« 『大学発地域再生』 | トップページ

2018年4月16日 (月)

民俗学・内省のリスク

大塚英志『殺生と戦争の民俗学』(角川書店、2017)は、地理学者で柳田國男の弟子であった千葉徳爾の民俗学の戦争・憲法との関係や切腹や排せつなど、深い思考を通じて、民俗学を問い直した書物である。

 柳田國男は、民俗学のことを「実験の史学」(『柳田國男全集27』筑摩書房、1990年所収)と呼んでいる。実験とは素養ある者の計画があり、民俗現象の予測観察のことをさしている(大塚、2017年、p167)。柳田は、社会文化を理学でみようとした。したがって、実感を強調する折口信夫を破門したといわれる。

一方で柳田は、相手の言語・動作などばかりでなく、語り手の気持ち・心情を、訪れた者が事故の心を同様な内容とすることに努める、文字通り「情を同じくする」境地に入るようにするのが、柳田の同情である(千葉徳爾『新考 山の人生』古今書店、2006年)(大塚、2017年、p.p.187-188)と、述べている。実験なのか実感なのか、柳田の学問はアンビバレントである。

昭和初期、柳田國男は、民俗学の成立に関して、民俗学という言葉を妙にさけてきた。柳田自身が「民俗学」と自ら語った瞬間、たちまちロマン主義が入り込み、岡正雄が輸入しようとしたナチスドイツ型民俗学に回収されかけた(大塚、2017年、p287)。柳田は、昭和10年前後、民俗学の成立に関して、民俗学という言葉を避けている。郷土研究、地方学、民間伝承論、ルーラルエコノミー・・・。『青年と学問』のように単に「学問」とのみいっているケースもある(大塚、2017年、p.p.290-291)。

千葉は、次のような柳田の言葉を紹介している。緊急時に台風が吹くという民俗は日本にはないのに、集団自己を無理に正当化する「神風なる民俗」、言い方を変えれば神風依存症は、戦時下で作られたものであった。戦時下に「自学」という自らを考える能力(内省)を欠いた国民が、このように創られた民俗文化に妄動した(「新考 山の人生」をまとめている)という(大塚、2017年、p.p.308-309)。

柳田國男は、戦後、中学校社会科教科書『日本の社会』(実業之日本社、1954年)に関わっており、民俗学によって、憲法の芽を生やせられないかと述べ、「公民の民俗学」を構想していた(大塚、2017年、p.334)。

 人々を賢くする集合知としての民俗学の可能性(大塚、2017年、p.336)を考え、どうしても、新しい民俗学の教本をつくる必要がある(千葉徳爾「第二部解説―二つの『民俗学教本案』について」『柳田國男談話稿』法政大学出版局、1987年)と考えたが、実現しなかった。大学に職を得た民俗学者は、民間信仰や化け物の研究にしか関心が向かなかった。

 教科書のための柳田のカードには「公界を社交」「公共事務」「パブリックな場としての酒場」(大塚、2017年、p.p.340-341)があったことを、大塚は柳田の公民の民俗学の証と考えている。

すねた柳田は「みんなは家族や民間信仰に興味をもっているが、これからは教育が重要になる。将来の民俗学は家やムラよりも友人・仲間の関係を重視しなくてはいけなくなろう」(大塚、2017年、p343)、つまり、社交と公共(大塚、2017年、p343)を重視したいと思っていたが、それはならなかった。戦後の都市計画では、民俗学者は、お化け趣味に走り、都市計画社は、公共利益と権利者主張との妥協のなかで、苦しむこととなり、ついぞ、公民は出なかった。

|
|

« 『大学発地域再生』 | トップページ

書籍・雑誌」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1132866/73311774

この記事へのトラックバック一覧です: 民俗学・内省のリスク:

« 『大学発地域再生』 | トップページ