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2013年2月17日 (日)

【修正再掲】戦時下の「日本生活科学会」と生活学

 英語では、lifeは命=日常生活 である。日本語では、しのぎ、すごし、日暮らし、とあり、個人の命や日常ではなく、世間のなかでの毎日のしのぎexistenceに過ぎない。何とか飢えずに命を永らえる毎日に過ぎず、個人の尊厳や活性のlifeはなさそうである。明治末から大正、昭和初期にかけての女性雑誌、『女学世界』の巻末「誌友倶楽部」(1916~)[川村邦光『オトメの祈り』43-69頁、1993年)などの投稿では、乙女のライフなどと投稿され、個人的な思い、暮らしには生活という言葉はない。これに対して、第一次世界大戦直後の文部省や生活改善同盟会の事業には「生活」がある。
  1941年12月13日、新設された厚生大臣に就任した小泉親彦を会長として、生活科学会が学士会館で設立された。当初は、医学を中心とした横断的な「生活科学的合理化が国民体育向上の為」必要と考えられて設立された政策科学であった。小泉(小泉潤一郎とは別家系)は陸軍省軍医総監として衛生省設立に尽力していた。身体強健な兵士を育てる意図があったが、東北の生活問題に気づき、1935年「東北地方衣食住改善調査」課題をもって、関東大震災住宅復興を推進してきた同潤会に内田祥三(後の東大総長)を訪ね、早稲田の今和次郎を紹介され、東北農村調査を依頼している。今和次郎、竹内芳太郎の農村生活改善運動はこの流れの中にある。
 状況証拠からいえば、lifeに相当する言葉を「生活」と表現し民政に使おうとしたのは、関東大震災後の復興院、またはそれに連なる同潤会あたりではないか。柳田も今もその流れのなかで「生活」を扱ってきた。1940年頃には西山卯三も関わっている。この西山の『住宅問題』(1942年)を文部省推薦図書にしたのが大河内一男(後述)。
 こうした動きを国民総動員、徴兵制度効率化、国家のための国民生活のなかに位置づけようと考えたのは、厚生省を創った陸軍省ではなかったか。生活科学会には小泉初代厚生大臣が出席している。
 生活科学会第二回大会(1942年)は戦時中、国民標準生計費、国民体力、国民標準住宅、国民標準医療、生鮮食品に関する分科会ももって開かれている。体力や医療といった分科会に陸軍の意図がありそうだ。
 戦後、GHQが農村民主化を指示して推奨したのが、何と「生活科学」であった。このとき、農林省に農村生活改善の助言をしたのが、またまた今和次郎であった。今は、『家政のあり方』(1947年)で、生活における時間の共通性改善可能性を示し、単なる労働再生だけでない、休養・教養・慰楽を含む総体の生活を提示している。
 大学再編の東北大学農学部家政学科を生活科学科に改組し、旧高等農林系大学農学部にも生活科学科をつくり、東北大学に佐々木嘉彦、東京教育大学に竹内芳太郎を置いた。この流れのなかで、大河内一男(東大総長)は『国民生活の理論』(記述は戦中、発刊は1948年)で、「戦争は戦闘ではなく、国民生活が崩壊して負けるものだ」と述べている。籠山京は『国民生活の構造』を著し、労働・余暇・休養を分離することを求めている。(『學士會会報』第893号、2012年)
 この生活科学科は独立日本のアカデミズムの嫌うところとなり、すべて廃止の憂き目にあう。東北大学農学部の生活学も消えてしまった。西山卯三は建築学ではなく、住居学を推進し、寝食分離の2DK、いわゆる公団住宅を推進する。
 民衆生活研究の民俗学を興した柳田國男はそれまで『郷土研究』の雑誌を出してきたのに、1924年(関東大震災の翌年)「政治生活更新の期」を書き、「小作争議の将来」などを書き、1929年「都市生活意識」、1933年「農村生活と産業組合」、ている。そして農村恐慌後、1934年に自宅での勉強会木曜会を郷土生活研究所に展開し『郷土生活の研究法』(1935年刊行)を出し、1939年「言語生活の指導について」、1940年「農業生活と水」、1941年「女性生活史」「文化生活といふこと」、1950年「日本人の生活を語る」、1953年「海上生活の話」、1954年「言語生活」、1957年「生活と方言」、ている。どうも、柳田國男は、積極的に生活を使ってきたのではなく、小作争議や復興院、戦中の生活科学会の動きにあわせて、戦後はマスコミなどの求めに応じて、「生活」を消極的に使ってきた。
 個別科学の限界が見え、公害など総合的な生活が課題になった70年代、日本生活学が再度提議された。発起人には、会長今和次郎、竹内芳太郎、川添登、浅田孝(都市計画・万博主導)、伊藤ていじ(建築、東大)、石毛直道(民博館長)、梅棹忠夫(民博館長)、加藤秀俊、多田道太郎、中鉢正美、西山卯三、林雄二郎(経企庁)、宮本常一が集まった。大阪万博や京都大学人文研に影響を与えた研究者の名が見える。 
 生活学の特色は
・外来科学の移入ではなく、自己の暮らしの研究である
・個別ではなく総合的に研究する
にある。
 一方で、1970年に大阪市大が大学院設置にあたり家政学部を生活科学部に変更して以来、短大・女子大の家政学が、生活科学科と称するようになったが、看板のみであり、フラスコや成分分析はすすんだが、籠山や大河内のような生活の総体を見て総合政策を論じる研究教育は、途切れてしまった。
 

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