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2016年8月

2016年8月 9日 (火)

蟲明先生にお話を伺う(解釈意訳)

住民主体に道路計画全体を投げてしまうやり方は、妻籠や彦根の先例があった。彦根のキャッスルロードの計画が紛糾したとき、あるプランナーが「そこまで住民がいうなら、何も決めず、白から住民がやったらよい」と住民主体に計画を掘り投げたそうです。住民は「そんなこと言われても」と困るが、「わしはプロや。知っている知識で支援する」としたそうです。
 それでも、住民は「市から計画づくりを受託してるんやから、お前の計画を押し付けてくるんやろ」とかんぐる。そんなとき蟲明先生は「市とは住民へのお手伝い契約や。想定図面なんかない」と言い切る。
 とはいえ、契約は「
課題設定、整備方針、計画、住民参加研究会」となっているが、 必要に応じて住民参加研究会を充実させることができるようになっている。こんな柔軟な計画は随意契約でないと難しい。
 計画だけではなく事業でも、
行政は事業をするなと、蟲明先生は考えている。米国では公的土地を提供し民間で売り上げを上げてもらえれば、消費税だから、市の財政に貢献する。だから民間に任せられる。ところが日本は固定資産税だから、最初から儲からない物件でも、国の補助金でもあろうものなら公的投資してしまう。だから、行政が先に絵を画いてしまう。だから、住民の前に出すともめる。
 こうしたなか、住民主体に任せ、行政用語を通訳できる、制約条件を通訳できる、いわば介護保険のケアマネージャーのような役割が大切。実際のまちづくりには、交通も植物も経済も、多様な知識が必要となる。
 住民を賢くするために、多様な専門家に問いをたてる、もし自分がわかっていても問いをたてるコーディネータが大切だ。なかでも、本当の専門家は行政マンだ。行政に問いをたてることが重要だ。
 マンションでは修繕積立金、共益費で一緒に考えねばならんことが多々ある。マンションこそ、住民主体で管理をやったらやったら良い。

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2016年8月 7日 (日)

住民主体と民間主導 蟲明眞一郎

ひきつづき蟲明眞一郎先生の講座から。 

「平成23年度の『地方財政白書』によると、普通建設事業費のうち都市計画費すなわち街づくり事業費は、平成11年から平成21年までの10年間で4割以上減少」している。「都市計画事業では土地費用はちょうど1/3」になるので、1999年にPFI法が制定されてから、「特定目的会社(SPC)というものを設立し、それが資産を買い取り、その証券を小口化して、一般から資金を集めるという手法」がひろがった。この肝は、「民間企業に自由に考えてもらえれば、組合せとアイデアによっては事業費に倍以上の開きが出ることもあり得る。そういう提案募集をすること」なのだが、役所のなかには持ち出し予算がいらないからと、仕様書を決め込んだ奇妙なPFIもある。「資金だけなら、PFIより市債の方が利息がずっと安い」と蟲明先生は憤る。 

 さて、こうなると「住民主体と民間主導をどのように調整するかが課題になる・・・今回、エリアマネジメントの制度を考えてみて、これからの街づくりでは、住民が、それらを専門家や民間にどれだけ委ねられるかが成否の分かれ目になる」と述べておられます。 

 そのひとつの答えが、神戸フルーツフラワーパーク大沢だと私は思っている。神戸市が定期借地を設定し、地元の3社が連携企業を作り、プロポーザルで受託し、自分たちの資金で道の駅を作っています。付近は休日にはクルマの渋滞が多いので、隣接するアウトレットと道の駅を、村の共有地を通って結ぶコミュニティバスを計画しています。この収益で、平日は地域の福祉、生活利便の運行をしようとしている。
 行政の自己資金で建設するだけではない時代になった。行政の土地を、住民の主体を活かした起業に上手に運営してもらうことが重要なのかもしれない。
枚方のTサイトは、蔦屋のすばらしいデザインの文化サービスセンターである。枚方出身のオーナーの想いがこめられており、程度の深度はともかく、これも一つの住民の主体の表現かもしれない。常識を打ち破る発想が専門家、住民にできないときは、脱常識の一部の住民・賛同者が、事業展開するのも、新しい住民主体かもしれない。

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住民主体のまちづくり 蟲明眞一郎

昨日、研究会で蟲明眞一郎先生のお話を伺い、感動した。
 
蟲明先生は、街づくり(都市整備を蟲明はそうよぶ、たとえば)「道路整備の話になると、必ずと言ってよいほど地元で反対運動が起る」「このため、行政は、住民参加で道路計画がまとまるはずがないと考えます。/私は、こうした相談を受けた場合、必ず、『住民参加』ではなく『住民主体』で行うことを薦めています。ここでいう住民主体とは、会議自体を、座長も含めて全て住民で運営してもらうという意味です。…白紙だと、制約条件の一つ一つを皆で考え、各々が納得の上で段階を踏んで行くことができます。つまり、収拾がつかなくなることもなく、とんでもない案がまとまるということもありません」と言い切られました。腹案などないのです。住民が、地域のことを主体的に考え、制約条件を教えてもらいながら、現実的に考えていくから、短時間でまとまるとのこと。
 
さらに、「道路計画の場合、道路用地にかかる人とかからない人、道路から近い人と遠い人、といった利害対立が生じることの方が、収拾がつかなくなる大きな要因だという反論があろうかと思います。これに対しては、だからこそ、そういう人たちが一緒になって考える住民主体の進め方が適している」といいます。用地買収に伴う移転なども「実際、地域の人が、用地にかかる人の説得にあたられ、また、行政に対しては住民側に立って相談にのっておられるのを間近に見たことがあります」といい、そのプロセスを共有すれば「こうして、住民の理解が進んで行政との認識のズレが早く解消されると、時間は大幅に短縮される」と、その実績から断言されました。
 
住民対応の資料は、「見てわかる」要点をまとめた資料で良いので、そんなに時間はかからない。行政だけで検討する場合は「読んでわかる資料」なのでチェックに時間がかかると言い切ります。
 こ
うした住民主体の「検討の『場』づくりですが、私は、地域の誰もが参加できる『全体会』を検討主体に、これを『世話人会』が運営する仕組みをお勧めし」「コーディネーターを明確に位置付けることが最も重要」といわれました。
 
長い文章の腹案を出してくる役所、それに対抗する住民という構図をやめ、住民主体で考えさせ、第三者であるコーディネータが資料を用意したり、法規や補助制度の仕組み、議論の整理方法をアドバイスするにとどめるようです。まとまらなければ、撤退するそうです。
 
これに対して、多くの人が出入する駅前広場整備は、便利なところに住んでいる人に移動を強いるわけだから難しい。「駅前広場の用地にかかる人達には、『鉄道という貴重な公共交通機関を、駅周辺の人達だけでなく、出来るだけ多くの人達が利用できるように、ご協力ください』とお願いするしかありません。もちろん、こうした説明でも移転させられる人達の理不尽さは解消できないでしょうが、少なくとも、行政や一般市民が『無理なお願いをしている』ことを認識できるという意義はあります。どこかへ移転してもらうのではなく、便利になったその街に住んでもらうのが筋というものです。それには、新たな道路や駅前広場に面する人や空き地の所有者、そして移転する人が、ともに街づくりに対して夢を持つことが不可欠です」とコーディネータとしての哲学・矜持を述べている。
 
蟲明先生は道路などの都市施設と、都市整備などの街並みづくりは異なるという。「都市施設を対象とする街づくりでは、制約条件を一つ一つ理解していけば専門家でも住民でも同じような結論に至る」。しかし「街並みづくりには制約条件が無い」「街並みづくりの制約条件といえば、直接的には用途地域や建ぺい率、容積率や高さ制限など各種の建築規制が考えられますが、街並みを住居系とするのか商業系とするのか、住居は戸建なのか集合なのか、商業なら商店なのか商業ビルなのか、集合住宅や商業ビルの高さは低層か高層か、それによっては規制を変えなければなりません。つまり、建築規制に基づいて街並みを考えるのではなく、どんな街並みにするかによって建築規制を変えるのですから、結局、街並みづくりに制約条件はない」と言います。だから、「住民自身の常識に頼らず、積極的に専門家の助けを仰ぐことが重要となります。しかも、相当頑固な思い込みを解きほぐさねばなりませんから、専門家を先生に一から学習する時間が必要です」と述べている。
 
つまり、「道路など都市施設の街づくりは、必要なアドバイスができるコーディネータが必要」だ。しかし「建物づくりなど街並みづくりには、どんな街並みにするかによって建築規制を変えるのですから、結局、街並みづくりに制約条件は」なく「専門のデザイナーに学び(デザインコードや)自己の常識をくつがえす学習が、住民に求められる」というのです。住民主体における対土木と対建築の違いを、明確に述べられている。
 こうした対土木における制約条件提示、対建築における固定概念打破のデザイン提示、専門家は「住民主体」の必須としりました。
 しかし、そこまで住民が考えるようにもっていけるように、問いを発し、じっくり聞くことのできる専門技術者がどこまでいるか、疑問です。むしろ、多くの専門技術者と住民の間で、行政の言葉、技術者の言葉を翻訳し、問いを発し、議論を聞く、コミュニケーションデザインの専門家が必要かもしれないと、思いつつあります。

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