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2014年5月

2014年5月31日 (土)

青少年問題協議会

 A市青少年問題協議会に出た。地方青少年問題協議会法に基づく法定会議であるので、市長が会長となるものであるが、法律が改正され、市長でなくとも良くなった。A市長の意向もあり、青少年問題は区に任せる方向であり、かといって法定協議会であるA市青少年問題協議会を廃止するわけにもいかない。そこで、私が会長候補として火中の栗を拾うため協議会に出ることになったようだ。
 メンバーである(都道府県)警察本部生活安全部長のお話によれば、
・A市は少年の刑法犯比率が全国ナンバーワン
・刑法犯少年は、特定者に集中し再犯が多い。
⇒警察は、小学校段階で犯罪被害防止教室や、事後はたちなおりセンターなどで支援しているが、家庭や地域での居場所、立ち寄り場がないことが問題である
 これに対して、
■地縁組織における子ども事業に長年関わった委員
「家庭に居場所がない、家庭が問題だとは悲しい」という発言
⇒家裁保護関係の方だったか?
「従来は、皆が不良になる危機(ちょっと不良に憧れる気持ちも含め)をもってきたので、その保護育成として、スポーツ指導、キャンプ、青少年会館、野外活動施設、こども文化センター、こどもの日行事などが意味をもっていた」
⇒青少年指導員代表
「これまでも不良になりかける子どもをスポーツ指導(無償)で救ってきた青少年指導員からすれば、今更、居場所がないといわれても、自分たちは役割ははたしてきた。A市の青少年指導員は無報酬にも関わらず平均年齢約40歳と活発に活動してきた。不良に行かさないよう努力してきた。そうした事業を区に移行するというならそれでも良いが、予算を減らすようでは困る」
■政治家x行政
「子ども青年予算は確保し、小学校校庭芝生化などを推進している。きめ細やかなサービスをするため、予算を区役所に移動し、子ども青少年施策を展開している」
⇒市民
「学校と地域が結びつこうと思っても、学校選択制などの施策は、地域で子でもを守る活動に逆行している」
⇒政治家
「それは政治判断」
◆プレーパーク運営や母親かけこみ寺を運営しようとしている医師
「現実は、今日ではA市内の社会格差が広がり、子どもの貧困を産み出し、特定者再犯の大きな誘因になっている。格差のもとで子どもの居場所、たまり場、相談相手がいない。老人憩の家・老人の見守り・老人への食事サービスはあるのに、子どもの虐待、食事を与えられない子ども、育児放棄からの逃げ場がないのは、行政施策としてバランスを欠いている。さらには、そうした子供の貧困、家庭崩壊を作り出しているのは望まない妊娠、ドメスティックバイオレンスがあり、格差と子どもの貧困が連鎖、再生産されている」
 「近所の親切なおばちゃんが、親切心で注意してあげても解決する問題ではない」

「むしろ、妊婦サポート、母親駆け込み寺・カウンセリング、子どもの居場所としてのプレイパーク、学習支援の子どもの家に学生など外部人材が入り込むなどが必要である。PTAも学校、地域、親が連携せねばと思っているが、十分な連携がとれていない」

 スポーツ指導している青少年指導員も、子ども会を運営している人も、母親カウンセリングしている医師も、政治家も行政も、親切なおばちゃんも、みんな誠実に動いているのに、大都市として、子どもの貧困の解決の糸口が見つけられない。
 私は「子供の貧困」という現実が、自分の身近にあり、しかもA市の責任を負ってしまい、眠れぬ夜を明かした。
 医師会の理事の母親カウンセリングや、プレーパーク運営の民間団体など市民の努力が救いであるが、どう施策を展開すべきなのか、絶句している。

 

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2014年5月24日 (土)

