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2013年3月

2013年3月31日 (日)

八尾市におけるまちづくりラウンドテーブルを核とした住民主体の地区まちづくり

敬愛する久隆治さんの「八尾市のラウンドテーブル」の論文『日本建築学会大会学術講演梗概集(関東)』2001年9月、を読んだ。ラウンドおおさかをどう位置づけるのか、今後の展開を考えるために文献を探したら、久さんが出てきた。
 小学校区に1つづつラウンドテーブルを設置し、課題対応型まちづくりでない、予防型まちづくりの対話の場の報告である。まちづくり協議会のような組織ではなく、多様な参加者の対等な対話の場だという。そのことで、行政の縦割りを超えた、初期的、主体的まちづくり目的としたラウンドテーブルを提案している。久さんが偉いのは、単なる議論・提案で終わらせず、それを実行してことである。
 しかし、八尾ではラウンドテーブルをまちづくり構想策定を視野に入れている。おそらく、豊中市の芦田さんがすすめた市民主体のまちづくりを意図してのであろう。しかし、豊中市の市民主体のまちづくりがその後もそのまま展開できているかというと、仄聞する限り、なかなか難しい。果たして、まちづくり事業そのものをゴールにして良いのかどうか、多様な模索が行われていると私は見ている。私は、豊中市の模索は、今後の展開を考える上では、重要な熟成期間だと思っている。ただ、次の展開を模索する「勇気」と「知恵」にチト欠ける。
 ラウンドおおさかの場合(参加者の一人としての観察では)、そもそも、まちづくりを標ぼうしない、ゴールに想定しない。大阪市域全体を対象とするラウンドおおさかでは、自由な対話の場としてのラウンドテーブル本来の機能、人材探し、人材活かし、個人の思いの醸成、多様な魅力ある24区のまち探しを目的とし、特定の「まちづくり」や合意形成を意図しない。
 いや、延藤『まち再生の術語集』を参照すれば、「巻き込み」「参加する」し、「物語を協奏する行為」そのもの、まちを生きる語り合い、市政改革でクビになった協会の職員が、再び福祉系職員として大阪市内に戻り、やっぱりこの町だと思う姿や、社会貢献したいと信用金庫に勤めたが単なる銀行会社にすぎないと悩みラウンドで語る姿、流行らない酒屋を営む住民が店を地域に開放して生きがいを見つけそれをラウンドで共有する姿。ラウンドおおさかは、人々のこの姿(プロセス)が重要であり、決して、まちづくり行為に収斂するものでない。定例自己紹介にすぎない、でも思いやつぶやき、語りに耳を澄ますプロセスそのものが、大切である。
 ラウンドの意図は、異なる目的生活仕事を持つ人々が、この町に共生する実感、すなわち結果としての郷土愛を模索するプロセスであり、それは人が町に生きる意味、人間の命そのものである。
 そうしてこの語り合いの場は、結果として市民鍛錬の場となり、Resilieneceしなやかな市民を育てている。それらが、24区で、個々に花を開くような気が、私はしている。それが、市民活動であっても良いし、まちづくりになっても良い。まちづくりを意図しないという姿勢が、結果としてまちを育てるという、相矛盾するダブルバインドで良いのではないでしょうか。
 大阪は、まちづくりに収斂することなく、ラウンドの良さを実践していきたい(と、参加者の一人として個人的に思っている)。

 

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2013年3月30日 (土)

