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2014年11月 3日 (月)

難波千日前の開発

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1870年 刑場廃止(千日前、溝の側の南側)
1871年 堀の内(目明し管理廃止)
1871-73年 西ノ坊院主と香具師(目明し親分)奥田弁次郎が、溝の側(三途の川といわれた)の芝居小屋を千日前に誘致
1873年 六坊幹事;葬儀屋藤原重助が、歌舞伎役者三勝半助追善供養興行
 ⇒大阪市中悪所(芝居小屋、泊所、遊所)のうち芝居小屋が移転
1874年 阿倍野新墓所移転
1877年 奥田弁次郎興行開始
1878年 千日前の大火⇒清めの火事⇒仮説小屋の開発促進
1888年 奥田小屋から大火⇒本小屋化、道路の一間セットバック
旧浪速区(大坂三郷・南新地の外、下難波村河原)が、こうして開発される。
 こうして、近代に開発された千日前は、市内より、法善寺より、より猥雑、かつ悪所的楽しみのある町となり、高度経済長期は、御園のキャバレー・ユニバース、千日前ビルなどの大型遊興施設が立地したが、最近は、衰退していると思いきや・・・
 裏難波の横丁がブームだという。地蔵尊横丁、ユニバース横丁、ファミリー横丁。個性豊かな町に、若者が集まっているという。
 最近の若者は、自宅に閉じこもっている、呑みに行かない、「家呑」みってどういうことやねん!と思っていたら、新しい魅力が再発見されているらしい。
 11月8日ABC「おはよう朝日」で放送

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