依身より依所 最澄
最澄の言葉に「おのずから住めば持戒のこの山は、まことなるかな依身より依所」というのがある。心を極める空海に対して、経典を集め伝教本山を形成した最澄らしい言葉である。確かに、鎌倉仏教をはじめた人々、西行、みな比叡山で修行している。空海と最澄の離反もこのあたりに起因しているのであろう。
が、私にとっては、どちらも必要に思える。
地域づくりの思い、まちのあるべきビジョンを明確にし、本当に必要なこと、あれかこれかを決定していく、心をあわせていくプロセスは重要である。
一方で、皆が語り合う場、物理的な集会所などの場所、定期的に集まる機会、プラットフォームのような集まり議論する組織形成も大切である。
凡夫、小人には小人なりに、まちのあり方、くにのあり方と己の意味を考えることも大切だが、一方で、それがなりたつような仕組み、場所をつくることも大切なような気がする。
私にとっては、小さいながらも「依身も依所も」というところであろうか。
来年から、大学院副プログラム「まち・みちづくりデザイン」を作ることにした。8科目くらいを用意する。社会人受講もできる。国や機関とも連携した実践ができるようなものにしたい。
依所に走ると非難されるかもしれないが、依所なくして依身なし
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