矢島隆「街路構造令40年の展開(その2)」『都市と交通』79、日本交通計画協会、2010年

1919年制定の内務省令に街路構造令があった。旧道路法では、都市間連絡の道路よりも、都市内道路である街路の方が優位(?=より余裕をもった設置基準であり、都市内ではより尊重された[森栗補足])で、緑の広幅員歩道、緩速車道・自転車道の規定があった。優れた街路構造令があったのである。
 戦後、自動車行政・交通行政が異なる省庁になったため、1958年に政令として道路構造令により一本化された。それ以前は、街路構造令によって関東大震災復興、戦災復興で、豊かな道路環境を残してきた。
 1917年、
自動車7千台、荷車1936千台、荷牛馬車244千台、自転車420千台、人力車126千台
 1924年、
自動車40千台、荷車1963千台、荷牛馬車393千台、自転車4597千台、人力車77千台
 1933年、
自動車157千台荷車1596千台、荷牛馬車401千台、自転車6895千台、人力車23千台
 という状況下では、緩速車道を基本とし、必要あるときは高速道(3m)、自転車道(1m)を置くことができる(第3条3項)とある。戦災復興街路計画では、緩速車道に自転車通行空間を含んでいた。
 ところが、1956年に名神高速道路を提言したワトキンス報告では、「道路上で交通はたえず自転車、歩行者、および荷牛馬車により阻害され」ていると指摘されている。
 これを受けた1958年の道路構造令は、車道幅員を自動車の設計交通量と関連して規定し、自転車道は書かれなかった。緩速車道の広幅員のなかに、自転車も荷車も入れ込んだ。
 そして、第8条に「緩速車道は車道の各側に、分離帯によりその他の車道の部分と分離して設けるものとする。緩速車道の幅員は、3.5m以上とする」とある。
 車道と植樹帯で分離した緩速車道で、荷物の積み下ろしをし(必要幅員2.5m)その脇を自転車が通れ、となった。自動車を中心とするので、他は停車帯を含む別なところに移れというのである。
 しかし、さらに「自動車交通量が大きくなって交通容量を越えた場合は、当然高速車道の幅を増加しなければならない」と、教科書に書かれた。結果、都市は高速自動車であふれて渋滞し、無料駐車帯が流れをせき止め、自動車使用マナーを自己中心・個人消費に落とし込み、日本の都市景観を劣悪なものにしてきた。
 さらに、1970年改正道路構造令では、
・増大する自動車交通に対処するため、緩速車(自転車)を本線上から分離し、高速の自動車の車線主義による復員方式に改めた。
・自転車歩道を新設し、歩道を自転車が走れるようにした。(道路交通上は歩道扱い)
・市街地道路には原則として停車車帯を設けることになった。
・1級道路の設計速度を60km/時に引き上げた場合、車線の幅を3mから3.5~3.25mに広げることを要求した。
 この基準の先導的モデル:1955年整備した姫路城前の幅員60m×830mシンボルロードなどでは、1888年には、都市美観観点×自動車交通対処から、緩速道が廃止されて、両側14.625mのw並木の歩道になっている。Img
 こうして失われたのは、自転車の空間であると矢島氏は指摘している。だから、自転車等の復活をというのである。
 しかし、自転車道欠落は、道路構造令欠落の一部結果であって、全体ではない。

道路構造令の哲学は、
・自家用自動車中心主義
・計量効率主義、分類機能単純化
である。高度経済成長、自動車急増時代に、この哲学と技術が日本社会に多大の貢献をしたことは認めねばならない。
 しかし、現今の成熟社会で、自動車保有数が伸びない、シェアなど多様な移動手法、情報通信など多様な消費動向、健康志向と地球環境を考えたとき、道路のあり方も再検討する必要がある。
⇒人・暮らし優先で、所有のみならずシェアの多様なクルマ・自転車も活かした
⇒総合的まちみちづくり(複合的生活機能)
が求められている。
 具体としては、
・超小型電動自動車・タウンサイクルシェア
・バス・自転車・タクシー複合専用レーン(仏国のような)
・そのための、道路空間の再構成とそのための公物管理と公物警察とのおりあい法整備
・そうした制度を地域デザイン、地域コミュニケーションに移すためのマネージャーの制度化、予算化が必要
と考える。
 こうした道路空間再構築に於いて、電柱地中化、協働の修景整備などが平行して求められている。

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2014年5月20日 (火)

能勢電吉川農業協働組合設立?

