サントリーとアサヒの狭間、大阪府京都府境界の山崎
山崎駅は、京都府と大阪府の境界にある。大山崎町は京都府だが、山崎幼稚園は大阪府島本町である。サントリー山崎醸造所は大阪府だが、山崎聖天と大山崎山荘は、京都府である。
この山城摂津境界に、中世の油座、水無瀬離宮が置かれ、対岸の石清水八幡の日使大神事に関わる大山崎神人が守護不入の地としてえごま独占権を得ていた。
朝日新聞大阪本社を設計した藤井厚二は、1920年、京都帝国大学建築学科設立に加わった。藤井は山崎で1万坪を購入し、1928年から隔年で、和を活かした建築を建てていった。現存する「鴨竹居」などが建ち、民芸に関心を持つ知識人も集まった。
一方、鳥居信治郎(サントリー創業者)は1923年に山崎にウイスキー醸造所を作り、技師として竹鶴政孝を迎える。竹鶴は、大阪での大家である芝川又四郎の紹介で、醸造所から谷二つ離れて別荘を持つ加賀正太郎に出会い、妻リタが加賀夫人に英語を教えた。竹鶴と加賀は、夕食、工場見学、ブレンディング批評、利き酒などの交流をした。
1934年 竹鶴政孝が大日本果汁を興したとき、加賀が筆頭株主となり、芝川も出資している。加賀はご主人様と呼ばれたが、竹鶴は専務であった。北海道余市では、熟成までは100%リンゴジュース、熟成するとウイスキーを出荷した。実際は戦中となり、海軍への納入であった。
1954年、加賀が株を朝日ビールに譲渡したため、ニッカは朝日グループとなっている。
朝日ビール初代社長の山本は、バーナード・リーチ、河井寛二郎の作品を収集し、柳宗悦などの民芸運動に共鳴していたが、山本の集めた民芸作品を展示するため、加賀の英国風別荘を、朝日のCSRとしてアサヒビール大山崎山荘美術館とした。
日本最初のウイスキー醸造を始めたサントリー山崎工場では、竹鶴政孝の名前を見つけることはできないが、アサヒビール大山崎山荘美術館では、控えめに竹鶴と加賀との交流を紹介している。
山崎は、京都と大阪、サントリーと朝日との、微妙な境界のなかで、日本のウイスキー文化を醸成してきた。ウィスキー醸造の境界都市は、硬い水と、淀川・桂川・木津川合流の谷あいという霧につつまれ、ウイスキーを熟成している。
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