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2013年3月10日 (日)

上五島のキリシタン移住、信仰の歴史が穏やかな風土を創る

20130308高井旅教会は。1937年100名の洗礼があり始まった。1963年、今の教会を建てた。 20130308_2 それまでは、山を越えて桐教会まで歩いていた。20130308_4隣の福見教会(1913年建設)に行くこともあった。
20130308_6島の東端頭ヶ島はキリシタンの楽園ともいわれ迫害が及ばなかった。浜辺に墓地があり、10年前までは土葬だった。その一つの墓標には「陸軍砲兵伍長」の文字が見える。20130308_3 201303082 20130308jpg 冷水教会の前で子供たちが遊ぶ。五島の子供たちは明るい。Photo 20130308_5鯛ノ浦ルルド(聖水)と教会(1880年建設)。
 1798年、大村藩はキリシタン3000人以上を集団で五島に移住開拓させることになった。
貧しくとも間引きができないキリシタンは最貧であったから、よろこんで五島の僻地の苦難を受け入れた。
 ところが、1862年大村でキリシタン弾圧が始まり、さらに多くの人が五島に逃げる。なかでも最僻地の頭ヶ島は「クリスチャンの王国」とまでいわれた。しかし、幕末の混乱期、1867年には、五島でもキリシタン叩き出しが行われた。1870年には、有川郷士によって6名が殉教している。幕末から明治にかけて、隠れキリシタンと長崎の典礼を受けたクリスチャンが融合し、信仰の復活が徐々にすすんだ。
 大曽では、1879年に木造の教会があったが、1916年、レンガ造りの教会を建てた。
 船隠では1883年に宣教師が来て、ミサを開始。1927年、民家を買い受けて教会とし、戦後の復員者で人口が増え、1956年にやっと教会が建設された。佐野原教会も、青年会が1950年仮聖堂を作り、1963年、念願の教会が完成している。
 トイレを含め清掃の行き届いた教会、子供たちの姿・・・。心美しき風土は、江戸時代の歴史ではなく、戦後高度経済成長にいたるまでの苦難の歴史と努力によって築かれたのである。
 上五島は美しい。

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