生活研究はグランドワークで発見し、発見で仮説検証し、納得をつくる
毎回の授業は、講義が45~60分、受講生20人にオープンなワークショップ(以下WSとよぶ)を30~45分、個人の発見をA4の紙に大きな字、20字以内に書いて、白板に貼って行う。通常のWSと違うのは、ポストイットをKJ法で分類し模造紙に貼るといった、班活動ではない。限られた時間のなかで、皆が一言づつA4紙に書いて、それを白板で共有する、いわばオープンワークである。
私は、この方法を、フィールドワーク、まちづくりの現場でも、ときには行政の委員会・講演会でもとることがある。課題が横たわる臨床の現場groundにおける、総合的総体的なgrandこの見える化議論を、私は「グランドワーク」(以下、GWとよぶ)と呼んでいる。
10月から「地域交通コミュニケーション」の授業を受けてきた大学院生は、グランドワークに慣れてきた。ところが慣れてくると、「□□の悲劇」などといったメタファーや、個人の感想ではなく、自分の専門からの意見を書く学生がいる。これでは机上の既存知識の分断表示であり、発見がない。
生活世界は、自明の生活ゆえに課題が見えない。生活交通を議論している授業では、知識を切り売りするのではなく、教科書など提示した事実から、生活世界の問題を発見することが重要である。
そこで、次回の授業では、宿題として教科書の序章と第4章を読んでくるようにいっており、以下のような挑戦を、受講生にしようと思う。
「個々の感想ではなく、ましてや個々の先入観による評論、意見ではなく、ましてや、ひとり合点の下手なメタファーなどもっての他である。ただ、教科書に書かれた事実から、己の身体で、気になる事実をそのままに、または要約して具体的に切り取ってください」と伝えて、作業をさせたい。
身体で切り取るとはどういうことか。教科書に書かれた記述に対して自分のことのように感じ(対話し)、そして発見する(他者発見)瞬間。または、自己を他者のように扱い(記述と対話して)、自己の内面を発見する(自己発見)の瞬間。すなわち、他者発見と自己発見という、身体知の裏表を、丁寧に切り取って欲しい。発見の瞬間こそは、気になり、付箋をつける瞬間である。
結果、自他の異質性の認識により、わかっていないことを自覚する者こそ、信頼できる対話のパートナーたりえる。フィールドのメディエータたりえ、信頼が生まれる。個別の専攻や、博士後期課程の院生とかいう権威性を帯びない、立場を越えたわかちあいができる。これは、まちづくりフィールドに学生を関与観察させ、学生・住民相互の発見をうながすコミュニケーションと同様である。
フィールドワーク事後のWSでよく使われるKJ法は、小さな発見をまとめていった仮説の創発である。人間の実践への仮説適用は一回性のものであるから、問題意識の妥当性こそが重要となる(川喜田『発想法』1967、中公新書)
生活世界の研究では、仮説創発のなかで、感情、感性、想像力による相互浸透力が深まる交流の瞬間、まさに腑に落ちる(納得)の瞬間がたちあらわれる。
生活交通を学習するとは、問題解決技術ではなく、問題発見による仮説創発なのである。だからGWをするのである。
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