柳田國男「美しき村」
金野幸雄さん(元兵庫県職員、篠山市副市長、現流通科学大学)の論文に「『美しき村』の計画論」(都市環境デザイン会議関西ブロック2004年度第7回都市環境デザインセミナー)がある。
柳田國男の「美しき村」を引きながら、景観条例を模索する格調ある計画論である。
「斯ういう茫として取留めの無い美しさが、仮に昔のままで無いとわかって居ても、之を作り上げた村の人々の素朴な一致、たとえば広々した庭の上の子供の遊びのような、おのづからの調和が窺われて、この上も無くゆかしい」風景は、「我々が心づくと否とに拘らず、絶えず僅かづつは変って行こうとして居る。大よそ人間の力に由って成るもので、是ほど定まった形を留め難いものも他には無いと思うが、更にはかないことには是を歴史のように、語り継ぐ道がまだ備わって居ないのである。」
最近、三重県伊賀から、ローカル線を乗り継いで4時間、日本海にほど近い丹後の大江山まで風景を楽しんだ。開発した空き地が残る名張市街地から雪の長谷寺、大和八木で乗り換えて、大和盆地を北上する。大和三山も三輪山もマンションや電線だらけのスプロール市街に隠れ、やっと田園に出たと思ったら高速道路が稜線を切る。急速にここ30年程の人間の暴力でここまでゆかしさを失い、語り継ぐ言葉も忘れてしまった大和とは何か。学生時代の亀井勝一郎「大和古寺風物誌」を手に巡った大和盆地はほとんど残っていなかった。西大寺を過ぎ、平城山古墳群を巡る。学生時代あこがれた居籠祭のある祝園は、美しき村ではなく、単なる近郊住宅駅前であった。いやはや、ここまで汚い国土にしてしまったのかと、呆れてしまった。ところが、淀川・木津川の貯留池である巨椋池を干拓した向島に入ると、線を引いたように、一気に農地が広がり、驚いた。実際、都市計画の線引きがあるのであるが、巨椋池干拓地では農地を守る意思を感じた。嵯峨野の街並みをとおり、保津川の蛇行をトンネルで突き切り、亀岡盆地に出た途端、美しい農地が拡がる。そして、園部でワンマンカーに乗り換え、日吉あたりでまた雪が積もる。そして綾部、福知山で由良川の広い風景に出合う。
畿央を縦断してみて、柳田の「美しき村」の一文を思い出した。
「村を美しくする計画などといふものは有り得ないので、或は良い村が自然に美しく、なって行くのでは無いかとも思はれる。」
我々の風景がここまで乱暴に傷つけられたのは、我々の暮らしぶりがいささか良くなく、乱暴であったのではなかろうか。農民は、巨椋池以外は、農業振興法解除を求め、都市民は、己で調達できる限りの小さな家に、クルマを置いて、個別消費をしている。その集合が、この調和なき風景である。
この現実を、考え直さねばならない。
| 固定リンク
「まちなか再生とツーリズム」カテゴリの記事
- 上野武『大学発地域再生』清水弘文堂書房(2018.08.15)
- 小林重敬編著『最新 エリアマネジメント』(2018.04.04)
- 学びあいの場が育てる地域創生ー産官学民の協働実践(2018.03.30)
- 子ども食堂(2016.07.26)
- 四国落人山地の豊かさと予土急行国道33号線(2016.04.05)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント