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2018年8月14日 (火)

ヨイトマケと土木屋

三輪明宏(旧名「丸山明宏」)の作詞作曲歌唱の「ヨイトマケの唄」は、幼少時の友人の亡き母(日雇い労働者)を回顧する歌である。「ヨイトマケ」とは、かつて建設機械が普及していなかった時代に、人力による地固め作業のための不正規集団単純労働の掛け声、およびその労働をさす。技能を必要としないことから、貧困女性も参加する肉体労働であった。日本の近代化ではひろくみられた。同様の近代の女性労働としては、炭鉱の選鉱婦がある。
 個人的感傷的なことであるが、この唄を聞くと、いつも涙が止まらなくなる。
 先日も、テレビでたまたま三輪のヨイトマケの唄を聞く機会があった。いつものように泣きつつ、どの部分が心に刺さるのか、感涙しつつ、冷静に感涙する自分を観察した。
 後からふりかえってみると、各節の最後、「働く土方の あの唄が」「貧しい土方の あの唄が」と「母ちゃんの働くとこを見た」の部分に感涙していることがわかった。
 私は、父親が早世した幼児期、ひきとられた長屋を女手一つで守っていた、いとさん(一家の長男の嫁)を思い出したからであると思えた。昭和34年頃、神戸市長田区の被差別部落と道一つ隔てた表長屋には、3家族19人が住んでいた。私から見て、祖父母、長男家族(6人)、長女家族(6人)、未婚の妹2人、ここに、四男が早世した後家(私の母)と2人の幼児(私を含む)がなだれ込んだ。長男は、市役所に勤めていたが病気で勤務を離れ、長女の夫も不安定な仕立職であり、いとさん一人が大家族を支えていた。四男の後家は、夫の勤めていたダンロップに勤務していたが、2歳の幼児の面倒をひきうけたのはいとさんであった。
 いとさんは家事労働を一手に引き受けつつ、賃稼ぎとして工事現場に通っていた。5歳の私は従妹の兄姉と遊んでいたが、いとさんは、幼い弟を背負って賃稼ぎに出ていた。あるとき、たまたま兵庫港(と記憶している)の工事現場に、弟と一緒に連れていかれたことがあり、その記憶がヨイトマケの唄で呼び起されたのである。
 こざかしい私は、黙って働くいとさんが嫌いだった。日焼けした顔で、太って、ちんば(足の障害があり、ひきづりながら歩く)のいとさんが、黙って作るバラ寿司も、梅干し、紫蘇生姜漬けも、綺麗な原色でなく、私は汚いと思って、食べたくなかった。弟は、おいしいと認識し、今もその味をつれあいに求めているが、私はそう正直にはなれなかった。
 当時、水洗化されたばかりのトイレの便器は大小便共用だった。費用がないのか、タイル張りではなく、セメントのままだった。小便がこぼれることもあった。いとさんは、一言も文句をいわず、黙って掃除しつづけていた。私は、感謝の言葉も忘れ、黙ったままのいとさんが嫌いだった。
 いとさんが入院し亡くなる直前、大阪教育大学で学び、教員一直線、上昇志向の私は、いとさんを病院に見舞うことさえしなかった。母やいとさんのような肉体労働を脱して教師をめざす私には、苦労に苦労を重ねたいとさんに、感謝する言葉さえなかった。
 その私が、「苦労苦労で死んでった」(ヨイトマケの唄)の歌詞を聞いたとき、いとさんのことが、一気に思い出されたのである。今さらながら、申し訳なく悔いる気持ちがあふれてきた。もう、55年もたとうとしているこの時期に、深い懺悔の気持ちが湧いてくるのである。「ヨイトマケ」の唄は続く。
   5.あれから何年経ったことだろう
     高校も出たし大学も出た
     今じゃ機械の世の中で
     おまけに僕はエンジニア
     苦労苦労で死んでった
     母ちゃん見てくれ この姿
     母ちゃん見てくれ この姿
私は、三輪の描く「貧しさ」に抗してエンジニアになる上昇志向の姿に共鳴しつつ、「苦労苦労で死んでった」いとさんに対して、感謝の言葉をすらかけられなかった懺悔を思い起こし、嗚咽するのである。