延藤安弘『まち再生の術語集』、閉塞感、物語、トラブル、巻き込み、愛着心、時間、しなやかさ、

延藤安弘『まち再生の術語集』を読んで、感じたことをメモする。
■しなやかさと強靭さはどちらも必要
 閉塞感のある社会では、部分社会の内発的再生が必要だ[ⅱ]と延藤はいう。国土の強靭化がなければ、地域は存在しえないのと同様に、地域の内発的再生のない状況での強靭化は意味がない。災害復興でいえば、しなやかな地域(限定合理性を越えていくResilieneceリジリエンス[回復活動])のない強靭化などありえない
 災害復興でいえば
    ①頑強性robustness
        ②甲斐性resourceful世話役の育み
    ③迅速性rapidity
    ④冗長性redundancy役割分担、助け合い、相互関係(p174) 
ということになる。相矛盾することを並べているようだが、
グレゴリー・ベイトソンのダブルバインド理論にあるように、人間のコミュニケーションは複数の次元で重層的に発信されているのである。たとえば、理論的議論のなかにこそユーモアが意味を持つのである。(p86) 
■巻き込むことの正当性
 人間の意識発展は、
   無関心unawareness⇒
    巻き込みinvolvement⇒
       参加participation⇒
          参画commitment
と、展開する(P51)。恣意的な巻き込みは、客観的でない、民主的でないとの批判がある。しかし、ポランニーが考えていたように、個人的でない「客観的な」知などありえない。何かを知るとは、知る人を巻き込む形で意味が生起している(モリス・パーマン著、柴田元幸訳『デカルトからベイトソンへ―世界の再魔術化』国文社)(P69)からだ。
■ナラティブ・コミュニティデザイン
  コミュニティザインには、二つのやり方がある。閉塞感のある社会の中で、特定の仕掛けだけをコミュニティデザインと称し、魔法があるかのごとくすがるのは、問題の解決を遅らせる。コミュニティデザインには、
   ①論理的動かす仕掛け
   ②物語性のあるナラティブ・コミュニティデザイン
がある。後者は、拡張した心(つぶやき、自信、共感)から導き出される。(河野哲也「脳から身体・環境へ―エコロジーアプローチと拡張した心」『岩波講座哲学 5 心・脳の哲学』岩波書店)(ⅴ)
 ①や②(延藤論も含め)など特定の手法に頼ろうとするのは、人間がいかにものを考えていないかの証拠であろう。
 魔法はない。自分で考えろ!
■共生の意味と創り方
 共生の実感こそ、生きるプライドであり=愛着心 ではないか。自動車は便利だけれども、愛着心を削ぐ。なぜなら、自動車やコンビニは、深夜にこっそり稲荷寿司を買うなど、個人生活にはとても便利でも、他人の自動車の存在が渋滞を生み、他人の外出が私の駐車スペースを欠損させる。有り余る便利に相当するだけの競覇性を有している。(p117)自動車に乗ると、急にバトル心理になり、おとなしい人が毒ついたり、意地悪になったりする「車上性格」は、この顕れである。
 これに対して、おでん(関西では、関東だきと称する)は、個々の個性を残しながら、調和を発揮させる感性を有する食品である。(p151)延藤は、まちづくりは、「おでん」たれというのである。
 ではなぜ、おでんは良くて競覇性はダメなのか。
 それは、競覇すれば、たちまち勝ち負けが顕れ、栄枯盛衰、傲慢悲哀が生まれるからである。ささえあうことでの持続が、持続しようとする関わり(時間行為)が大切なのだ。ベルグソンは「持続」を「生命そのもの」の意味としました。時間とは、意識と同じ、あるいは意識の本質なのです(E・T・ホール著、宇波彰訳『文化としての時間』TBSブリタニカ)。意識を育む道具として時間の力を用いること=住民主体のまちづくりの意味(P163)はここにあります。
■トラブルとトラベル・ビタミン
 でも、ときどきぶつかります。トラブルを創造のエネルギーにするとはいっても、なかなか現実はそうはいかない。そんなとき、コミュニティビタミンの補給があれば、相手のつぶやきや主張の背後にあることがらへの洞察と共感が、技術的・手続き的部分判断を越え、状況のなかでの「全体としての真理」をめざす力を生むのです(宇田川尚人「反省」『事典 哲学の木』講談社)。ビタミンは、一呼吸おけば生まれてくる。人間相手でなかなか難しいというならば、延藤は「トラブルに行き詰ったら、トラベルに出よう」というのです(P62 )。他を見回すことで、少しはビタミンの補給になるでしょう。
 でも、準備体操も思考もしないまま(炭水化物も野菜もとらないまま)、最初から、サプリメントとアリナミンだけをのんでいる人が、研究者には多い。「欧州では…」。これを出羽守と揶揄するのですが、この手の研究者は、人畜無害ですが、役には立ちません。そういえば、橋下改革の大阪市内では、かつての偉い先生は、まったく消えてしまいました。出羽守は、屁のつっぱりにもならない。大阪市内の各地で単価の低い仕事を連続してしている私は、今度、通天閣で、屁に割り箸でツッパリをしてみようと思います。ひょっとしたら屁が立つか?これを屁理屈というのか?
 私、もりくつ(森栗)
■リジリエントと必死のパッチ
 震災復興まちづくりといい、くるくるバスといい、大阪市の平松市長敗戦後の協働まちづくりといい、外大の阪大吸収合併といい、私は「火事場泥棒」と軽蔑され、「死んでもタダでは起きん人やなあ」と揶揄される。
 しかし、これもResilieneceな能力の一つではないだろうか。Resilieneceとは、「発達心理学的に言えば、逆境に直面し、それを克服しその経験によって強化される、また変容される普遍的な人の許容力」であり、「単に逆境を乗り越えるだけでなく、その経験によってその人が本来持っていた能力が開花されたり、新たな技術や能力を得て、逆境を経験するよりも望ましい状態に近づく力を意味する」(小花和・ライト・尚子「リジリエント」な社会とは)(P174)そうだ。それって、ほとんど、私の自己弁護?
 さらに、私は危機にとことん強い。これを、延藤は、なでしこジャパンの奇跡的な米国戦勝利になぞらえて「必死のパッチ」力として、説明している。パッチとは、関西語で股引のことであるが、関西人は(延藤も)、トコトン粘り強く状況に挑戦し、状況転換する行為、及びその心性を「必死のパッチ」と表現する。それは、
     ① 動くプロセスの中での冷静な状況判断
     ② 偶発の状況に、自らの構造を変えながら反応するしなやかな瞬発力
     ③ 動く主体として動く
     ④ 必ず乗り越えられるという確信的想像力
により構成されている(p203)。
 確かに、主体性②と瞬発力②は優れていると自分でも思うが、良く考えみると、意外に、興奮混乱時でも冷静な判断をしている①し、極端な前向き・性善説は、確信的想像力④のなせる業かもしれない。
 こんなに、自己弁護して、どうするの? まあ、いいか。
■防災日常準備 地域防災のトリアージ、要支援者の分類を事前に把握しておき、いざとうときの行動に移せるようにすることが大切という。分類は、
  A:要介助  B:要同行  C:要安否確認
である。(p184)

