iPadを路上に置き忘れる森栗と、それを拾うスギヤマッチ
高速中年、石田先生@筑波大と森栗、それに法学部生と人類学学生は、須崎市内を鉄道でパスして、安和駅で下車し、焼坂越えで土佐久礼をめざした。調子よく飲料を飲んでいたら、いきなり安和駅。あわてて、リュック、それに山谷袋(ずた袋)、オッと忘れちゃいけない大切なiPadを手に下車。ところが、駅から焼坂への道がわからない。先達としては恰好が悪い。あわてて、袋のなかの地図を探そうとして、iPadを階段の路上に置いた(ようだ)。気持ち良く2時間ほど歩いて気づいた。「ない」「iPadがない。まあ、エーか。新しいのを買おう」と悔し紛れ。諦めたが、諦めきれない下り道、電話が入った。薬学の女学生だ。「先生、iPad落ちてました」「エー。Aさんの声が観音様に見える」(と、意味不明の発言)。とまどう女学生。「いえ、あの、安和駅で路上から拾ったのはスギヤマッチ(経済学部)でして」
その得意げな太平洋をバックにした記念写真が、冒頭である。
人はあせると、ミスを犯す。えー恰好しようとしてミスを犯す。いや、私個人の弱点でもある。いつも同じ間違いをする。なかなか治らない。しかし、この広い四国で、同じお遍路仲間の学生が助けてくれる偶然とは。感謝。感謝。
昨日あった人と、また偶然に再開したり、お遍路では多様な出会いがある。苦しい道のり、長い道のりのなかで、遍路は美しい風土に出会い、お接待の志に出会う。そうして、人は人と助け合うものだと、しみじみ思う。
スギヤマッチは、事後の感想文のなかで以下のように告白する。
専門性の高い修士の先輩方とまともな会話をすることができ(略)主体的に楽しんで、お遍路の厳しい道のりで自分のことについて改めて考え、自然の中に身を置くことで社会や世界のことを考え、人との出会いから他己分析をすることが出来た。(略)
今回、お遍路に参加することで「私にとっての自分」「自分にとっての社会」「他者からみた自分」ということを深く考えることができた。しかし、課題は山積みである。結局私は「自分」本位でしか物事を考えることができていない。もっと視野を広げて、もっと俯瞰的に物事を考えられるようになりたい。そのためにも、様々な経験を積み、人生の節目節目でもう一度お遍路をまわりたい。
いや、スギヤマッチ。あんたは、この4日間で自分の成長を自分で実感したよね。毎日の感想WSを聞いていて、私はあなたの成長を知っている。
俺にとっては、アンタはお大師さんや。真言宗では、相互の人格の中に仏性を発見することこそが、修行の第一。あんたは、十分、その入り口に立っているようだ。
iPadを拾ってもらった私には、確かにそう見える。
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