日記・コラム・つぶやき

2018年10月14日 (日)

教え子の死と尾崎放哉

大学を変えたい と 思い、2013年の記事を、再提出

 埼玉の教え子の訃報を聞いた。やはり、と思った。
ご両親には、時間を置いてお目にかかりたい。
 一年生、自分のプライドの為に苦しんでいるとき、彼と小倉
の旦過市場や門司港、下関の韓国人街を巡った。崩れかけた路地の奥の廃屋に、暮らしを発見した。
 彼は全てを否定し、対峙し、ときに語学大学の厳格さとも妥協し、最後は対峙しきれなかったのか。
 合併して外大から阪大に変わり、卒業前、久しぶりにあったとき、彼は視線をそらした。それはそれで彼が自分の世界を持ったのかなあという程度に考え、最後まで彼をみてやれなかったことが悔いとなる。
 私は出張先の九州で、自己肯定としての虚無と死を、遍路の死場といわれる小豆島で結んだ尾崎放哉を読んでいた。また、生と死に対峙し、愚を生き愚の濁り水のなかをコロリ往生した種田山頭火と対比しようとしている。山頭火は、最後に遍路をして逝った。

 九州で死を研ぎ澄ます放哉を読んでいる偶然に、衝撃を受けた。とはいえ、私は放哉をなかなか理解できない。
  一日物云わず蝶の影さす
  入れものが無い両手で受ける
のように、虚無を通し、透明な死を求める句からは、私の入り込む隙間はない。じゃあ、片手の人はどうなるのか、放哉は両手があるのに何故だと、私は思ってしまう。
  こんなよい月を一人で見て寝る
というが、随筆の口述筆記までさせた妻、馨を絶って、なんで一人なのか。そこまでする透明な芸術の素晴らしさからは、私はするっと避けられる。
 放哉と山頭火は会っていない。いや、山頭火は会いたいと思い、2回、放哉の墓に参っているが、放哉は他人に関心がない。
 
   たった一人になりきって夕空 放哉
   咳をしても一人         放哉
彼はこんな気持ちだったのか。教え子の寂しい死を聞き
   二人で 路地坂探った 下関  茂一
もう頑張らんで、エーよ、S君。何でそこまでやるんや。
 
僕はふらふら→ほろほろ→ぐだぐだ→ぼろぼろ と呑み続け、愚ばかりを繰り返す山頭火の方が好きだ。そんな手もあったのに、何で、一言、声をかけてくれなかった?

 小豆島は、遍路の捨て場。小豆島で放哉は死をみつめた。話すなら遍路も嫌だと、放哉は一人で死んでいった。
 山頭火は、子供の頃に見た母の井戸入水自殺からの零落、挙句の漂泊。故郷の井戸の周り、小郡や湯田温泉に庵を結んで、周辺を乞食していた。
   雨ふるふるさとは裸足で歩く
山頭火は漂白、生の執着・死と対峙し、濁り水のようなぶれる人生を抱えて、しぐれる山を歩いた。そして酒を呑んだ。呑みようは、
   ほろほろふらふらぐだぐだぼろぼろ
である。ぼろぼろになっては、どうしようもない。
  放哉は 放逐・心の放浪、自己肯定としての死を究め、海を眺め、透明な虚無を求めた。
対して、山頭火は  濁り水の濁れるままに澄む
             海は濁りてひたひた我に迫れり
立ち止まり愚に生を求め苦悩する山頭火。
透明な虚無の自己に閉じこもる放哉。
 山頭火の濁りは、どうしようもない私 か?人と世間のなかで身もだえする山頭火が私は好きだ。
    鴉啼いてわたしも一人 
        うしろ姿のしぐれていくか
    けふいちにち風を歩いてきた
    しぐれて人が海を見ている
個を無常のなかに置く、世間に置く
   この旅、果てもない旅のつくぼうし
   はてもない旅の汗くさいこと
わたしも一人 と、わたしに副う人がいる。うしろ姿を見る人がおり、語り合う、迷いあう仲間、世間師がいた。私は、世間師のような大学院教育をしたい。   
 山頭火が同宿し心を通わせた世間師とは、一癖あり、落伍者、強気の弱者である。まるで私ではないか。世間師とは、世間坊主、修行遍路、親子連れ遍路、尺八老人、絵具屋、箒屋、馬具屋、按摩遍路、行商、猿回し、軽業、おえびすさん、印肉屋、占屋、競馬屋、活弁、旅絵師、八目鰻売り、人参売り、勅語額売り、櫛売り、浪花節屋、曲搗き粟餅屋…などである。遍路が多いのは、興味深い。【金子兜太「放浪行乞 山頭火百二十句」】

