境界での町の発達、長洲浜:宮本常一著作集30
東大寺領猪名庄についていた長洲浜に散所民30余が庄役や寺役から逃れ小野皇太后身や大夫の下につき、鴨御祖社の御膳奉祀の魚貝の御厨となり、平安時代の大阪地方では最大の集落、長渚庄となっていた。東大寺は気づかなかったが、応保元年(1161)には1000戸になり、東大寺は30戸を除い寺につけうようとして争った。p323
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