亡き母の里帰り
昨夏、逝った母の一周忌が近づいた。
晩年、認知になった母は、故郷(滋賀県瀬田[現大津市])のことを繰り言のように語っていた。しかし、唐橋(琵琶湖南端、淀川水系の起点)を出た者は、「他所」として「在所」メンバーに入れられず、母は、故郷恋しくも資格要件なし、なのであった。
実は、曾祖母のCイシは、宇部炭鉱の選鉱婦や台湾で働き、苦労して没落した家と田圃4枚を再興し、後妻として産んだ長男に家督を継がせ、自らは神戸でC家を営んでいた。ところが、死後、瀬田でイシの葬儀を無理に出そうとして、混乱があった。
他所に出た人間が、故郷で祭事をするのは、村社会の道理が通らない。百歩譲って、姻戚が許しても、在所の人々が許さない。瀬田は厳しい村社会なのである。
この教訓を熟知している私は、神戸で実施する一周忌に先立って、高齢の姉妹兄弟に集まってもらい、懐かしい写真の幻灯会を昨日、そのC本家で行った(母は左)。本家の従妹の気づかいで、食事をとった。母が恋しかった瀬田蜆が山のように入った吸い物を皆で味わった。たくさんの懐かしい写真を見て、姉妹兄弟(私の叔父・叔母)らが、楽しく語らった。亡くなった男たちの若い時の写真も出てきた。土産に、印刷した写真集を持って帰ってもらった。
読経も位牌もなかったが、懐かしい仏壇のある部屋の隅から、母が祖父祖母と、見ているような気がした。
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