放哉の辞世は、
  春の山のうしろから烟が出だした
                  S君の密葬日に

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2017年4月 3日 (月)

ソロー 野生 意思に応答する 自由・愉快 延藤安広の言葉

延藤安広先生のFBに、今福龍太「ヘンリー・ソロー、野生の学舎」に読みふけり、ソローの35歳の時の日記に「野生(wild)の人間とは、意志を持った(willed)人間のことである」を紹介し、ただ頑固なのではなく、「揺るぎなきみづから意志を保ち続ける人」でありたい! とある。
  先生の若々しい感動した。
 「野生」とは「獰猛」とか「野蛮」を意味するよりも、敏捷で自由で愉快さなどを言うとすればとあり、意思を探す作業、楽しい自由を見出す努力を決意されている。
 そして、
森羅万象のなかに表明された「意志」を感じられるようになりたい。人工環境のなかに潜在する「意志」ー例えば、「砂漠」のような駐車場に、一部でも「オアシス」的場所への変身願望ーを読み取り、「経済戦場」の修羅場を乗り越える方策をひねり出したい!「事物の発する精気と応答」していきたい!と、ヘンリー・ソローと今福龍太から触発された。
 とある。こちらも間接的に触発された。

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2016年9月17日 (土)

墓と位牌の継承・断絶に関する合意形成(15/02/15修正)

T家では、30年前、姉妹の妹のつれあいを養子T.Sとし、田舎の墓5基、位牌・仏壇(真言宗)、神棚を当主T.Suが守ってきたが、30年後、死亡した。
① 養子T.Sは、当主T.Su葬儀の後、真言宗檀那寺に「祭祀・維持困難として、大阪一心寺納骨(浄土宗:無宗派受入・全骨1.5万円、練り合わせ骨仏とする)を検討していることを伝え、T.Suの火葬骨を自宅に持ち帰り、四十九日法要は檀那寺は遠いのでと、ペンディングとした。
【家・仏壇・墓継承を前提としている檀那寺に、墓ではなく無宗派納骨の意図が伝わりにくい。が、苦悩を公開、共有することはできた】
② T.Sは、つれいあい(元真言宗)と相談の上、つれあいが懐く浄土宗・真言宗の違和感を推量し、墓じまいにともなう5骨壷を納骨(全骨)としてHPから高野山持明院納骨(10万円×5柱)を検討する。
③ 檀那寺から手渡された書類に「(地域の)8ヶ寺高野山供養塔納骨申し込み3万円」を発見。T.Sは、檀那寺に、田舎での四十九日供養、8ヶ寺高野山供養塔への全骨納骨を電話で申し入れ、事前相談を申し入れる。
【家と墓をセットで考える檀那寺は、分骨による高野山納骨を前提としているので、全骨納骨の意図が理解できない】
④ 事前相談の前に態度を確定したいT.S夫婦とT.Su未亡人は、高野山奥の院に行き、納骨の可否を相談する。⇒「分骨3万円が前提で、全骨納骨はない」との返事。
⑤ ②③④「奥の院では全骨納骨できない事実」を前提に、高野山奥の院茶処で家族で相談した結果、
 ・四十九日は檀那寺に執行をお願いする
 ・墓じまい、位牌性根抜きの後、すべての骨を分骨し、喉仏等は(地域の)8ヶ寺高野山供養塔に分骨納骨する
 ・その他の全骨は、一心寺に納骨する
 □その方向で、檀那寺には面談して理解を求める
                       とした。
これを、交通まちづくりに即していえば、
①は、当事者(利用者)の意向を情報公開・檀那寺(事業者)と共有化した
②では、当事者共同者間(住民間)のおりあいを確定した
②+③ データを集める
④ 現地でヒアリング。全骨不可というトラブル臨床状況
⑤ 現場の絶望の緊張感のなかでの、方針・対処・工程の合意形成
その上での、檀那寺(事業者)との交渉

これって、私のことです。合意形成づくりの勉強してきて、その手順が自分の家族の課題解決の合意形成に役立った!