 「おまけに僕は大阪大学の博士」である。土木計画の定性的評価に関する専門家である。行政、企業の専門職として、現場の技術者と議論する機会も多い。そうしたとき、土木技術職の多くが、自らを「土木屋」と自嘲的に自己紹介することが多い。
  考えてみると、建築士、デザイナー、経営士、消防士、看護師、教師、教授が、こうした自嘲的自己表現をすることは、ほとんどない。
  ただし、文系教授が、「文学部只野教授」と文系を「役立たないもの」として揶揄することは、「威張る割には役立たない」という自嘲であり、筒井康孝の同名小説以来、ときには表現される。それ以外では唯一、
  「私は土木屋でして…」
 という自嘲表現がある。この表現には、文系一般職の支配する行政機構のなかで、技術職(土木、建築、機械、電気、農業)に対して、「土木、建築、機械、電気、農業」といった表現以外に、どのような自己表現があるのであろうか。経験的にいえば
  建築…建築師
  機械、電気…エンジニア
  農業…百姓
である。20世紀の社会では農業の地位は低いが、物事の基本、多様な生産活動という意味で、ある意味誇りをもって「百姓」と表現されることがある。これに対して
  土木…土木屋
である。なぜ、土木のみに「屋」がつけられるのであろうか。
 建築は、建築「家」である(日本建築家協会)。都市計画は技術士であるが、専門家としての地位を明確化するため「都市計画家協会」を組織している。医師は「師」である。教員は教「師」である。看護師は、看護士を「師」に最近、法律改正した。なぜ、土木家、土木士、土木師といわないのであろうか。
 では「家」と「屋」はどう違うのであろうか。西山夘 三「日本のすまい」によれば、家は持続的に住む建物であり、屋は小屋である。したがって、臨時に都会に出てきた仮の長屋が町屋であり、都市で永久に住む家が町家なのである。また宮本常一「町のなりたち」によれば、町家には仏壇があり、仮の宿の町屋には仏壇がないといわれる。
 このように考えてみると、エンジニアや医師には、都市での永続的な生活が保障されているが、土木には不定期雇用、日雇い、肉体労働のイメージがつきまとうのである。「おまけに僕はエンジニア」とは、不定期雇用の「ヨイトマケ」から上昇成功し、常勤ホワイトとしてのエンジニア職を獲得した姿が描かれているのである。
 土木職が「土木屋」と自己表現するとき、彼らは不定期土木肉体職に対する侮蔑、それと関る自らへの自虐が込められているのかもしれない。
 今日では、機械基礎杭打ちであり、ヨイトマケはほとんどない。いや、AIの時代では、電気配線、機械調節も、自動で運営される部分が多くなるものと思われる。だからこそ、基本的な設営における手作業、現場での専門的実践判断が重要である。こうしたなかにおいて、未だに土木を卑しいものと考える思考の根底には、かなりの時代遅れ、機能的限定合理性のみを唯一の真理と考える偏った志向があるものと思われる。

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2014年12月 5日 (金)

子曰、学而不思則罔、思而不学則殆

子曰く、学びて思わざれば則ち罔し(くらし)、思いて学ばざれば則ち殆し(あやうし)。20140504

私は、思いが強すぎて、役所からお出入り禁止になることがある。
 土木計画学では数理モデル研究を熱心にするが、どんな社会をめざしてのモデルなのか、どう個別地域に落としこむのかについて、意欲も知識もないことも少なくない。そんな研究はクライ(罔)。展望、見通しがない。だから、どんどん社会から遠く、学術に篭る。
 社会から離れた社会基盤研究って、笑い話ではないか。
 とはいえ、思いが強すぎて学ばなければ、危うい(殆)。自戒したい。

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