« 2018年4月 | トップページ | 2018年10月 »

2018年8月

2018年8月15日 (水)

上野武『大学発地域再生』清水弘文堂書房

上野武『大学発地域再生』清水弘文堂書房、2009年
■ジェイムズ・ラブロック「ガイア理論」
    20世紀が積み残した課題…不健康な地球・不健康な地域・不健康な人間(p20)
■地域サステナビリティと健康力 健康な環×健康な身体×健康な心(健康知識) (P40)
    ウェルネス←市民科学(QOLの把握) (p41)
■もうひとつの科学
モード1の科学…個別学問分野の論理で研究の方向を決める(個別分析する)従来の方法
モード2の科学…社会に解放された科学研究。市民、産業界、政府の専門家などが対等の立場で参加し、社会的公共的かつ産業的な複合問題の解決策を領域横断的に探る方法。サステナビリティ学にとって重要な方法で。グローカルな視点の市民科学といって良い。               (P41-42)
 ※市民科学実験フールドとしての大学キャンパス(P43)←個別研究の縄張りの集合としての大学
■LCCレーンコミュニティカレッジ(2年生)(p.p.66-69)
・地域大学(オレゴン大学)への準備教育  ⇒高齢者大学院進学の準備教育(教養プログラム)
・職業スキルアップ(地域企業雇用者再教育(オレゴン州ユージン市))
・生涯学習・語学学習の機会提供 ⇒従来の大学開放講座
・高齢者教育プログラム(老年学、救急学、衛生学、看護学)
・地域コミュニティへの人材育成貢献
■大学の持つもの 知財(研究成果)  実践研究  政策寄与
         人財(学生>教員) PjBLの場  地域寄与
         資財(教育研究の場)共同利用 まちなかラボ提供
                   (p.p.79-83)
    ・ケミレスタウンプロジェクト(p112)
      ・カレッジリンク住宅(p134)
      ・カレッジリンク(p138) 多世代交流
■大学と市民との相互関係
大学⇒学習プログラム  ⇒カレッジリンク住宅入居高齢者・市内の個別高齢者
大学⇒健康管理プログラム⇒カレッジリンク住宅入居高齢者・市内の個別高齢者
大学⇒健康診断     ⇒カレッジリンク住宅入居高齢者・市内の個別高齢者
大学⇐ 授業料      ⇐カレッジリンク住宅入居高齢者・市内の個別高齢者
大学⇐ ボランティア   ⇐カレッジリンク住宅入居高齢者・市内の個別高齢者
大学⇐ 基金寄付     ⇐カレッジリンク住宅入居高齢者・市内の個別高齢者
大学⇐ 投資       ⇐カレッジリンク住宅入居高齢者・市内の個別高齢者(p136)
■健康と学びの連携
 ・柏の葉 千葉大学予防医学センター 健康データセンター 医療コンシャルジュ(P117)
   健康都市構想 柏の葉アーバンデザインセンター
 ・カレッジリンク型コミュニティ 関西大学文学部の高齢者向けプログラム+住宅建設
     世代交流型シニアハウジング(学内定期借地、学生寮複合住宅) (P133)

| | コメント (0)
|

2018年8月14日 (火)