 

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2016年4月 4日 (月)

偶然と必然

20歳の冬だったろうか、旧池田師範の体育館(武道場?)を仕切った汚い教室の一番前に座った私は、井代彬雄先生の西洋史の授業を受けていた。社会主義思想、ナチズムの研究をしていた井代先生は、「ほんと、不思議だよね。ルカーチっていう社会主義者は言うんだよ。偶然とは、必然の見えないものだって。歴史って、そういうもんだね」
 この言葉は長く心に残っていたが、『実践政策学』に「モノとコトの間のハナシと物語ーカフェ・ワークショップによる協働参画のために」を書くため、偶発的なコミュニケーションの意味を再考し、思い出して調べてみた。
 偶然と必然の問題はメルロポンティなど現象学でも論じられているが、生物学者であるジャック・モノー『偶然と必然』では、生物の進化系統をめぐって「偶然とは 人間の私意識が了解できない必然である」と定義した。
 ベルグソンが、必然の認識は、生気と活物において認めら、生気と活物こそが実践であるとしたのも興味深い。
 私が、生気と活物ある学術をめざして、有志と『実践政策学』を創刊したのは、無意識ではあったが、ベルグソンの言っている生気と活物を求めてであり、その根底には井代先生の「偶然と必然」の教えがあったことを、今更ながら感謝。
 今日は、入学式。そんな教育をしたい。

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2015年7月13日 (月)

歴史から考える府市合併と大都市自治

名古屋の栄公園振興の竹内栄造さんにお教えを得たとき、大都市自治に関する話題と資料を得たので、記録しておきたい。
 明治22年の市制がスタートし、弘前、盛岡、秋田、山形、米沢、仙台、新潟、富山、高岡、金沢、福井、水戸、横浜、静岡、名古屋、津、堺、和歌山、神戸、姫路、松江、広島、赤間(下関)、高知、福岡、久留米、佐賀、長崎、熊本、鹿児島が市制をひいた。
 廃藩置県以後、官選の県、直属の道、天皇の所在可能性:宮内府を置く三府(東京、大阪、京都)があり、台といであるから自治を認めない特例制度のなかにあったが、明治31年、ようやく特例廃止となって、自治を獲得した。
 昭和22年、地方自治法に5大市に対する特別市制度ができたが、5大府県側の巻き返しにより、特別市住民投票の範囲は、府県住民としてしまい、府県のなかで大都市人口が半分を越えているのは、当時は京都市のみで、一致して特別市を実現できなかった。
大阪府 2976千人(大阪市1294千人;43%)
  税収・税外収入 大阪府585087千円(大阪市439213千円;84%)
京都府 1622千人(京都市915千人;56%)
  税収・税外収入 京都府2000074千円(京都市100246千円;77%)
兵庫県 2826千人(神戸市502千人;18%)
  税収・税外収入 兵庫県379270千円(神戸市147346千円;53%)
愛知県 2919千人(名古屋市719千人;35%)
  税収・税外収入 愛知県330648千円(名古屋市182267千円;68%)
神奈川県2020千人(横浜市707千人;35%)
  税収・税外収入 神奈川県267661千円(名古屋市198945千円;68%)
これをみると、57%人口14%収入の大阪府が、84%収入の大阪市が、いかに魅力的かがわかる。
 今回の都構想では、堺市が協議に参加しなかったことから、大阪府全体での住民投票とはならなかった。大阪市民は、危うく400年の自治を失うところだったことを自覚すべきである。

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2015年6月 1日 (月)

庁内合意形成

 人口激減、財政再建:職員数削減の過疎自治体で、住民連携で地域資産を活かし、官民連携による外部投資を呼び込むプログラム推進を提案するとき、阻害要因は3パターンある。

①職員数削減、経費削減のみに執心し、将来まちづくりに取り組めない組長
②多様な市民活動がバラバラで、連携したまちづくりに関心を持たない住民
③少ない職員数で仕事が手いっぱいで、新規事業、ドラスチックな改善策を避けたい職員

