生活学の意味
私は、日本生活学会の役員をしている。
今和次郎の考現学を基礎に、家政学、住居学(建築学ではない)、食物学(栄養学ではない)、服飾デザイン、文化人類学、社会学などの人が、クロスして議論している。
個々の研究者は自分が専門とする主たる学会を持っており、そこで活躍する。が、良く考えてみると、それも同人誌のようなもので、そこでしか通用しない共通言語で、内輪議論をする傾向にある。
そうした専門学会からすれば、生活学会は間口が広くて、個々人にとっては第二学会とも揶揄される。ディスプリンの厳しい社会学で出せないから、生活学ででも出しておこうか、とならぬように、投稿した論文に対して論文審査は結構厳しい(としたい)。
先日、コミュニケーションデザイン・センターの事業の広報アルバイトをしていた学生らが、お茶を飲んで休憩していたので、少し議論に加わらせてもらった。美学の院生が多く、ちょっと意地悪な議論をふっかけた。
「美学って、高尚だけど、就職むつかしそう。芸術って、暇があったら楽しんだらしまいで、議論する必要ないのと違う?」 まあ、こんな直接的な言い方はしませんでしたが…。いろいろ反論もあったけれど、ずっと発言をパスしてきた男子院生が、「世の中から遠いから、見える部分がある」と、答えに窮するように言い出した。
そうなんや! 私などは、現実に近いところで分析、実践することのみに価値を認めがちである。近づいて見えるリアル感、政策を直接作動させる実践感、たまらない魅力であり、美学や語学、歴史学と言われると、何じゃろな?と思うところがある。もともと、民俗学出身、といってもそのディスプリンをちゃんと勉強したわけでもなく、気変わりで、うっかりまちづくりや交通に手を出している私にすれば、美学といわれると、いじりたくもなる。
ところが、おもいっくそ遠いからこそ見えてくるものがある と言われて絶句した。
確かに、遠くから見て、近くで見て、遠近法をエンジニアリングせねば、本当の科学や本当の政策は生まれない。
日本生活学会というのは、そういう遠近法を共有する場でありたいと思う。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 子供の死 と 最高の仕事 との背中合わせ(2019.02.17)
- ソロー 野生 意思に応答する 自由・愉快 延藤安広の言葉(2017.04.03)
- 偶然と必然(2016.04.04)
- 歴史から考える府市合併と大都市自治(2015.07.13)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
私がやっていることは、工学だと思って間違いはありません。
しかし、角度を変えると生活学かも知れないと思いました。
投稿: 月台 | 2013年1月31日 (木) 11時14分
生活学って、大切だと思います。
ありがとうございます。
投稿: もりくり | 2013年1月31日 (木) 11時45分