延藤論をまとめていたら、元ワークショップ論受講生からお礼のメールが来た。

参加者最年長 保健学専攻 M1▽です。先日は楽しいミニお遍路授業とおうちでのパーティに参加させていただきありがとうございました。
ミニお遍路と甲山ハイキングの後も筋肉痛になることなく無事に経過しました。とても楽しいアフターワークショップでした!!
 参加者の方が楽しく充実感の残るワークショップを企画できるよう頑張ります♪(どうも、病院でそういう仕事をしているらしい)
「ピンチはチャンス」ならぬ「トラブルはチャンス」の精神で頑張ります。

森栗→▽さん
 ご丁寧に、ありがとう。ついでにもうひとつ。
協働のビタミンが足らない人が増えて、組織や対人がどうしようもなく、病の「気」がどんどん伝染し、ケが枯れる ケガレ(穢れ)た人が続出し、私もトラブルに巻き込まれて危ないと思った時は、トラベルに出かけましょう。
 何や、ダジャレ? 違います。知的構築でビタミンを失った人間や組織には、冗長とメタファーによる臨機応変運動が必要なのです。ゆえに、トラブル連続⇒トラベル です。
 異なる専攻、異なる立場の人と、日常とはまったく違う行為を、体を動かして半日駆けるというのは、そういうトラベルなのです。
 参加者最年長⇒まったく、そう見えませんでした。意識しているのは、自分だけかもしれません。私も、ケガレ⇒毛が枯れている(ハゲ) とは、言いません。自分以上には、他人は気にしていない。あんなに素晴らしい学生がたくさん来てくれた、もててるんだから、いらんことば、言わんかとです。

