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2015年1月

2015年1月22日 (木)

世間、談合、絆、篤農家、農業改良普及員、出稼ぎ貧乏、長者没落

 日本は異民族が多くなかったから、日本人は自分の意見を自分で説明しようとしない。意思表明は酒の力を借りる。または落語・講談の話術専門家に語らせて満足している。だから、会議や討論をしない。異なる意見があれば、その歩み寄りが大事だった(宮本常一著作集15『日本を思う』p154)。
 その結果、個人と個人を結ぶ関係の環、絆で結びつけている世間を大切にした(宮田登「「世間」の中の日本文化」『現代の世相6-談合と贈与』小学館、1997年、p7)(阿部謹也『世間とは何か』講談社、1995年)。古臭いようだが、我々の生きる術は、デモクラシーの「社会」にはなく、これまでの暮らしのなかの「世間」にしかなく、ディベートは生活圏での話し合いには役立たない。3.11後の再生が、「絆」を基礎としているのは、こうした日本の特性を物語っている。
 その世間は、所有ではなく、貸し借りの関係で成り立っている。良し悪しではなく、感性の事実である。
 奈良県吉野の江戸時代の売買証文には「立木一代、金○○で買い取る」とある。木を植えて切り取るまでの期間を買う。土地は借りている。ということである。なぜそんな形にしているかというと、その間、山の所有者である村の人たちが植樹から下草刈り、枝打ち、伐採まで全部してくれるからである。もちろん、それに対する賃金は払うが、それにしても貸借関係だからこそ、そういうことができる。九九年とか九九九九年とかいう貸借もある。日本は、そういう息の長い貸借関係の国なのだ。(宮本常一著作集15『日本を思う』p135) 
 これば売買だと、買ってしまった山は、状況によって皆伐も自由となる。逆に、営林署の公営だと、山の整備ではなく、公営生産性を重視して、公金で一気に杉を植えようとしたのである。地域の長い年月の持続的な森づくりなど、遠に放棄してしまった。
 このような貸借によってなりたつ村では、外の世間から戻った者があれば、村の内の者が、村の入り口に寄り合い語り合う。この境界の議論の場を、談合坂、団子坂と呼ばれた。神を迎えて寄り合う場であった(宮田登「「世間」の中の日本文化」p19)。このようにして「見知らぬ世間を知っている世間師が、村をあたらしくしていくためのささやかな方向づけをした」(宮田登「「世間」の中の日本文化」p8指摘の宮本常一の言葉)のである。
 日本の世間には、人間関係の基層にこのような「集う」原理が働いている(宮田登「「世間」の中の日本文化」p13)。
 この集う村を篤農家が支えていた。篤農家は技術者であり、かつ優れた経営指導者であり、教育者であった。篤農家は郷党のなかで暮らしていた。しかし、昭和23年の農業改良助成法による農業改良普及員になると、技術のみを指導した。農業の経営は指導してくれなかった。ただ、補助金が技術の普及へと人々を誘った。篤農家は沈黙した。こうして、自分たちの暮らし、農業を自分で考える(経営する)自主性、ともに支えあう「絆」を日本の村は失った(宮本常一著作集15『日本を思う』p245)。
 農業は、食管法で管理され、昭和35年頃から、農家が畜産振興政策に呼応すると、商社による鶏肉の買占めがあり、次に豚肉が買いしめられた。昭和44年から自主流通米が入ると、三井、三菱が酒米を買いあさる。伊藤忠は米菓用もち米、丸紅飯田は、米菓・ビール用屑米を買いあさる。挙句、海外との競争となると、国内農業は打ち捨てられる。農業の独立独歩、農村の自主性などあろうはずがない(宮本常一著作集15『日本を思う』pp271-272)。
 苦しくなって、岡山県奈義町からは名神高速の工事に600人が出た。長い期間の夫婦別居となる。すると、飲酒、博打、女遊びがはびこる。現在でも役場近くの30戸のうち7軒が飲み屋であると宮本は報告している(宮本常一著作集15『日本を思う』pp248-249)。出稼ぎに行くほど、人々は出稼ぎ貧乏になる。こんな状況の中で、どうやって、主体的に村づくりを考えよというのか。日本の村はこうして「世間」と「絆」を失いボロボロにされた。
 中国山地の新道と旧道の交差点に、村の貧しい者が飲食店を開いた。次に酒屋ができ、外来の呉服屋、博労もできた。土地の者でないから、土地の掟、貸し借り関係には従わない。こうして、借金を返さねば土地をとりあげ、10ヘクタールの土地を集めた。こうして、呉服屋は繫昌したが、農家は貧しくなった。中国道のインターチェンジ付近を買いあさる大阪商人の場合は、もっと激しく開発し、植民地化がすすんだ(宮本常一著作集15『日本を思う』pp252-253)。
 旧来の村の中の関係性の中での建設仕事の回し、仕事を得るための談合は、村の世間の貸し借りの必然でもあった。
 確かに、談合は公金不公正支出である。しかし、生きる術、支えあう術を失った村が、生き残る最後の手段でもあった。建設業がなくなった村が、今、多くの高齢者を抱えて消えようとしている。災害が来ても、復旧に主体的に動く地元建設会社もない。村は疲弊し、村の暮らしは消滅し、点在する集落に、多くの独居高齢者が残る。
 こうした厳しい状況の中で、日本の村の新しいあり方、主体的な地域づくり、再構築が求められている。
 この村の語り合いは、本来、神のもとの公正であった。神を失った現代の神とは何か。神なきなか、特定の人が独占する談合がはびこったから、批判された。本来、利益は、親方子方皆のため配分するものであり、独占すると長者没落譚となる。(宮田登「「世間」の中の日本文化」p21)。今、皆の利益、村の利益という公共心、疲弊しつつある郷土への愛着、誇りを神に置き換え、豊かな公開談義のなかで、日本の村の意味を語り合う時期に来ている。