昨夕、地域交通まちコミの授業は、三好@招聘教授・武庫川女子大教授に、これまでの郊外団地設計の経験から、明舞団地地区センターのリノベーション、能勢電アートライン妙見の森まで語っていただき、郊外はどうあるべきかを議論した。
 T君が「ときわ台でしかできないことは何か!それは農業だ」と興奮して語りだした。
そこで、T君に、授業の課題の提案
「能勢電吉川農協設立案」
 地区の放棄田、貸切農園を対象に、自治会が賃貸契約をし、水田耕作者を募集。
・作業は田所有者が指導、農機も含めた道具は田所有者が貸し、扱いを指導する。
・耕作者は、水の調整を指導を受けてすることができる。
・耕作者は、共同作業に参加せねばならない。
・耕作者は、田を見回り、所有者の指導を得て雑草をとることができる。
・耕作者は、収穫して精米した米を自家消費に使い、残りを能勢電マルシェで売ることができる。その出荷のために、台車ごと電車に無料で乗ることを認める。
・耕作者は、村の共有藪などで、筍を一定量収穫し、自家消費に使い、残りを能勢電マルシェで売ることができる。
 田地賃貸料+肥料代+苗代≦指導料+機械使用料+自家消費+販売売上
で可能ではないか。収益見込みも明示する。
 公募は能勢電広報誌で行い、ときわ台が優先する。

T君、この具体案を、課題としてやらんかネ!地元に提案してみよう。 実現させよう!

 

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2014年5月19日 (月)

大都市近郊の集落維持

学生と能勢電鉄沿線のまちづくりを学んでいる。18日、終点、妙見口駅前の吉川地区で、自治会長さんにお話を伺った。率直な吐露をいただき、感動したのでメモする。
 能勢電鉄は、阪急川西能勢口駅から妙見口駅、団地の日生中央駅を結ぶ阪急グループの中小私鉄である。かつては、能勢方面から「三白三黒(米、寒天、高野豆腐、牛、栗、炭」輸送、大阪商売と芸能の北辰(北極星)守護神の能勢妙見参詣輸送で栄え、70年代は団地開発で栄えた。
 しかし、近年は道路が良くなり、クルマ移動と団地と川西能勢口を結ぶ直通バスにより、能勢電は危機感を持って、沿線価値向上に取り組んでいる。なかでも、妙見口駅前の吉川集落は315人の集落で子どもが数人。駅から黒川駅(妙見ケーブル下駅)まで2㎞の距離にあり、10分ごとに電車が到着し、梅田から1時間の里山集落である。
 しかし、便利であるがゆえに、子どもたちを外部に働きに行かせてしまい、高齢化したなかで集落維持の困難を感じている。そのポイントは、
 ・電車の10分ピッチのダイヤは維持できるのか
 ・集落の山だったときわ台団地の子ども(吉川集落内の小学校に通って来る)が少なくなり、隣の小学校との合併で、明治7年以来の学校が集落からなくならないか
 ・人手不足のため棚田が畔のない貸し農園となり、出合い仕事(水路整備など共同作業)が難しくなり、里山の景観・水環境が守れるのか
という危機意識がある。
 しかも、その危機感が集落全体に共有化されていない弱みがある。
 こうしたなか、H23/11に公民館の公金支出(?万円/年)が不可能となり、住民維持の自治会館に切り替わった。住民は人件費0円、貸し館事業で何とかやってきた。
 H24/3-4からは、花折街道(※)などまちづくり連絡会議を始めた。
 H23/12 能勢電も妙見口ー黒川の活性化を模索
 H24/3 一方でふるさとの風推進会 が動きだし、そのなかの女性グループ(なでしこG)がひなまつりなどで活躍する。

※吉川からは山越えで池田に向かう長尾街道があった。一方、猪名川を遡り一の鳥居から分岐して吉川に入る花折ができて、吉川は妙見宮の門前町となり栄えた。また、多田銅山の山下の町へは、醤油を買いに行った山下古道があった。山下古道はマウンテンバイクの道として活用が期待される。
 

 

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