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2013年3月23日 (土)

大阪市某区地域活動協議会と在日コリアン

大阪市某区は、地域活動協議会を小学校区ごとのまちづくり協議会として展開することになっている。
 これまでの自治会活動や地域福祉、地域防犯、地域衛生、地域子育ては、市役所の個別部局の縦割りで、ある意味で行政の下請け機能を果たしてきた。シニカルな見方をすれば、区役所は中二階で、自他ともに認める「住民の力になりきれない」弱さがあった。
 一方で、従来の地縁組織には高齢化、組織率低下、活動の弱体化・形骸化に悩む地域も少なくなかった。むしろ、障害者福祉、子育て支援、高齢者福祉、環境、情報、アート、建築などのNPOや、PTA、スポーツ組織などに基礎を置くネットワークが展開してきた。
 大阪市では、地域横断型のネットワーク融合をめざし、わがまち未来推進会議を関市長時代から進めてきたが、ときに、地縁組織に気遣い(対立し)、ときに盛り上がりを区役所からセーブ(抑え込まれてた)という不満が残ったこともあったと聞いた。区役所内では、現場に出かけ、熱心にサポートしてきた職員ほど、苦悩したかもしれない。
 今、市政改革で、地縁系組織に縦割りで配分されてきた補助金・委託金等を一括して、各地域活動協議会ごとに交付し、ここに自主運営してもらうことになった。
 そのためには、
【参加性】できるだけ多くの住民が参加する、新しい住民も参加する
【公開性】事業報告、予算決算の透明性。デジタル公開、口コミ・ミニコミ・マスコミ公開
【自立性】運営のための事務局の必要性
が必要で、そのための話し合いとしては、連合町会長がピラミッド組織で命令する形ではなく、
「小さく書いて」、「語り合い」「聴きあい」、まとめて行き、個々の行動に落とし込む
話合いの作法が必要となってくる。
 某区は区長の意向で、率先してこれをやっている。ところが、勉強会講師の帰り際、在日三世のAさんから、長々と在日の不利益、地域での位置、昔と今の違い等々、思いを10分近く聞かされた。思うに、
 在日一世は、忍従努力の日々であったろう
 在日二世は、闘争怒りの日々であったろう
であるならば、
 在日三世は、戸惑い、住民としての満たされぬ日々ではなかったか。初めて、まちづくり協議会の勉強会に出て来たというAさんは、最後に全員に書かせた「個人発意・決意のポストイット」に「将来有望」と書いたものを指し、「これはぼく。でも、選挙権を認められぬ状況、それを知らぬ少なからぬ住民、にもかかわらず私が住民として一緒にまちづくりをすすめる不安」を、語られたのだと思う。結論は難しい。じっくり、言葉に耳を傾けた。
 きっと、実際の地域活動の中で、自然と相互理解できる部分が出てくるのではないか。それは彼自身のまちづくり活動の課題でもある。
 在日コリアンほどではなくとも、障害を抱えた人、シングルマザー、独居老人など、多様な課題を抱えた人が、都市コミュニティには暮らしている。地域で活動をするということは、そのなかで、個々の個人としての苦しみも共有しつつ、かつその個性を、まちのなかで活かすことではないか。
 「将来有望」にするかどうかは、実は、彼の「聴く」力であり、他人の多様な理解を通じて、はじめて、在日コリアンの法的にも社会的にも理不尽な状況が、共有理解されるのではなかろうか。ここに、二世の闘争の時代とは異なる、三世のまちづくりでの役割があるのではなかろうかとAさんに期待している。
 自分が他者を理解しつつ、ともにまちづくりをすすめるなかでこそ、本当の理解、地域での相互理解が生まれるのではないだろうか。Aさん、ガンバレ。

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2013年3月19日 (火)