 A市長は、国の大規模プロジェクトを活用して、新しいまちづくりを進めようとするが、住民の動きが見えない(②)、職員が動きづらい(③)という課題があった。
 A市長の依頼で、現地に入り議論したことがある。

A市長は、思いが強く、突然外部の講師を呼んでは、職員が戸惑う、市長が浮いてしまうこともあると聞いていた。私も、その外部講師の一人かもしれない。
 最初に幹部職員と議論した。幹部職員から住民連携や官民連携への疑問が出された。一つ一つに答えつつ、職員ワーキングを作り、専業のWGリーダーを置くことを提案し、A市長の判断で決定した。
 次に、多様な活動住民を集め、活動とまちづくりへの意見を伺った。ひとつひとつの活動の尊さ、まちへの思いのポイントを整理し、人口激減の今こそ、連携した新しいまちづくりビジョンを練り上げ、連携した活動が必要であることを指摘した。私は「子ども達が住んでみたい町にしなければ、皆さんの活動のみならず、本業の仕事そのものが、意味をもたないのではないか」と、まちづくりの必要性を説いた。この会合には、関係する多様な部局の職員も出席し、住民の盛り上がりを目の当たりにした。
 事後の懇親会には、A市長も、市民・職員も出席した。宴の途中、職員数名がスーッと消えた。見ると、隣の部屋で立ったまま鳩首会議していたようにみえる。緊急の案件が突発したわけではなかろう。実は、住民の「何かできそうだ」「やってみよう」という盛り上がりこそが、「突発状況」だったのかもしれない。
 専業WGリーダーと庁内横断WGが決まり、住民の盛り上がりを前に、疑問を呈していた幹部職員自らが、他の職員に「後戻りできない」状況を説明し、プロジェクトをすすめる意識統一をしていたのかもしれない。
 役所組織には、新規事業に慎重で果敢にA市長の暴走を抑えつつ、一方で住民の盛り上がりに臨機応変に動く、慎重かつ勇気ある幹部職員が必要である。
 これまで、役所と住民との関係で苦労してきたまちづくり活動の中心住民の一人が独り言を言ったそうだ。
 「今回は何かが良い」

皆が意識をあわせ、能力を発揮する、コーディネーションとは、このようなものである。
 

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2014年10月27日 (月)

35年前、15年前の遺産、宮田登『老熟の力』

科学研究費補助金の基盤Bを申請した。「社会的問題解決に果たす老熟力を活かしたコミュニケーションデザインの研究」として、研究室内の教授、講師、客員、招聘、助教のみなさんと、合意形成のオーソリティ、桑子先生(東工大:哲学)のスーパーバイズをお願いし申請した。
 申請分野に四苦八苦した。都市計画分野では、数学モデルじゃないから門前払いされる。
「合意形成」というテーマは環境政策分野に入っていて、ぼくの研究は、別に環境だけに特化したわけでないから辛い。
かといって、今更、民俗学では過去の人だし、
デザイン学分野に「コミュニケーション」がある。コミュニティのコミュニケーションをデザインの先生に、理解してもらえるか?
 と困っていたら、特設分野に、ネオ・ジェロントロジー(新老年学)があった。
「高齢者は保護されるだけでなく、民俗学などでは負い重なり、積極的側面」とある。これって、14年前、森栗「都市の中の老熟:二一世紀の都市モデル・向島」宮田登編『老熟の力』(2001年、早稲田大学出版部)を参考にしたのかな?
 民俗学は、遠に忘れていたが、10年前に高齢者の積極側面を評価した(当時の)民俗学者として、新老年学特設分野に申請しようと考えた。
 幸い、研究室内に寄付研究部門があり、多くの仲間がおり、多々、教示してくれる。一人では適当に出すが、仲間が一緒だと、死に物狂いで丁寧に書けた。
 この年になっても、意見を言ってくれる仲間がいるのはありがたい。
 何度も書き直し、締め切りぎりぎりに申請した。丁寧に意見をくれた、国交省から出向している教授に、今書いた申請書完成品を持参してお礼を言いに伺った。
 「先生、ご苦労様でした。大変でしたね。・・・あっ、私の名前がありません」
森栗「えっ、失礼しました。もう申請してしまったし・・・どうしよう・・・」
「まあ、後の図にありますのでわかります。全体に影響するものでもないし、・・・」
 粗忽な話だが、私には完璧は難しい。お許しを・・・

