延藤安弘『まち再生の術語集』、閉塞感、物語、トラブル、巻き込み、愛着心、時間、しなやかさ、
延藤安弘『まち再生の術語集』を読んで、感じたことをメモする。
■しなやかさと強靭さはどちらも必要
閉塞感のある社会では、部分社会の内発的再生が必要だ[ⅱ]と延藤はいう。国土の強靭化がなければ、地域は存在しえないのと同様に、地域の内発的再生のない状況での強靭化は意味がない。災害復興でいえば、しなやかな地域(限定合理性を越えていくResilieneceリジリエンス[回復活動])のない強靭化などありえない
災害復興でいえば
①頑強性robustness
②甲斐性resourceful世話役の育み
③迅速性rapidity
④冗長性redundancy役割分担、助け合い、相互関係(p174)
ということになる。相矛盾することを並べているようだが、
グレゴリー・ベイトソンのダブルバインド理論にあるように、人間のコミュニケーションは複数の次元で重層的に発信されているのである。たとえば、理論的議論のなかにこそユーモアが意味を持つのである。(p86)
■巻き込むことの正当性
人間の意識発展は、
無関心unawareness⇒
巻き込みinvolvement⇒
参加participation⇒
参画commitment
と、展開する(P51)。恣意的な巻き込みは、客観的でない、民主的でないとの批判がある。しかし、ポランニーが考えていたように、個人的でない「客観的な」知などありえない。何かを知るとは、知る人を巻き込む形で意味が生起している(モリス・パーマン著、柴田元幸訳『デカルトからベイトソンへ―世界の再魔術化』国文社)(P69)からだ。
■ナラティブ・コミュニティデザイン
コミュニティザインには、二つのやり方がある。閉塞感のある社会の中で、特定の仕掛けだけをコミュニティデザインと称し、魔法があるかのごとくすがるのは、問題の解決を遅らせる。コミュニティデザインには、
①論理的動かす仕掛け
②物語性のあるナラティブ・コミュニティデザイン
がある。後者は、拡張した心(つぶやき、自信、共感)から導き出される。(河野哲也「脳から身体・環境へ―エコロジーアプローチと拡張した心」『岩波講座哲学 5 心・脳の哲学』岩波書店)(ⅴ)
①や②(延藤論も含め)など特定の手法に頼ろうとするのは、人間がいかにものを考えていないかの証拠であろう。
魔法はない。自分で考えろ!
■共生の意味と創り方
共生の実感こそ、生きるプライドであり=愛着心 ではないか。自動車は便利だけれども、愛着心を削ぐ。なぜなら、自動車やコンビニは、深夜にこっそり稲荷寿司を買うなど、個人生活にはとても便利でも、他人の自動車の存在が渋滞を生み、他人の外出が私の駐車スペースを欠損させる。有り余る便利に相当するだけの競覇性を有している。(p117)自動車に乗ると、急にバトル心理になり、おとなしい人が毒ついたり、意地悪になったりする「車上性格」は、この顕れである。
これに対して、おでん(関西では、関東だきと称する)は、個々の個性を残しながら、調和を発揮させる感性を有する食品である。(p151)延藤は、まちづくりは、「おでん」たれというのである。
ではなぜ、おでんは良くて競覇性はダメなのか。
それは、競覇すれば、たちまち勝ち負けが顕れ、栄枯盛衰、傲慢悲哀が生まれるからである。ささえあうことでの持続が、持続しようとする関わり(時間行為)が大切なのだ。ベルグソンは「持続」を「生命そのもの」の意味としました。時間とは、意識と同じ、あるいは意識の本質なのです(E・T・ホール著、宇波彰訳『文化としての時間』TBSブリタニカ)。意識を育む道具として時間の力を用いること=住民主体のまちづくりの意味(P163)はここにあります。
■トラブルとトラベル・ビタミン
でも、ときどきぶつかります。トラブルを創造のエネルギーにするとはいっても、なかなか現実はそうはいかない。そんなとき、コミュニティビタミンの補給があれば、相手のつぶやきや主張の背後にあることがらへの洞察と共感が、技術的・手続き的部分判断を越え、状況のなかでの「全体としての真理」をめざす力を生むのです(宇田川尚人「反省」『事典 哲学の木』講談社)。ビタミンは、一呼吸おけば生まれてくる。人間相手でなかなか難しいというならば、延藤は「トラブルに行き詰ったら、トラベルに出よう」というのです(P62 )。他を見回すことで、少しはビタミンの補給になるでしょう。
でも、準備体操も思考もしないまま(炭水化物も野菜もとらないまま)、最初から、サプリメントとアリナミンだけをのんでいる人が、研究者には多い。「欧州では…」。これを出羽守と揶揄するのですが、この手の研究者は、人畜無害ですが、役には立ちません。そういえば、橋下改革の大阪市内では、かつての偉い先生は、まったく消えてしまいました。出羽守は、屁のつっぱりにもならない。大阪市内の各地で単価の低い仕事を連続してしている私は、今度、通天閣で、屁に割り箸でツッパリをしてみようと思います。ひょっとしたら屁が立つか?これを屁理屈というのか?
