歩き遍路を授業として仲間と歩く意味(西川勝)
流しの哲学者、西川勝先生に同道いただき、徳島のお遍路を、学生と一緒に歩いた。個々バラバラに、先にたち、遅れつつ歩く。初めて会うまったくの他人との会話や相互接待。個々のカラダをみつめ、風景を見つめ、歩くスピードも服装も異なり、経をあげるあげないも異なるのに、そこ連帯感は何か。
宿舎でのミーティングで、流しの哲学者が教示してくれた。
愛には、エロース(eros)、フィリア(philia)、アガペー(agape)がある。異なることに執着するエロースではない。制服で隊列を組んで歩き、歩く距離の同質性を求めるアガペーでもない。異なることを異なるまま認めるが、遍路道に位置する仲間を気遣う友愛、これが遍路なんや!
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