桂木『すれっからしの公共心』
⇒だから、政変がおきても天皇は殺されない
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『宮本常一著作集10』未来社、1971年、
大ぜい集まって話し合っていた。その中の一人が大きい声で何かしきりに主張していた。…ところが一人の老人が、「足もとを見てものをいいなされ」といった。すると男はそのまま黙ってしまった。p.27
農地改革で皆が自己主張したとき、(老人が)「皆さん、ともかく誰もいないところで、たった一人、闇夜に胸に手をおいて、私は少しも悪いことはしておらん、私の親も正しかった、祖父も正しかった、私の土地は少しの不正もなしに手に入れたものだ、とはっきり言いきれる人がありましたら申し出てください」といった。すると、今まで強く自己主張していた人がみんな口をつぐんでしまった。p.26
延藤安広先生のFBに、今福龍太「ヘンリー・ソロー、野生の学舎」に読みふけり、ソローの35歳の時の日記に「野生(wild)の人間とは、意志を持った(willed)人間のことである」を紹介し、ただ頑固なのではなく、「揺るぎなきみづから意志を保ち続ける人」でありたい! とある。
先生の若々しい感動した。
「野生」とは「獰猛」とか「野蛮」を意味するよりも、敏捷で自由で愉快さなどを言うとすればとあり、意思を探す作業、楽しい自由を見出す努力を決意されている。
そして、
森羅万象のなかに表明された「意志」を感じられるようになりたい。人工環境のなかに潜在する「意志」ー例えば、「砂漠」のような駐車場に、一部でも「オアシス」的場所への変身願望ーを読み取り、「経済戦場」の修羅場を乗り越える方策をひねり出したい!「事物の発する精気と応答」していきたい!と、ヘンリー・ソローと今福龍太から触発された。
とある。こちらも間接的に触発された。
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