私、もりくつ(森栗)
■リジリエントと必死のパッチ
震災復興まちづくりといい、くるくるバスといい、大阪市の平松市長敗戦後の協働まちづくりといい、外大の阪大吸収合併といい、私は「火事場泥棒」と軽蔑され、「死んでもタダでは起きん人やなあ」と揶揄される。
しかし、これもResilieneceな能力の一つではないだろうか。Resilieneceとは、「発達心理学的に言えば、逆境に直面し、それを克服しその経験によって強化される、また変容される普遍的な人の許容力」であり、「単に逆境を乗り越えるだけでなく、その経験によってその人が本来持っていた能力が開花されたり、新たな技術や能力を得て、逆境を経験するよりも望ましい状態に近づく力を意味する」(小花和・ライト・尚子「リジリエント」な社会とは)(P174)そうだ。それって、ほとんど、私の自己弁護?
さらに、私は危機にとことん強い。これを、延藤は、なでしこジャパンの奇跡的な米国戦勝利になぞらえて「必死のパッチ」力として、説明している。パッチとは、関西語で股引のことであるが、関西人は(延藤も)、トコトン粘り強く状況に挑戦し、状況転換する行為、及びその心性を「必死のパッチ」と表現する。それは、
① 動くプロセスの中での冷静な状況判断
② 偶発の状況に、自らの構造を変えながら反応するしなやかな瞬発力
③ 動く主体として動く
④ 必ず乗り越えられるという確信的想像力
により構成されている(p203)。
確かに、主体性②と瞬発力②は優れていると自分でも思うが、良く考えみると、意外に、興奮混乱時でも冷静な判断をしている①し、極端な前向き・性善説は、確信的想像力④のなせる業かもしれない。
こんなに、自己弁護して、どうするの? まあ、いいか。
■防災日常準備 地域防災のトリアージ、要支援者の分類を事前に把握しておき、いざとうときの行動に移せるようにすることが大切という。分類は、
A:要介助 B:要同行 C:要安否確認
である。(p184)
延藤論をまとめていたら、元ワークショップ論受講生からお礼のメールが来た。
参加者最年長 保健学専攻 M1▽です。先日は楽しいミニお遍路授業とおうちでのパーティに参加させていただきありがとうございました。
ミニお遍路と甲山ハイキングの後も筋肉痛になることなく無事に経過しました。とても楽しいアフターワークショップでした!!
参加者の方が楽しく充実感の残るワークショップを企画できるよう頑張ります♪(どうも、病院でそういう仕事をしているらしい)
「ピンチはチャンス」ならぬ「トラブルはチャンス」の精神で頑張ります。
森栗→▽さん
ご丁寧に、ありがとう。ついでにもうひとつ。
協働のビタミンが足らない人が増えて、組織や対人がどうしようもなく、病の「気」がどんどん伝染し、ケが枯れる ケガレ(穢れ)た人が続出し、私もトラブルに巻き込まれて危ないと思った時は、トラベルに出かけましょう。
何や、ダジャレ? 違います。知的構築でビタミンを失った人間や組織には、冗長とメタファーによる臨機応変運動が必要なのです。ゆえに、トラブル連続⇒トラベル です。
異なる専攻、異なる立場の人と、日常とはまったく違う行為を、体を動かして半日駆けるというのは、そういうトラベルなのです。
参加者最年長⇒まったく、そう見えませんでした。意識しているのは、自分だけかもしれません。私も、ケガレ⇒毛が枯れている(ハゲ) とは、言いません。自分以上には、他人は気にしていない。あんなに素晴らしい学生がたくさん来てくれた、もててるんだから、いらんことば、言わんかとです。
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コメント
貴法人には直接関係ないと思われるでしょうが、素案:東京五輪招致を含めた「高速鉄道開業沿線地域と大都市の連携」を送信させていただきたく思います。
つきましては、送信先メールアドレスをお教えください。
投稿: 野沢俊哉 | 2013年4月27日 (土) 08時10分