« 2014年2月 | トップページ | 2014年4月 »

2014年3月

2014年3月27日 (木)

40年ぶりの国東巡礼

学生の時に国東六郷満山の巡礼道を歩いた。富貴寺から長安寺、天寧寺を歩き、夷渓谷の民宿に泊まった。長安寺で六郷満山を開基した仁聞菩薩の話について熊野修験と宇佐八幡の話になった。住職は歴史分析だけではなく、それを信じる地域の暮らしを見るべきだといい、歴史学の先輩と論争になった。説教が延々と続き、クルマで夷峡谷の民宿まで送ってもらった。民宿では食事が遅くなり、翌朝は日曜だったので、一つ下のバス停まで慌てて走った。それでも、ぼくは火傷しながら味噌汁を飲んだことを覚えている。携帯電話、PCのない40年前の話である。
 今の私は、人文研究とは遠くなり土木計画や協働政策をやっているが、久しぶりに国東を訪れた。
 鬼が一夜で築いたという石段を登ると磨崖仏があり、洞穴の奥に枯れることない水がしたたり落ちる穴観音、絶壁の山を登ると西に夕日観音、東に朝日観音。
 真木大堂や中世田染荘の景観に息をのむ。世界農業遺産らしい。
 天寧寺の阿弥陀如来像は愛嬌のある顔立ちだが、大正8年に帝室博物館に貸し出され、昭和16年の洪水で流された本堂再建のために売られ、平成9年に県が買戻し、県立博物館に貸し出されたのを、平成15年、地元に鬼会の里伝習施設ができ、84年ぶりに里帰りしたという。
 学生の時には気づかなかった、地域の思いに、ようやく気づく歳になった。仏像も、伝説も、暮らしに尊敬と感動をもって見れるようになった。
 久しぶりに、あの民宿によってみようと思い、現地で探した。民宿「みさかえ館」は、もう廃業していた。信仰のよるべであった教会の道を入ると、民宿は廃墟であった。裏にまわると、鹿が驚いて飛び出した。
 ぼくが走った前田バス停もなくなり、時代の流れを感じた。
 田染の里では、サポーターの寄付がある、補助金で立派な施設もあるが、地域の連携は難しそうである。圃場整備も合意できなかったから、荘園景観が結果として残った。
 補助金、整備があればあるほど、世代交代ができないまま少子で先が見えなくなってしまう。緊急雇用で若者を置くが1年で終わり。
 補助金、緊急雇用ではなくて、介護保険の地域支援や、総務省の地域支援員、加えて道路の住民協働の雇用、農業後継者支援など、10年ほどの長期の多様な雇用を地域の置かねば、若者を定住させねば、地域はもたない。
 過疎地の限界は、補助や雇用メニューが省庁縦割りだからであり、もっと基礎自治体が若者定着を計れるような総合メニューを提示すべきであろう。
 豊後高田市 頑張っている。何とかしたい。

Image

Image_2

Image_3

| | コメント (0)
|

2014年3月25日 (火)

排除しない思考、ケアから遠いところに近しいものがある

中岡成文先生(臨床哲学、倫理学)を送る会(退職懇談会)に出た。元同僚の鷲田先生も来られていて、面白い議論だった。
・排除しない思考は可能か?という問いに対して、
 ⇒強い排除は避けられるが、弱い排除は残ってしまう。
・臨床哲学を考えたとき、医療看護ケアまず思いついたが、次に一番遠いもの 芸能・風俗などを考えた。
 ⇒遠い物のなかに、類似性があったとき、汎用性が可能と考えた。ホスピタル、ホスピスのHoは、ホステス、ホテルのHoとラテン語では同様。

「なるほど」とメモ

| | コメント (0)
|

2014年3月23日 (日)

