教え子の死と尾崎放哉
埼玉の教え子の訃報を聞いた。やはり、と思った。
ご両親には、時間を置いてお目にかかりたい。
一年生、自分のプライドの為に苦しんでいるとき、彼と小倉の旦過市場や門司港、下関の韓国人街を巡った。崩れかけた路地の奥の廃屋に、暮らしを発見した。
彼は全てを否定し、対峙し、ときに語学大学の厳格さとも妥協し、最後は対峙しきれなかったのか。
合併して外大から阪大に変わり、卒業前、久しぶりにあったとき、彼は視線をそらした。それはそれで彼が自分の世界を持ったのかなあという程度に考え、最後まで彼をみてやれなかったことが悔いとなる。
私は出張先の九州で、自己肯定としての虚無と死を、遍路の死場といわれる小豆島で結んだ尾崎放哉を読んでいた。また、生と死に対峙し、愚を生き愚の濁り水のなかをコロリ往生した種田山頭火と対比しようとしている。山頭火は、最後に遍路をして逝った。
九州で死を研ぎ澄ます放哉を読んでいる偶然に、衝撃を受けた。とはいえ、私は放哉をなかなか理解できない。
一日物云わず蝶の影さす
入れものが無い両手で受ける
のように、虚無を通し、透明な死を求める句からは、私の入り込む隙間はない。じゃあ、片手の人はどうなるのか、放哉は両手があるのに何故だと、私は思ってしまう。
こんなよい月を一人で見て寝る
というが、随筆の口述筆記までさせた妻、馨を絶って、なんで一人なのか。そこまでする透明な芸術の素晴らしさからは、私はするっと避けられる。
放哉と山頭火は会っていない。いや、山頭火は会いたいと思い、2回、放哉の墓に参っているが、放哉は他人に関心がない。
たった一人になりきって夕空 放哉
咳をしても一人 放哉
彼はこんな気持ちだったのか。教え子の寂しい死を聞き
二人で 路地坂探った 下関 茂一
もう頑張らんで、エーよ、S君。何でそこまでやるんや。
僕はふらふら→ほろほろ→ぐだぐだ→ぼろぼろ と呑み続け、愚ばかりを繰り返す山頭火の方が好きだ。そんな手もあったのに、何で、一言、声をかけてくれなかった?
小豆島は、遍路の捨て場。小豆島で放哉は死をみつめた。話すなら遍路も嫌だと、放哉は一人で死んでいった。
山頭火は、子供の頃に見た母の井戸入水自殺からの零落、挙句の漂泊。故郷の井戸の周り、小郡や湯田温泉に庵を結んで、周辺を乞食していた。
雨ふるふるさとは裸足で歩く
山頭火は漂白、生の執着・死と対峙し、濁り水のようなぶれる人生を抱えて、しぐれる山を歩いた。そして酒を呑んだ。呑みようは、
ほろほろふらふら
ぐだぐだ
ぼろぼろ
である。ぼろぼろになっては、どうしようもない。
放哉は 放逐・心の放浪、自己肯定としての死を究め、海を眺め、透明な虚無を求めた。
対して、山頭火は 濁り水の濁れるままに澄む
海は濁りてひたひた我に迫れり
立ち止まり愚に生を求め苦悩する山頭火。
透明な虚無の自己に閉じこもる放哉。
山頭火の濁りは、どうしようもない私 か?人と世間のなかで身もだえする山頭火が私は好きだ。
鴉啼いてわたしも一人
うしろ姿のしぐれていくか
けふいちにち風を歩いてきた
しぐれて人が海を見ている
個を無常のなかに置く、世間に置く
この旅、果てもない旅のつくぼうし
はてもない旅の汗くさいこと
わたしも一人 と、わたしに副う人がいる。うしろ姿を見る人がおり、語り合う、迷いあう仲間、世間師がいた。私は、世間師のような大学院教育をしたい。
山頭火が同宿し心を通わせた世間師とは、一癖あり、落伍者、強気の弱者である。まるで私ではないか。世間師とは、世間坊主、修行遍路、親子連れ遍路、尺八老人、絵具屋、箒屋、馬具屋、按摩遍路、行商、猿回し、軽業、おえびすさん、印肉屋、占屋、競馬屋、活弁、旅絵師、八目鰻売り、人参売り、勅語額売り、櫛売り、浪花節屋、曲搗き粟餅屋…などである。遍路が多いのは、興味深い。【金子兜太「放浪行乞 山頭火百二十句」】
放哉の辞世は、
春の山のうしろから烟が出だした
S君の密葬日に
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