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2015年1月15日 (木)

お遍路のインバウンド観光、

にし阿波インバウンドフォーラム」(徳島県)で、エラリー・ジャンクリストフ(DOUBLET社、翻訳者)、松山良一(日本政府観光局JINTO理事長)、川瀧弘之(国交省観光庁観光地域振興課長)、清水慎一(観光地域づくりプラットフォーム推進機構会長)、らのお話を伺った。そのメモ
■フィーチャーブランド社 国家ブランド指数(2014-15)ランキング
・総合ブランド では、日本、スイス、ドイツ、スウェーデン、カナダ、ノルウェー、米国、豪州、デンマーク、オーストリア
・観光ブランド では、イタリア、日本、米国、カナダ、豪州、フランス、ニュージーランド、スイス、ドイツ、オーストリア
ところが
・世界経済フォーラム(WEF)旅行・観光競争力指数(2013)ランキング では
スイス、オーストリア、スペイン、英国、米国、フランス、カナダ、スウェーデン、シンガポール、豪州、ニュージーランド、オランダ、日本14位(これでも2011年22位から8ランクアップ)
・外国人訪問者数 フランス8473万人(6600万の人口で)、以下、米国6977万人、スペイン6066万人、中国5569万人、イタリア4770万人、以下、対、マレーシア、香港、マカオ、韓国、シンガポール・・・日本27位1036万人
 フランスを基準にすれば、2020年までに2000万人のインバウンドではなく、1億人のインバウンド客にせねばならない。
■観光の名目GDP構成比は5%24兆円(H24)=建設業6%27兆円
 雇用誘発効果399万人 全就業者の6.2%(H24)
 国内旅行消費額のインバウンド比率 6%(日本)⇒しかし、フランス34%、英国17% 韓国47%
■四国に関して "National Geographic Traveler” 2012,1 四国特集 Japan’s Past Perfect
 GeoEx社 Don George “Journey through Ancient Japan”
Mountain Hiking Holidays社“Hiking Temple to Temple in the Lost Japan”
ex.特定の資源を結んだ観光ルート ロマンチック街道=復興ドイツの戦略
 だったら、四国はお遍路のDNAやろう!
  外国人目線によるインバウンド=そこにしかない、行かないとわからない お接待
  インバウンドの絞込み   お遍路!
  広域連携:ワンストップサービス、 お遍路インバウンドのプラットフォームが必要だ
  インバウンドのための不安の解消=WiFiスポット、二次交通情報・高速バス整備、多言語サイト(SNS)、レンタカー活用・ガイド
 ⇒これらは、以前から私が言ってきた事。誰がやるのか、川瀧さんの言葉で言えば、お遍路のインバウンドは必然。逃げられない。誰が、腹をくくってするかだ。
▼エラリー・ジャンクリストフさんのすばらしい指摘「ニューヨークタイムス 世界50の観光地 で、四国遍路「弘法大師1200年祭がすんだ。今年から、ゆっくりまわれる」
Shikoku pilgrimage to temple to temple in the Lost Japan さて、誰が覚悟を決められるか?