ヨイトマケと土木屋

三輪明宏(旧名「丸山明宏」)の作詞作曲歌唱の「ヨイトマケの唄」は、幼少時の友人の亡き母(日雇い労働者)を回顧する歌である。「ヨイトマケ」とは、かつて建設機械が普及していなかった時代に、人力による地固め作業のための不正規集団単純労働の掛け声、およびその労働をさす。技能を必要としないことから、貧困女性も参加する肉体労働であった。日本の近代化ではひろくみられた。同様の近代の女性労働としては、炭鉱の選鉱婦がある。
 個人的感傷的なことであるが、この唄を聞くと、いつも涙が止まらなくなる。
 先日も、テレビでたまたま三輪のヨイトマケの唄を聞く機会があった。いつものように泣きつつ、どの部分が心に刺さるのか、感涙しつつ、冷静に感涙する自分を観察した。
 後からふりかえってみると、各節の最後、「働く土方の あの唄が」「貧しい土方の あの唄が」と「母ちゃんの働くとこを見た」の部分に、自分が感涙していることを自分で発見した。
 私は、父親が早世した幼児期、長屋を女手一つで守っていた、いとさん(一家の長男の嫁)に引き取られたことを思い出していた。昭和34年頃、神戸市長田区の被差別部落と道一つ隔てた表長屋には、3家族19人が住んでいた。私から見て、祖父母、長男家族(6人)、長女家族(6人)、未婚の妹2人、ここに、四男が早世した後家(私の母)と2人の幼児(私を含む)がなだれ込んだ。長男は、市役所に勤めていたが神経の病気で勤務を離れ、長女の夫は不安定な仕立職であり、いとさん一人が外部収入、大家族の家事を支えていた。四男の後家(実母)、亡き夫の勤めていたダンロップに勤務したが、その間、2歳の幼児(弟)の面倒をひきうけたのはいとさんであった。
 いとさんは家事労働を引き受けつつ、賃稼ぎとして工事現場に通っていた。5歳の私は従妹の兄姉と遊んでいたが、いとさんは幼い弟を背負って賃稼ぎに出ていた。あるとき、たまたま兵庫港(と記憶している)の工事現場に、弟と一緒に連れていかれたことがあり、その記憶がヨイトマケの唄で呼び起された。
 こざかしい私は、黙々と働くいとさんが嫌いだった。日焼けした顔で、太って、ちんば(足の障害があり、ひきづりながら歩く)のいとさんが、黙って作るバラ寿司も、梅干し、紫蘇生姜漬けも、工場製品のチキンラーメンや渡辺のジュース粉末のような綺麗な原色でなく、私は汚いと思って、食べたくなかった。(私はすっかり、底辺に反発しつつ工業製品になじんでいた)。しかし、弟は、いとさんの作る食品を「おふくろの味」としておいしいと認識し、今もその味をつれあいに求めているが、私はそう正直にはなれなかった。
 当時、水洗化されたばかりのトイレの便器は大小便共用だった。費用がないのか、長屋のトイレはタイル張りではなく、セメントのままだった。小便がこぼれることもあった。いとさんは、一言も文句をいわず、黙って掃除しつづけた。私は、感謝の言葉も忘れ、黙ったままのいとさんを避けていた。
 いとさんが入院したとき、大阪教育大学で学び、教員一直線、上昇志向の私は、いとさんを病院に見舞うことさえしなかった。母やいとさんのような肉体労働を脱して教師をめざす私には、苦労に苦労を重ねたいとさんに、感謝する言葉さえ、当時は持てなかった。
 その私が、「苦労苦労で死んでった」(ヨイトマケの唄)の歌詞を聞いたとき、いとさんのことが、一気に思い出された。今さらながら、申し訳なく悔いる気持ちがあふれてきた。もう、55年もたとうとしているこの時期に、深い懺悔の気持ちが湧いてくるのである。
  「ヨイトマケ」の唄は続く。
   5.あれから何年経ったことだろう
     高校も出たし大学も出た
     今じゃ機械の世の中で
     おまけに僕はエンジニア
     苦労苦労で死んでった
     母ちゃん見てくれ この姿
     母ちゃん見てくれ この姿
私は、三輪の描く「貧しさ」に抗してエンジニアになる上昇志向の姿に自己を重ね合わせて共鳴しつつ、「苦労苦労で死んでった」いとさんに対して、感謝の言葉すらかけられなかった自分の弱さに懺悔し、嗚咽するのである。
 「おまけに僕は大阪大学の博士」である。土木計画の定性的評価に関する専門家である。行政、企業の専門職として、現場の技術者と議論する機会も多い。そうしたとき、土木技術職の多くが、自らを「土木屋」と自嘲的に自己紹介するに、躊躇することが少なくない。
  考えてみると、建築士、デザイナー、経営士、消防士、看護師、教師、教授が、こうした自嘲的自己表現をすることは、ほとんどない。( ただし、文系教授が、「文学部只野教授」と文系を「役立たないもの」として揶揄することは、「威張る割には役立たない」という自嘲であり、筒井康孝の同名小説以来、ときには表現される。)それ以外では唯一、
  「私は土木屋でして…」
 という自嘲表現がある。この表現には、文系一般職の支配する行政機構のなかで、技術職(土木、建築、機械、電気、農業)に対して、「土木、建築、機械、電気、農業」といった表現以外に、どのような自己表現があるのであろうか。経験的にいえば
  建築…建築師
  機械、電気…エンジニア
  農業…百姓
である。20世紀の社会では農業の地位は低いが、物事の基本、多様な生産活動という意味で、ある意味誇りをもって「百姓」と技術者が事故表現することがある。宮本常一が全国を歩いて村に入るとき「わしゃー 周防大島の百姓じゃ」というのが、同様である。これに対して
  土木…土木屋
である。なぜ、土木のみに「屋」がつけられるのであろうか。
 建築は、建築「家」である(日本建築家協会)。都市計画は技術士であるが、専門家としての地位を明確化するため「都市計画家協会」を組織している。医師は「師」である。教員は教「師」である。看護師は、看護士を「師」に最近、法律改正した。なぜ、土木家、土木士、土木師といわないのであろうか。
 ところで「家」と「屋」はどう違うのであろうか。西山夘三「日本のすまい」によれば、家は持続的に住む建物であり、屋は小屋である。したがって、臨時に都会に出てきた仮の長屋が町屋であり、都市で永久に住む家が町家なのである。また宮本常一「町のなりたち」によれば、町家には仏壇があり、仮の宿の町屋には仏壇がないといわれる。
 このように考えてみると、エンジニアや医師には、都市での永続的な生活が保障されているが、土木には不定期雇用、日雇い、肉体労働のイメージがつきまとうのである。「おまけに僕はエンジニア」とは、不定期雇用の「ヨイトマケ」から上昇成功し、常勤ホワイトとしてのエンジニア職を獲得した姿が描かれているのである。
 土木職が「土木屋」と自己表現するとき、彼らは不定期土木肉体職に対する侮蔑、それと関る自らへの自虐が込められているのかもしれない。
 今日では、機械基礎杭打ちであり、ヨイトマケはない。いや、AIの時代では、電気配線、機械調節も、自動で運営される部分が多くなる。だからこそ、基本的な設営における手作業、現場での専門的実践判断が重要である。こうしたなかにおいて、未だに土木を卑しいものと考える思考の根底には、かなりの時代遅れ、機能的限定合理性のみを唯一の真理と考える、20世紀工業化時代の片りん、偏った志向があるものと思われる。

| | コメント (0)
|

« 2018年4月 | トップページ | 2018年10月 »