蟲明先生にお話を伺う(解釈意訳)
住民主体に道路計画全体を投げてしまうやり方は、妻籠や彦根の先例があった。彦根のキャッスルロードの計画が紛糾したとき、あるプランナーが「そこまで住民がいうなら、何も決めず、白から住民がやったらよい」と住民主体に計画を掘り投げたそうです。住民は「そんなこと言われても」と困るが、「わしはプロや。知っている知識で支援する」としたそうです。
それでも、住民は「市から計画づくりを受託してるんやから、お前の計画を押し付けてくるんやろ」とかんぐる。そんなとき蟲明先生は「市とは住民へのお手伝い契約や。想定図面なんかない」と言い切る。
とはいえ、契約は「課題設定、整備方針、計画、住民参加研究会」となっているが、 必要に応じて住民参加研究会を充実させることができるようになっている。こんな柔軟な計画は随意契約でないと難しい。
計画だけではなく事業でも、行政は事業をするなと、蟲明先生は考えている。米国では公的土地を提供し民間で売り上げを上げてもらえれば、消費税だから、市の財政に貢献する。だから民間に任せられる。ところが日本は固定資産税だから、最初から儲からない物件でも、国の補助金でもあろうものなら公的投資してしまう。だから、行政が先に絵を画いてしまう。だから、住民の前に出すともめる。
こうしたなか、住民主体に任せ、行政用語を通訳できる、制約条件を通訳できる、いわば介護保険のケアマネージャーのような役割が大切。実際のまちづくりには、交通も植物も経済も、多様な知識が必要となる。
住民を賢くするために、多様な専門家に問いをたてる、もし自分がわかっていても問いをたてるコーディネータが大切だ。なかでも、本当の専門家は行政マンだ。行政に問いをたてることが重要だ。
マンションでは修繕積立金、共益費で一緒に考えねばならんことが多々ある。マンションこそ、住民主体で管理をやったらやったら良い。
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