大阪市某区地域活動協議会と在日コリアン
大阪市某区は、地域活動協議会を小学校区ごとのまちづくり協議会として展開することになっている。
これまでの自治会活動や地域福祉、地域防犯、地域衛生、地域子育ては、市役所の個別部局の縦割りで、ある意味で行政の下請け機能を果たしてきた。シニカルな見方をすれば、区役所は中二階で、自他ともに認める「住民の力になりきれない」弱さがあった。
一方で、従来の地縁組織には高齢化、組織率低下、活動の弱体化・形骸化に悩む地域も少なくなかった。むしろ、障害者福祉、子育て支援、高齢者福祉、環境、情報、アート、建築などのNPOや、PTA、スポーツ組織などに基礎を置くネットワークが展開してきた。
大阪市では、地域横断型のネットワーク融合をめざし、わがまち未来推進会議を関市長時代から進めてきたが、ときに、地縁組織に気遣い(対立し)、ときに盛り上がりを区役所からセーブ(抑え込まれてた)という不満が残ったこともあったと聞いた。区役所内では、現場に出かけ、熱心にサポートしてきた職員ほど、苦悩したかもしれない。
今、市政改革で、地縁系組織に縦割りで配分されてきた補助金・委託金等を一括して、各地域活動協議会ごとに交付し、ここに自主運営してもらうことになった。
そのためには、
【参加性】できるだけ多くの住民が参加する、新しい住民も参加する
【公開性】事業報告、予算決算の透明性。デジタル公開、口コミ・ミニコミ・マスコミ公開
【自立性】運営のための事務局の必要性
が必要で、そのための話し合いとしては、連合町会長がピラミッド組織で命令する形ではなく、
「小さく書いて」、「語り合い」「聴きあい」、まとめて行き、個々の行動に落とし込む
話合いの作法が必要となってくる。
某区は区長の意向で、率先してこれをやっている。ところが、勉強会講師の帰り際、在日三世のAさんから、長々と在日の不利益、地域での位置、昔と今の違い等々、思いを10分近く聞かされた。思うに、
在日一世は、忍従努力の日々であったろう
在日二世は、闘争怒りの日々であったろう
であるならば、
在日三世は、戸惑い、住民としての満たされぬ日々ではなかったか。初めて、まちづくり協議会の勉強会に出て来たというAさんは、最後に全員に書かせた「個人発意・決意のポストイット」に「将来有望」と書いたものを指し、「これはぼく。でも、選挙権を認められぬ状況、それを知らぬ少なからぬ住民、にもかかわらず私が住民として一緒にまちづくりをすすめる不安」を、語られたのだと思う。結論は難しい。じっくり、言葉に耳を傾けた。
きっと、実際の地域活動の中で、自然と相互理解できる部分が出てくるのではないか。それは彼自身のまちづくり活動の課題でもある。
在日コリアンほどではなくとも、障害を抱えた人、シングルマザー、独居老人など、多様な課題を抱えた人が、都市コミュニティには暮らしている。地域で活動をするということは、そのなかで、個々の個人としての苦しみも共有しつつ、かつその個性を、まちのなかで活かすことではないか。
「将来有望」にするかどうかは、実は、彼の「聴く」力であり、他人の多様な理解を通じて、はじめて、在日コリアンの法的にも社会的にも理不尽な状況が、共有理解されるのではなかろうか。ここに、二世の闘争の時代とは異なる、三世のまちづくりでの役割があるのではなかろうかとAさんに期待している。
自分が他者を理解しつつ、ともにまちづくりをすすめるなかでこそ、本当の理解、地域での相互理解が生まれるのではないだろうか。Aさん、ガンバレ。
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