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2015年1月13日 (火)

演習Ⅰ宿題、寄り合い、篤農家、世間師、文武宿、もらい子、商人

宿題
1)宮本常一の著作は、地域づくり、国土づくり、暮らしや産業づくり、コミュニティの合意などに関しての優れた情感あふれる記述:エスノグラフィーである。宮本常一の記述から、あなたの心にふれた、思わず熟読したくなるような描写(今和次郎のスケッチのような)を、2~5選びだせ。
2)選ぶ作業にじっくり時間をかけ、関心の向いた部分を探しなさい。本を1冊読んでの感想ではなく、あなたの視点での描写を求めている。
3)(自分の記憶、思いが先行して色眼鏡で見るのではなく、または、自分の視点がなく他人事のように適当に引き写したのではない)他者や私たちの地域・国土の未来を考えるとき(柳田國男の指摘する「同情」と「内省」)、宮本常一の記述を、自分の視点で、かつ原典を活かし10~100字で正確に描写しなさい。
4) 3)の描写を複数用意し、対話技法の素材、用意としたい。

※(この宿題を、私が受けた場合の複数の描写の具体例)+対話のためのノート
『宮本常一著作集第31巻 旅に学ぶ』1986年、未来社、pp223-225:突然、村から消え巡礼に出て、30年後、ぽっと帰ってくる。宗教だから、出先の村でも宿を提供してくれたし、村でも戻ってきた人を世間師として許した。宗教を通じた、外部とのコミュニケーションが日本の村にはある。
『宮本常一著作集第29巻 中国風土記』1984年、未来社、pp194-200:鉄穴場で石切をしつつ、田を広げてきた。さらに、木を切って、広島から吉野の樽丸に出稼ぎに出た。干拓新田、塩田、波止場づくり、段々畑の石工が集団で行動した。日本の村には移民、世間師は多かった
『庶民の旅』1970年、八坂書房、pp183-188:托鉢のような米持ちに対して、村では回り宿を提供した。個人では、喜んで宿を提供する千人宿もあった。
『庶民の旅』1970年、八坂書房、pp145-150:文武の才のある者に宿を提供する文武宿が、江戸時代にはあった。
『日本の宿』1984年、八坂書房、p214:落とし宿という盗人の宿がある。貧しいものでも貧しいなりに生きる連帯の社会があった。 
『宮本常一著作集第30巻 民俗のふるさと』1984年、未来社、pp64-58:乞食が集まり、落後者が商人になり、町となった。 
『宮本常一著作集第35巻 離島の旅』1986年、未来社:飛島では、北前船がもらい子をして、労働力とした。
『宮本常一著作集第15巻 日本を思う』1973年、未来社、pp305-308:篤農家が消えた後、人と人とを結びつける紐帯としての農業が消えた

寄り合いという対話技法『宮本常一著作集第10巻 忘れられた日本人』1971年、未来社、pp7-11:区有文書を宮本に貸す話の発議がなされると、
①地域組みで語り合い、結論を区長に持っていく(班で語り合い)
②区長・総代は聞き役             (聞き役)
③「よく話し合おう」という結論(即決せず、よく話し合うという結論)
④異論「昔、文書を借りて返してくれなかった例」(リスク指摘)
⑤関連ある話、多様な話             (拡散)
⑥まったく異なる話に移る           (話題転換)
  ある程度話すと、
⑦帳箱の中身は何か 役立つなら見せてはどうか(貸す意味を問う)
⑧(長老が)見れば悪い人でない 話を決めよう (人物見定め)
⑨外で話していた人も窓に寄り、話に参加する  (皆の参加)
⑩(求められて、宮本が)古文書の中の鯨を取ったとき着物化粧禁止などを説明(意味の説明)
⑪鯨が取れた頃の話            (想起による意味の再発見)
⑫(宮本を案内した老人が)どうであろう貸してあげれば(まとめを促す)
⑬あんたがそういうなら良かろうの声  (個人信用)
⑭(区長が)それでは私が責任を負いましょうと発言(責任者の引き受け宣言)
⑮借用書を書いて、皆の前で読み上げ   (書いて読み上げ確認)
⑯「これでようございますか」と確認する   (言葉で確認)
⑰皆が「ハァ それで結構でございます」
⑱みんなの前で古文書を渡す         (オープン行為)

上記個別描写をまとめた森栗のノート……寄り合いと篤農家がつくってきた日本の村は、出かけた経験のある世間師、文武の人を情報源・判断者として大切にした。町は、落伍者が支え、流通はもらい子が支えてきた。日本の村や町は、固定的なものではなく、驚くほどの話し合い、外を受け入れる多様な融通の仕組みがあった。
 コミュニケーションレスの現代日本は、この衆議とコミュニケーションの記憶を思い起こすことが必要である。

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境界での町の発達、長洲浜:宮本常一著作集30

東大寺領猪名庄についていた長洲浜に散所民30余が庄役や寺役から逃れ小野皇太后身や大夫の下につき、鴨御祖社の御膳奉祀の魚貝の御厨となり、平安時代の大阪地方では最大の集落、長渚庄となっていた。東大寺は気づかなかったが、応保元年(1161)には1000戸になり、東大寺は30戸を除い寺につけうようとして争った。p323

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