センバツ甲子園開会式は日本の縮図

自宅に留学生がいるので、甲子園に連れて行った。
 無料の外野三塁側、アルプス席との境に陣取り、開会式と神村学園(鹿児島)vs岩国(山口)を観戦した。
 前の席は、第3試合の小山台(東京)の同窓会らしき女性たち、そこに一人のお爺さんが割り込んできた。留学生の横には、足元がおぼつかないお爺さんが、入り込む。良い席なので、隙間はまったく無くなってしまった。
 開会式が始まる。司会は、全国放送コンクールで優勝したという鹿児島純心女子高校と鹿児島鶴丸高校のアナウンス。緊張したアナウンスが素晴らしい。国旗掲揚の「君が代」は、高校音楽コンクール優勝者の男性独唱。入場行進は、近畿合同警察音楽隊、大会歌は西宮市高校吹奏楽部合同チーム、合唱は神戸山手女子学園。
 高齢化社会といわれるが、高校生の活躍を目のあたりにすると、つくづく日本も可能性があるなあと思う。
 毎日新聞社長の挨拶がとてもよかった。今大会の入場行進曲には「今日よりもよくしよう」との一節があり、ひたむきなプレーを通じ、復興道半ばの被災地の方々と思いを分かち合いましょうと呼びかけ、最多出場の龍谷平安を紹介した後、気仙沼市東陵高校を紹介すると拍手が鳴りやまず、しばし時間を置いて、初出場、奄美大島の大島高校を紹介すると、また拍手が鳴りやます、5万人の観衆が被災地と離島の若者の出場を讃えた。
 高齢化、離島や地方の疲弊、災害多発、私たちの生きる日本は困難な時代である。でも、戦争や公害等、大変でなかった時代があったろうか。
 センバツ入場行進を見て、思いやり支えあう、私たちの邦のあり方、あるべき方向を見た思いがした。201403220002_000_m_2
 私も、小さな役割を果たしたいと、改めて思った。

 第一試合が始まると、関学の留学生と、隣の爺さんが英語で喋りでした。爺さん、関学のOBで、40歳まで山口県下松の日立製作所エンジニアだったらしい。40から50歳台までは、あまり地域愛着のある仕事ができなかったようである。
 今は、中国の会社の顧問をして上海に住んでいるが、高槻市の敬老パスを持っているという。山口県に親しみがあり、一人で応援に来たらしい。
 日本の団塊の世代のエンジニアが、技能を活かして中国・韓国の会社に再就職したのであろう。再就職を辞め、高槻に住民票があり敬老パスをもらっているのに、なぜ、PM2.5だらけの上海に住み続けるのか? 調べてみた。
 一般論として、団塊世代の技術者が、技術のみならず秘匿情報も含めて持ち出し、中国、韓国、台湾に再就職することもある。その場合、高額の報酬が本人に支払われ、配偶者にも資金提供がある。が、高齢になってからの中国移住は配偶者から拒否されることが多く、その場合、身の回りを世話する女性がつくこともあると一説にあった。広義のハニートラップである。
 彼は国籍、住民票を残したまま、ひょっとすると配偶者も残したまま、ときどき戻ってきては、一人で甲子園に来て、酒とバナナと煙草を楽しみつつ、山口県代表を応援するのか?上海に住み続けねばならない理由があるのであろう。
 隣の席の爺さんと留学生が話していると、前の爺さんが話しかけてきた。「岩国の4番バッターは、二十八と書いて、つちや と読むんですよう」「岩国は、明治神宮大会で準決勝までいって…」
 なかなか詳しい。高校野球のセミプロである。
「小山台に少年野球で教えた子がいるもんで」「私の母校が小山台に負けたもんで」
 「えっ、どこの学校ですか」
「早稲田実業です」
 なるほど、確かにセミプロである。 


 
 
 

| | コメント (1)
|

2014年3月16日 (日)

新婚旅行の起源、龍馬と霧島

 寺田屋事件で傷ついた坂本龍馬は、薩摩藩の傷湯、霧島の塩浸温泉にお龍を連れて一ヶ月ほど塩浸温泉などに逗留、霧島高千穂峰に登り、ニニギノ尊が突き刺したという天逆鉾の柄を引き抜いたといわれる。20140314_2 20140314_3 20140314_4
 NHK「龍馬伝」で使われた天逆鉾のレプリカが、塩浸温泉の資料館にある。龍馬の乙女姉への手紙のレプリカもあり、高千穂登山の記録が描かれている。
 これらの龍馬新婚旅行の軌跡は、木道と地図があり、ウォーク行事が市民活動として展開している。
 残念ながら、塩浸温泉地区は急崖地帯で宿泊施設を設置できないが、霧島温泉投宿客にもふれてもらいたいl。近くの嘉例川駅は100年になる木造駅舎で風格がある。毎土曜、日曜には、特急「隼人の風」向けに、地産地消の弁当が販売されている。
 地元の観光連携が、待たれるところである。行政は、こうした市民活動を支援する手立てを考えてほしい。霧島市のコーディネーション力に期待している。

| | コメント (0)
|

2014年3月14日 (金)