ラウンドおおさか、「愛と純」大正沖縄島に鉄道と船で渡る

 大阪を愛する市民が毎月集まり、まちづくりを語り合う会がある。題してラウンドおおさか。市役所改革室の課長(ラウンジママ)が呼びかけ人。仕事に悩む役人、生きがいを探す銀行員、夢に生きる建築家、まちに開く商店主、協働にこだわる労働運動家、大阪大好き中国人、人との出会いを希求するコンサル研究員、職場に家庭に苦労するなかで誠実に生きていこうとする職員、若い起業家、東北のボランティア・・・。単に自己紹介して呑んで終わりなのだが、面白い!20130319 201303192 (建築家アジカタ大兄作品)
 毎回、大阪各地を転々と会場にする。空堀、天満、三津屋商店街(神崎川)、十三、そして住吉神社社務所。本日は、大正沖縄会館18:30~。大阪の町を愛する人、大阪の人に関心のある人、大阪の町と人に何か働きかけたい、役割を果たしたいと思う人。いきなりですが、お時間がいただければご参集ください。その場で、森栗が推薦人になります。(会場は狭いので多すぎると困りますが)
 そこで
勘助島(昔の新田開発の大正区の名前)へは、船で。
17:25-30大正橋東詰、津波碑。
17:40南海高野線ターミナル汐見橋駅(地下鉄桜川)➡津守➡落合下渡船➡歩いて平尾

帰りは、落合上渡船21:25最終は、難しいか?
大正には、渡船か泳ぐか、ひょっとすると水上飛行機とか。昔は、木津川が空港やった。
 その意図は、都市交通として南海高野線盲腸線の見直し、西成区臨海地区の状況と渡船、ディープ大正に横っ腹から入りたい。

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2013年3月15日 (金)

幸福の良き海村と海岸土木~上五島・平戸、そして福島から

平戸の美しい浜に泊まった。20130316 201316jpg 二つの砂浜湾の中央に砂嘴があり、淀姫様が祀られている島に続く。「我は海の子」とはこういう風景を言うのだ。海岸でアオサを採っている人にも出会った。20130316_4
 上五島の北端、遣唐使船の目印になったいう矢取岬に向かう途中に、冷水教会という小さな教会と村がある。立ち寄ると、子供たちが遊んでいた。こんな小さな過疎の町にも、子どもたちの笑い声が聞こえる。村が好きだ、海が好きだという。20130316_3 上五島西側を北上すると大水教会がある。こんな奥地の過疎地にも美しい親子が教会に集まっていた。カソリックは子どもを大切にする。20130309
 しかし、実際の五島、平戸の海は、埋め立てられ岸壁となり、防波堤が這う。上五島の中心の中通島(佐世保、長崎、博多から船が来る)と若松島(長崎から船が来る)は橋で結ばれ、その西の漁生瀬島とは橋でつながっているが、さらに先、馬頭島、日島へは、海中防波堤でつながっている。コの字状の3つの島を二つの海中堤防でつなぎ、内海を港にしたのであろう。漁業だけでは食べていけなかったから、マリン土木に移った人から聞いた。湾奥には、ゴミが大量に溜まっていた(左奥の白い物)。20130316_2 上五島で会った若い女性が云った。「故郷の海が好きです。町には住めません。でも、海岸が無くなったのが寂しいです」
 平戸島の町で、倭寇王直やオランダ人の恰好をした3人の若者にあった。(平戸は倭寇の根拠地、鄭成功の生誕地、オランダ東インド会社の拠点であった。幕府の圧力で長崎出島に移るまでは大都市であった)。男の子は農業高校を出て整備士などをしているという。故郷が好きでこの観光の仕事をしているが、3月までだという。国の緊急雇用事業のようだ。賢い、熱い若者だった。こういう人材を中期的に活かせる方法はないものか。緊急雇用で使い捨てではもったいない。

