の駅の地域核モデルのとみうら枇杷倶楽部を訪問し、学ぶことが多かった。
 岬の小さなカフェは、丁寧にいれたコーヒーと音楽、客との個人関係を大切にする経営で、ファンが映画になる前から多かった。私が行ったときも、映画を見て来た人もあれば、常連客が映画のお祝いで来ていた。「ところでTさん、どうした。よく来てたのに、20年ほど来ないね。映画になったから顔を出したと思ったのに・・・」という、映画のような人間関係が彷彿とする会話があった。趣のあった前の店が火事で消失した後、プレハブの新しい店で再建に協力してくれたのも常連さんだったという。
 難しいロケーションであっても、それほど儲かる商売でなくとも、丁寧な人間関係とそれを取り結ぶコーヒーと音楽が、岬の景観にとけこめば、人と人を結ぶカフェは続いていく。パティシエの姪が、都会から戻ってカフェを手伝っていた。K1506595281_4
http://www.kanshin.com/keyword/1389783

 さらに南、南房総市富浦には、道の駅とみうら枇杷倶楽部がある。
 地産地招をうたい、地元の枇杷のB級を加工して、ビューレ、スライス、シロップ漬け、枇杷葉茶などを商品化し、花摘み、菜の花摘み、苺摘み、枇杷園などを商品化して、エージェントに、観光バスごとに一括受発注できる体制を作った。農家は、現金処理せずとも、少量でも観光農園ができるようになった。こうして、地域の枇杷という特産を保存し、観光農園を育て、地域での人形劇、茶論(サロン)、地域ウォッチングに展開している。道の駅が、地域の人と人、農業を結びつける核になっている。結果、夏の海水浴に集中していた宿泊業と、外国との競争にさらされ、経営が危うかった枇杷産業が守られた。
 今では、道の駅を中心に、枇杷加工品と、平準化された入れ込み客によって、地産地招として地域の経済が安定しつつある。Img_0003_3

人口減、衰退する地方のなかで、良い話などどこにもない。しかし、できないできないと嘆くのではなく、目の前の人間関係、足元の産品をみつめ、皆で語り合い、丁寧な関係性をつくることでしか、展望はない。話し合って努力したからといって、うまくいくとは限らないが、手に手をとって、動き出さねば始まらない。
 千葉県の南端で、これからの地域づくりで、一番大切なことを学んだ。

 

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2014年11月30日 (日)

サントリーとアサヒの狭間、大阪府京都府境界の山崎

山崎駅は、京都府と大阪府の境界にある。大山崎町は京都府だが、山崎幼稚園は大阪府島本町である。サントリー山崎醸造所は大阪府だが、山崎聖天と大山崎山荘は、京都府である。
この山城摂津境界に、中世の油座、水無瀬離宮が置かれ、対岸の石清水八幡の日使大神事に関わる大山崎神人が守護不入の地としてえごま独占権を得ていた。
 朝日新聞大阪本社を設計した藤井厚二は、1920年、京都帝国大学建築学科設立に加わった。藤井は山崎で1万坪を購入し、1928年から隔年で、和を活かした建築を建てていった。現存する「鴨竹居」などが建ち、民芸に関心を持つ知識人も集まった。
 一方、鳥居信治郎(サントリー創業者)は1923年に山崎にウイスキー醸造所を作り、技師として竹鶴政孝を迎える。竹鶴は、大阪での大家である芝川又四郎の紹介で、醸造所から谷二つ離れて別荘を持つ加賀正太郎に出会い、妻リタが加賀夫人に英語を教えた。竹鶴と加賀は、夕食、工場見学、ブレンディング批評、利き酒などの交流をした。
 1934年 竹鶴政孝が大日本果汁を興したとき、加賀が筆頭株主となり、芝川も出資している。加賀はご主人様と呼ばれたが、竹鶴は専務であった。北海道余市では、熟成までは100%リンゴジュース、熟成するとウイスキーを出荷した。実際は戦中となり、海軍への納入であった。
 1954年、加賀が株を朝日ビールに譲渡したため、ニッカは朝日グループとなっている。  朝日ビール初代社長の山本は、バーナード・リーチ、河井寛二郎の作品を収集し、柳宗悦などの民芸運動に共鳴していたが、山本の集めた民芸作品を展示するため、加賀の英国風別荘を、朝日のCSRとしてアサヒビール大山崎山荘美術館とした。
 日本最初のウイスキー醸造を始めたサントリー山崎工場では、竹鶴政孝の名前を見つけることはできないが、アサヒビール大山崎山荘美術館では、控えめに竹鶴と加賀との交流を紹介している。
 山崎は、京都と大阪、サントリーと朝日との、微妙な境界のなかで、日本のウイスキー文化を醸成してきた。ウィスキー醸造の境界都市は、硬い水と、淀川・桂川・木津川合流の谷あいという霧につつまれ、ウイスキーを熟成している。

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2014年11月12日 (水)

人吉山産物問屋立山商店、20年ぶりの訪問

1991~4年、民俗学をやっていた頃、九州山地の人吉で、山産物問屋を見つけた。
海産物は聞いたことがあるが、山産物は珍しい。話を伺うと、炭焼、椎茸、和紙などの生産、問屋と山子との祭礼での交流など教えていただいた。
 福岡のコンサル、よかネットと久留米市に立ち寄り、球磨の集落支援員のお話を伺いにいったついでに、20年ぶりに立山に立ち寄った。
 朝8時、まだ早いので人吉市街の公衆浴場を探した。「新温泉」は午後からで入れず、ぶらぶらしていると、「うぐいす温泉」を発見、近づくと明かりが灯っている。Photo_2
(最近、休止して再開したばかりだそうだ。運営は楽ではない)Photo_3
ぬっとりした温泉が市内に複数あるが、蒸気機関車でまち歩きに来る観光客は、誰も立ち寄らない。もったいない。
 9時になったので、鍛治町の立山を、こわごわ訪れた。20年のご無沙汰で敷居が高い。最後まで残っていた鍛冶屋は廃業し、その道具が道沿いの出窓に展示されていた。
 その隣に懐かしい店構え。
 思い切って入っていくと、お嫁さんが「まあー、森栗先生・・・」
覚えていただいていたのである。感激して、庭の見える大きなガラスの店に座り、お詫びかたがた、阪神大震災以後のまちづくり活動、大阪大学との統合で外大から移動したことを話した。「おばあさんは・・・」
 大病を患い、寝込んでいたが、最近、少し回復、「もう少しすると起きてこれるでしょう」と話していたら、突然、昔お世話になった立山泰子さんが現れた。スッと背筋が伸びている。
「もう90になりました」というのだが、とても若々しい。
 次々話がはずみ、青井神社前に泰子さんが設けた町家ギャラリーに行こうということになった。久しぶりに泰子さんが町家ギャラリーに行くと、友人に出会って立ち話。「あれっ、杖を忘れた」Photo_4
昨日までついていた杖が、話し合っている間に、いらなくなってしまった。駐車場や町家前のデザイン、駅からの小路のサインなどを時間を忘れて話し合った。
 午後、肥薩線の観光列車で高原のループ線・スイッチバックで鹿児島に向かった。駅ごとに山産物の販売、交流があった。Photo_5
Fullsizerender

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