北辰に身をひきしめる

北海道庁旧庁舎を訪問したとき、赤い星飾りと北海道の旗に、感慨を覚えた。L http://www.hokkaido-jin.jp/issue/sp/200603/sp_01.htm
開拓使船の旗にはじまるこの赤い北辰(北極星)を見ると、戊辰の戦に破れた旧幕府側の人々の新天地にかける思いに身が引き締まる。
 3月8-10日、北海道大学観光高等研究所の勉強会に出たついでに、サッポロビール園に出かけておどろいた。ここにも、赤い北辰が輝いていた。20140310 20140310sapporobeer でも、この大切な北辰の施設の背景に、ありきたりのショッピングセンターはないよね。もうちょっと、誇りを持ったデザインにして欲しかった。残念。

| | コメント (0)
|

2014年3月 7日 (金)

井上孝夫「寝太郎伝説の深層構造」(土木民俗学)

ものぐさ太郎、三年寝太郎の物語の裏に、農地開発、井堰土木、及びその黒鍬技術の基に鍛冶の妙見信仰があることを、説得的に論証している。
 山口県新幹線厚狭駅前には寝太郎の銅像がある。三年寝ていたが千石船と草鞋千足を用意し佐渡島に行き、その草鞋を大量の桶で洗って砂金を集め、そのカネで沓に堰を築き用水を引き千町ヶ原拓いたという。沓の鴨神社は元は、「大内多々良氏譜牒」の百済の琳聖太子妃ともいわれ、聖徳太子に周防大内県を賜ったという。この大内氏が妙見信仰を広めたという(北辰妙見は琳聖太子と同体)。大内氏はさらに石見銀山を開いている。
 さらには、鴨氏支配以前、大内支配以前、厚狭之禰太郎が開拓したという伝承もある。
 井上氏は、鴨神社支配の伝承、大内氏の伝承をそぎ落とし、残った禰太郎伝承を、子(北極星)の太郎(たたらをふく人々)と、本質を描いている。
 その核心部分、妙見信仰や鉱山伝承は、若尾五雄『黄金と百足』などに由来するものである。
 えっ!それって、昔、30歳頃に、若尾先生のレポートが重複が多く、論旨がバラバラで、誰も認めなかったのを、ぼくがゴーストライト、解説した本。びっくり。
 25年して、土木が、僕のところに戻ってきた。
 おそらく、草鞋1000足は、砂金ではなく、佐渡から余剰土木技術者を調達したことであり、鍛冶作業ができるから、黒鍬(今のツルハシ)による土木開発ができたと考えられる。
 寝太郎は、土木計画の人員調達、器材調達、資金調達のため、時期を見ていたのである。
『社会文化科学研究』第12号掲載、著者は教育学部の社会学の先生らしい。

| | コメント (0)
|

2014年3月 4日 (火)

誰がエリアマネジメントを担うのか(まちみちコミ研 in 東京向島)

28日八王子市館ヶ丘団地、3月1日まちみちコミュニケーション研究室in向島 で、道路とまちのことを考えた。
 これまでは、増加する自動車交通に対処するために量を安全にさばく必要があり、活用や長期スパンの管理、協働の意識は充分ではなかった。
 今後は、道路空間の再配分も含め、暮らしの質を問うていかねばならない。
 一方で道路や橋梁隧道の総点検であり、長寿命化も喫緊課題で、その哲学が必要である。

 コミュニティの道路の扱い(オープンカフェ、自転車道、ゾーン30、一方通行化・歩行者道など)、地域観光、地域物流(時間制限、集中物流と台車運搬)のエリアマネジメントについては、地域に即した多様な工夫が求められ、公開プロポーザル入札が必要であろう。

 幹線ネットワークについては、総点検、長寿命化、自動車総量規制やバスレーンなど道路空間の再配分では、事業者の役割、国の役割と都道府県の役割、基礎自治体の役割をどうするか?すべてを、都道府県、基礎自治体に投げて良いものではない。地域ネットワーク、国土のネットワーク維持に関する哲学を、国は明確に持たねばならない。

誰がやっても同じ事業なら競争入札が妥当だが、地域を皆で支える、エリアマネジメントや点検や長寿命化には、専門家の役割、事業者の役割、住民の役割、行政の役割による、協働が求められる。

