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2013年1月27日 (日)

山での挨拶と助け合いコミュニティ

近畿民俗学会(当時は近畿民俗談話会)を創設した沢田四郎作に『山でのことを忘れたか』がある。正月の雑煮に里芋を入れるのは焼き畑耕作の名残だとか…。中身より、そのタイトルが心に残っている。
 昨日、ホームステェイしているインドネシアのアンディさんと六甲山に登った。出会う人ごとに挨拶しながら、道を譲りつつ、3時間かけて阪急岡本から石切道(六甲山は御影石[花崗岩]の産地)を登り、雪道踏みしめ六甲ガーデンテラスの氷の祭典で氷彫刻を見、六甲最高峰経由、魚屋道(ととやみち)[省線住吉駅から山越えで有馬温泉まで行く道で、裏六甲の山人が魚を担い歩いた。居留地の外国人が駕籠で登って避暑に六甲山オリエンタルホテルに泊まり、日本最初のゴルフをしたりするのに通った]を降りた。
 魚屋道の最後に山崩れがあり、川沿いから山に上がる看板がある。そこで山に登ろうとしたら、上から黄色のヤッケの若者が「この上、ぐるっと回って戻って来るんです」と、道を尋ねてきた。「山崩れがあったみたいで・・・」
 「!」
 思い出した。私は、以前もここで迷った。確か「山崩れがあって」と、道を教えてくれる人がいて助かった。(と、右を見て見ると)「あっ、この道、この階段」。若者が階段を登ってみると、「ありました、ありました。正解です」と声がした。
 私は、後から来る他の人も迷ってはいけないと思い、右の階段(わかりにくい)より山手、これ以上登るとぐるっと廻って迷う地点に、倒木を集めて×印を作ろうとした。すると、件の若者が戻ってきて、手伝ってくれた。迷い止めのxを完成させて、相互に、「ありがとうございます」と言い合い、別れた。
 私は、歩きながら留学生に説明した。

 欧米人は、多様な人がいるから、知らない人でも「おはよう」と挨拶をする。挨拶をしないと、全米ライフル協会の人なら鉄砲で撃ってくる!ところが、日本人は、お互い日本人どおしだから、挨拶せずともわかると思い、大学でも、知らない人には挨拶しない。守衛に挨拶せずとも大学構内に入れる。知らない学生に、何気なく挨拶すると、気味悪がられる。大衆の孤独やね。
 昔の日本人は、貧しいコミュニティのなかで、助け合わねば暮らしていけなかった。だから、挨拶をした。今の日本人は、他人に挨拶せずとも、コンビニとコインラインドリーさえあれば、暮らせると思いこんでいるから挨拶をしない。
 ところが、山では、遭難したり、道に迷ったり、ケガをしたとき、いざというとき知らない人でも、助け合わねばならない。狭い道を譲りあわねばならない。相互に山では助け合わねばならないことを知っているから、日本人は山でのみ、知らない人でも挨拶する。
 実は、コミュニティや都市でも、災害や緊急時、私たちは助け合わねばならない。日本人は、災害時に略奪をせず、順番に待っている。災害時、相互に助け合う。この国には災害が多く、いざという時、助け合わねばならないことを、皆、無意識に知っているからだ。
 ただ、日常のコミュニティにおいても、子育て環境や防犯、高齢介護、緊急医療通報など、助け合わねばならぬことが多いのに、近代化した日本人はそれを自覚せず、挨拶せずともライフルで撃ってくる人もいないので、衣食足って礼節を失い、挨拶を忘れている。
 日本人は、山でのことを忘れて、日常コミュニティでの挨拶を忘れてしまっている。

と、わかりやすい日本語、英語ちゃんぽんで説明したが、果たして、わかっただろうか?

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