緒方洪庵「世のため 人のため 国のため 道のため」
大阪大学の学祖ともいえる緒方洪庵は、「芙氏医戒之略(ふしいかいのりゃく)」に、医師の12戒を示している。これは、フーフェランド(C.W.Hufeland 、1764-1836)「Enchiridion Medicum」の訳本「医学必携」からまとめている。その抜粋
1.医の世に生活するは人の為のみ、おのれがためにあらず
⇒学問は、世のため、人のためにする。鉄道が好きだとか、名誉を得ようとか、金が欲しいとかはダメ。
3.其術を行ふに当ては病者を以て正鵠とすべし。
⇒学識をもって判断するのではなく、現場に学ぶことが大切
4.学術を研精するの外、尚言行に意を用いて病者に信任せられんことを求むべし。(略)詭誕の奇説を唱へて、聞達を求むるは大に恥るところなり。
⇒目立とうと奇説を唱えてはいけない。住民から信頼されることは、社会科学者の責務である。
7.不治の病者も仍其患苦を寛解し、其生命を保全せんことを求むるは、医の職務なり。棄てて省みざるは人道に反す。たとひ救ふこと能はざるも、之を慰するは仁術なり。
⇒困っている地域があれば捨て置けない
9.世間に対して衆人の好意を得んことを要すべし。学術卓絶すとも、言行厳格なりとも、斎民の信を得ざれば、其徳を施すによしなし。
⇒個別の地域だけではなく、世間から認められねばならない
と、述べている。
さらには、卒業生に「事に望んで賤丈夫(せんじょうぶ=心の卑しい卑劣なおとこ)となるなかれ」(梅渓昇著「緒方洪庵と適塾」)などの指針を贈っている。
繰り返し語られたのは「世のため、人のため、国のため、道のため」である。
緒方洪庵の署名な門下生の一人に、近代日本の「医療福祉の祖」「衛星事業の創立者」と讃えられる、長与専斎(ながよせんさい=1838~1902年)がいる。
「およそ達識遠見(たっしきえんけん)ある人の論説行為は、普通凡庸(ふつうぼんよう)の思想以上に超過するが故に世俗の容(い)るるあたわざるところとなり、意外のところに障害を蒙ること人間の常態にして、文明の世といえどもまた免(まぬか)るべからず」(「松本順自伝・長与専斎自伝」)
「畢竟(ひつきょう=つまるところ、結局) 事の成敗(せいはい)は忍耐勇往(にんたいゆうおう)の如何(いかん)に存するものと謂(い)うべし」(同)
ここでいう「道」とは、医道のことであるが、「子曰、朝聞レ道、夕死可矣」でもある。
道路は、国の循環器であり、地域の暮らしの毛細血管である。その道路を皆で支えようという志(道路特定財源)を、私事に使った官僚は大いに反省せねばならないが、一方で、93兆円の財政で40兆円の医療福祉年金穴埋めに苦しむ財務が、これを一般財源化しようというのも、これまた賤丈夫である。
そんなに自動車税があるなら負けてくれくれというのも、私利私欲愚民の言である。
離れですき焼きを食ってた連中は猛省せねばならない。かといって、俺にも食べさせろという財務にも道なし。
道路財源という志は、道路に限定することなく、「道」に使うべきである。
国土を維持する循環器、地域を維持する毛細血管である道路の持続維持管理、さらには、道路による地域の福祉・教育・災害時対応・地域活性化・車に頼りすぎないまちづくり(低炭素型)、さらには「道」を皆で支え合う話合い(協働のまちづくり)に使うのは、道理である。これらは、モノとしての道路と区別するため「みち」と表現する。
私は、たとえ世俗に入れられずとも、現場の声に学び、住民に励まされ、忍耐勇往をもって、「世のため、人のため、国のため、道のため」働きたい。
私の能力のはるかに及ばない名門大学や、優秀な学生・すばらしい仲間との出会い。温かいまなざし、寄付講座、といった天賦の機会は、人々の仏性によりもたらされたものである。誠実に役割を果たしたい。
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