NHKぐるっと海道3万キロのアーカイブスを深夜に見た。福島県浜通りは、文字通り砂浜で深い湾がない。ところが、一か所だけ、小さな島影に奇跡的に小さな湾があった。そこに6軒の夫婦が漁を営んでいた。浜の船よりは大きな船で沖合で漁をしてきた。船を浜に上げ下しするには、夫婦で息をあわせねばならない。つつましいが、人と人とが結びついた美しい風景があった。小良ケ浜という。まさに「オラが浜」である。20130315 しかし、撮影後、1967年、原発交付金で富岡新港が建設され、補償金でより大きな船で沿岸漁業が興隆した。人々は競って船を新造し、海は乱獲で枯渇した。結局、若者に漁業を継ぐ者が減り、原発で働くようになり、家は原発作業員民宿を経営するようになる。そこに、今回の事故が襲い掛かったのである。
 誰が、仮設住宅に避難している元小良ケ浜漁民を責められよう。しかし、これで良かったのか?あのまま漁業を続けても津波に呑まれたのか?難しい問題だ。

歩く巨人・宮本常一は、「島の人は都市と同様に努力しているのに貧しい。国が豊かになるということは、離島も含めて皆が豊かにならねばならない」という意味のことを発言して、離島調査会を発足させ、離島振興法に結びつけた。しかし、堤防を建設し、船が着き、大きな漁船を借金で買った結果が、浜を埋め立て、漁業を捨ててマリン土木に走り、若者が居なくなった今の漁村である。もし、今、宮本常一が生きていたら、この過疎の島を何と表現するであろうか。宮本の卒業した大阪府立第二師範のはるかな後輩、大教大の地理出身の私は、上五島、平戸を巡って、悩んでしまった。

その解決法は、思いつくことはあるが、政策にするまでは言わない。何とかせねばならない。

 

 

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2013年3月13日 (水)

交通権ではなくヒューマンファースト、道路縮減ではなく道路マネージメント

民主党政権で交通基本法が議論され、交通権が議論された。しかし、権利としてしまうと、あまねく保障せねばならなくなり、財源問題につきあたる。また、徒歩者の権利と、自動車利用者の権利、徒歩者と自転車の利益相反につきあたる。結局、交通権は明確化できず、法制化せぬまま、民主党政権が先に終わってしまった。
 一方で、人口減社会における道路縮減、極論では集落統合を言う工学者もいる。これも正論かもしれないが、現に住民が居るのに、「一人だけですから、カネもないので明日から除雪しません」「お婆ちゃんが居るおかげで電線も水道も道路もコストがかかる。集落統合して役場の隣に住んでください」とは言えるだろうか。
 できない正論という意味では、普天間県外移設、高速道路無料化、農家最低保証、子ども手当…。民主党政権は、あまりに稚拙な書生正論の、おおきな「社会実験」だった。友人の議員も多いので、いささか厳しい評価だが反省して欲しい。
 暮らしや社会は、正論では人は動かない。正しい権利だけを主張しても、できない論理とデッドロックになる。みんなが、腑に落ちる、納得するような、話合いを続け、そのプロセス重視の政策をとるべきであろう。
 難しい交通権、道路削減を無理やり通そうとすると現実が通らない。むしろ、ヒューマンファーストを基本に、コミュニティと議論をすすめ、現状の道路や公共交通を見直すことが重要ではないか。交通権という原理主義ではなく、ヒューマンファーストという原則で論議していくことが重要である。
 じっくり議論して、ヒューマンファーストの原則に基づき、
・2車線の道路の片方を自転車・バス・タクシー専用道とする
・路肩を自転車道として、駐車を厳禁・不能なようにする。
・バス停にクルマを停めることを厳禁し、住民の通報・写真による注意・警告・厳罰を行う。
・商店街や密集地でのゾーン30を一般化し、原則30km/hに原則、配送車・買い物者は、商店街に停めない。
・駅前広場は、町への徒歩結節を第一とし、次に自転車、次に公共交通、脇にタクシーとし、タクシープールは、別に配置する。クルマ送迎は、障害者用以外は遠くに。障害者用に停めたら、住民の通報・写真による注意・警告・厳罰を行う。
などを、議論して決めていく。
 こうした方向で、交通基本法は見直すべきではなかとうか。