宮田登先生は、ぼくの博士論文草稿を病床の手に、2000年、60歳で亡くなられた。Yjimage
「民俗学で、走りながら考える人はいない。森栗くん、期待します。しかし、考える時間も大切だ。博士論文を書きませんか」と、筑波の卒業生でもない私に、民俗学の重鎮が声をかけていただいたのは、阪神大震災の後で走り回っていた1998年だったか。
 日本民俗学会50周年で、理事会が何をしようかと先生に相談したら、「民俗学は高齢者に世話になっているのに、高齢問題に何も発言しないのは良くない。詳しい計画は、震災後、墨田区向島の防災まちづくりに関与している森栗に相談したらどうか」と言っていただいたのは宮田先生だった。
 14年たって、先生の遺言が、科研で生きれば良いが・・・
 科研の可否は別として、こんな科研を研究室の仲間と書けたことを深く感謝したい。
宮田先生、ありがとうございます。 from 60になった森栗より

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2014年9月30日 (火)

依身より依所 最澄

最澄の言葉に「おのずから住めば持戒のこの山は、まことなるかな依身より依所」というのがある。心を極める空海に対して、経典を集め伝教本山を形成した最澄らしい言葉である。確かに、鎌倉仏教をはじめた人々、西行、みな比叡山で修行している。空海と最澄の離反もこのあたりに起因しているのであろう。
 が、私にとっては、どちらも必要に思える。
 地域づくりの思い、まちのあるべきビジョンを明確にし、本当に必要なこと、あれかこれかを決定していく、心をあわせていくプロセスは重要である。
 一方で、皆が語り合う場、物理的な集会所などの場所、定期的に集まる機会、プラットフォームのような集まり議論する組織形成も大切である。

凡夫、小人には小人なりに、まちのあり方、くにのあり方と己の意味を考えることも大切だが、一方で、それがなりたつような仕組み、場所をつくることも大切なような気がする。
 私にとっては、小さいながらも「依身も依所も」というところであろうか。

来年から、大学院副プログラム「まち・みちづくりデザイン」を作ることにした。8科目くらいを用意する。社会人受講もできる。国や機関とも連携した実践ができるようなものにしたい。
 依所に走ると非難されるかもしれないが、依所なくして依身なし

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2014年7月 1日 (火)

子夏曰。博學而篤志。切問而近思。仁在其中矣。

桑子敏雄『感性とは何か』(2001年、NHK出版協会)に、「博(ひろ)く学んで、志を固め、切実さをもって問いを発し、問題を身近に考えるべきだ」(論語)が紹介されている。
 桑子の解説に従えば、感性は、理性や功利性に対して、受動として位置づけられてきたが、現在の私たちの周りはゴミだらけになっている。なぜなら、「理性が身近な環境を捉える能力でなく、カントの言葉を借りれば、遠い星空の永遠性に憧れる人間の能力だった」からである。感性は法則的認識の下位ではない。

志を固め、身の回り日常の問いから、たんなる認識でなく、「うるおい」だとか、「やすらぎ」だとかの価値判断するの能力、感性が必要な時代になったのだ。

おそらく、合意形成とは、プロセス評価とは、そうした延長線上にあるものであろう。

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2014年4月12日 (土)

研究事務補助アルバイト学生募集

まちみちコミュニケーション研究室の事務補助
▼道路・交通行政の地域現場実態からの企画研究を行っています
■まちづくり、交通、多文化観光などに関心のある大学院生、
 国土交通省・コンサル・自治体・高速道路会社・交通事業会社等就職希望者。
■勤務時間 12時間程度/週(曜日等は委細面談)
■報酬 大学規定による
■特典 常時研究室利用、専用机・ロッカー利用可
■契約期間 1年間(継続可能)
■大学院後期進学希望者、現役後期学生は別途研究優遇あり
申し込み ブログ内メール またはmorikuri[アットマーク]cscd.osaka-u.ac.jp

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