キックオフで、進士五十八先生から「道路が本で公園は末ではいけない」「道路は線じゃなくて、茶道の路地のように美の組み合わのなかで、後から道ができるのだ。(同様に、暮らしが大切で、それを支える道が後からできるのだ、直線の計画道路が先ではない)」「東京オリンピックの時に砂利トラが走り、公園が十分でなかったので子供がたくさん死んだ。それで児童公園が多くできた。この国は犠牲者が出ないと町が変わらないのか。それじゃいけない」とコメントをいただいた。目頭があつくなった。
 成熟した日本の国土ネットワークや地域エリアマネジメントは、犠牲がなくとも、心豊かで安全なものにしたいものである。その努力を、専門家とともに推進していきたい。
 向島の路地を多くの国交省、事業者の皆さんと歩いた。国交省の道路局を含む幹部が多数集まって、細街路を歩くこと自体が、時代の変化、政策の変化を予兆している。路地のなかで梅が美しかった。向島百花園の梅も見事であった。季節感を感じるのも豊かなコミュニティの要素だなあと感じた。Cimg7998 Cimg8029 右、鹿野@道路局もりくり対策官?、森栗、進士先生
Cimg8035 寄席文字の横断幕と百花園の梅

| | コメント (0)
|

2014年3月 1日 (土)

続沖縄講演事後訪問(那覇バス、琉球バス、ゆいレール)

25日、那覇バスをお伺いし、社長以下皆様と議論し、前向きに受け止めていただいた。
現状は、
▼那覇空港から南部戦跡ひめゆりの塔、摩文仁、玉泉洞に直通バスがない。ひめゆり塔から斎場御嶽(せいふぁうたき:世界遺産)に行くの2回乗り継ぎ、一日仕事。案内もないから、レンタカーになる。現状は、空港⇒モノレール赤嶺(表示もなく乗換)⇒糸満バスターミナルに行くと、摩文仁・玉泉洞行バスとすれ違う。糸満BTは名ばかりの操車場。ここで一時間待てというのか!市場に戻ると、綺麗とは言えないがディープな市場、魅力的。
▼伊原バス停近くに「第一外科壕」があるが、案内はない。観光化していない史跡、慰霊の場。もっと多くの人の知らせるべきだ。(2014/2/24記事)
▼米須民宿街の最寄「晴明病院前」は、平日8:06が始発、通勤に使えない。休日8:04の後は10:14。観光には使えない。糸満からバスを持ってくるのに、運転手の都合があるのだろうが、お客を乗せる気がない。こんな状態で、政策的補助をして良いのか?
▼路線図が道路に向けて貼ってあるって、路上に飛び出してみろってこと?Ihara_chizu
▼車中に路線図、料金表がない。
▼バス中央扉があるのに使わない。降りる人を待って乗る。時間の無駄。無賃乗車を恐れ、乗客を信用しない姿勢が、今や乗客から県民からバス信用されなくなっている。こんな姿勢で、税金投入があり得るのか。
▼なぜ事前にどこでいくら料金が変わるのかわからないのか。那覇市街に入る手前、糸満から490だった運賃が、突然560円になったときは、裏切られた思った。二度と乗るまいと
  内閣府調査(沖縄タイムス2014/2/23)によれば、
公共交通を使わなかった(国内観光客)⇒よくわからない40%から
                (海外観光客)⇒多言語非対応23%だから
 条件がよければ公共交通利用(県民)⇒80%以上
現状の条件の悪さを自覚し、もっと、利用者目線で考え直してほしい。

⇒近く 那覇空港から、ひめゆり、玉泉洞に直接にバスが出るという。
であれば、空港到着口に
3 4 というような表示をし、観光地バス路線とモノレールを一体的に示して、統一券売機を到着口、または羽田、伊丹に置いて、多言語で提示するべきだ。伊丹、羽田にはバス時刻も掲示しておくべきだ。あるかどうかわからないチケットを先に買うばかはいないのと同様、到着口に時刻案内もなければ、券売機もないのに、「公共交通を使いましょ」というほうがおかしい。
 そもそもクルマは面積をとる。大量の観光客を迎えるのに、大型飛行機が到着にあわせ一気にレンタカーでやったら、レンタカー待ちで空港内で大渋滞し、途上の国道でさらに渋滞し、二度と沖縄本島に観光客は来てくれないのではないか。
 クルマに頼りすぎた沖縄では観光の魅力はない。
⇒近く、モノレール・バス共通ICカードになるという。共通一日券など、料金の共通化、ネットワークの連携を図るべきだ。

| | コメント (0)
|

« 2014年2月 | トップページ | 2014年4月 »