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2013年3月10日 (日)

上五島のキリシタン移住、信仰の歴史が穏やかな風土を創る

20130308高井旅教会は。1937年100名の洗礼があり始まった。1963年、今の教会を建てた。 20130308_2 それまでは、山を越えて桐教会まで歩いていた。20130308_4隣の福見教会(1913年建設)に行くこともあった。
20130308_6島の東端頭ヶ島はキリシタンの楽園ともいわれ迫害が及ばなかった。浜辺に墓地があり、10年前までは土葬だった。その一つの墓標には「陸軍砲兵伍長」の文字が見える。20130308_3 201303082 20130308jpg 冷水教会の前で子供たちが遊ぶ。五島の子供たちは明るい。Photo 20130308_5鯛ノ浦ルルド(聖水)と教会(1880年建設)。
 1798年、大村藩はキリシタン3000人以上を集団で五島に移住開拓させることになった。
貧しくとも間引きができないキリシタンは最貧であったから、よろこんで五島の僻地の苦難を受け入れた。
 ところが、1862年大村でキリシタン弾圧が始まり、さらに多くの人が五島に逃げる。なかでも最僻地の頭ヶ島は「クリスチャンの王国」とまでいわれた。しかし、幕末の混乱期、1867年には、五島でもキリシタン叩き出しが行われた。1870年には、有川郷士によって6名が殉教している。幕末から明治にかけて、隠れキリシタンと長崎の典礼を受けたクリスチャンが融合し、信仰の復活が徐々にすすんだ。
 大曽では、1879年に木造の教会があったが、1916年、レンガ造りの教会を建てた。
 船隠では1883年に宣教師が来て、ミサを開始。1927年、民家を買い受けて教会とし、戦後の復員者で人口が増え、1956年にやっと教会が建設された。佐野原教会も、青年会が1950年仮聖堂を作り、1963年、念願の教会が完成している。
 トイレを含め清掃の行き届いた教会、子供たちの姿・・・。心美しき風土は、江戸時代の歴史ではなく、戦後高度経済成長にいたるまでの苦難の歴史と努力によって築かれたのである。
 上五島は美しい。

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2013年3月 6日 (水)

遠鉄バスは素晴らしい!

20130306 20130306jpg20130306_2 20130306jpg_2 20130306_3  4日電子情報学会のヒューマンコミュニケーションサイエンスの発表で、浜名湖に泊まった。5日、5時45分の遠州鉄道バスに乗り、浜松駅6:42⇒10:00近畿運輸局⇒13:03同志社前:同志社大学京田辺・全国学生政策フォーラム。
 早朝、バス停で待った。寒い中を数台クルマが通過すると、「早朝に、こんなとこで突っ立って…、アホみたい。誰が好んでバスなんかに乗るねん。バスは無理やわナアー」と、ついつい思ってしまう。
 と始発バスが来、停まった。
「おはようございます。お待たせしまた」と、女性のアニメ声?
 乗車すると、ホコホコ。女性運転手は、その後も各バス停ごとに「おはようございます。お待たせしまた」
 始発バスに、次々に人が乗り、浜松駅到着前には全席が埋まっていた。
 遠鉄バスは、あいさつだけではなく、近接地域は100円と設定し、待ちやすいバス停を作っている。パターンダイヤは当然。
 バスの中から撮ったので「片山さつき」の政治広告が映っているが、歩道上、植込みの切れ間に、空き地に見事に風を防げる座席屋根付バス停や自転車置き場(2枚目)を作っている。
 バス停と言えば、MCDecauxの透明アクリルデザインのアート広告つきが広がっている。それも一つの工夫であるが、居住性、親近性、温かさという意味では、私は遠鉄に軍配を挙げる。
 「おはようございます。お待たせしました」の遠鉄ならではの努力である。警察が許可しない、都市計画・土木部局が許可しないなどと、できない言い訳ばかりを考えるバス会社や行政マンは、遠鉄バスに勉強に行ったらどうか。

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