大橋毅『種田山頭火ーその障害と魂の遍歴』
うどん供へて 母よ わたくしもいただきまする
家業の没落、父の放蕩のなか、井戸に飛び込んだ母の遺体を11歳の瞼に焼き付けた山頭火は、一生、母の位牌をいだいて彷徨した。
列車に飛び込んだ父の葬儀を5歳の瞼に焼き付けた私は、この句を見たとき絶句した。
酒、酒、女、酒、妄想と温泉、そして発心の旅、挫折。何度も何度も失敗するのに、俳友が支えてくれる。離婚した妻も、見放した子供までが、仕送りをしてくれる。
堕ちるまで堕ちたところからの魂の叫び、そこまでは凡人である私はできない。けれど、仲間に甘え、そして反省して発心する私。脇が甘いので、何度も失敗してこの程度。温泉が好きで、人が好きで、仲間や学生が喜ぶことが好きで、周囲の人の配慮だけで、何とかやってこれた。
何だか他人とは思えない。
頸巻とり ひさかたの顔に出会う 冬の茶房(茂一)
同じ荻原井泉水門下の尾崎放哉を山頭火は尊敬し、墓参している。
咳をしても一人(放哉)
入れ物が無い両手で受ける(放哉)
突き抜けた諦観、死を無視して(急いで)向かえ入れ、命を研ぎ澄ます放哉に比べ、
うしろすがたのしぐれてゆくか(山頭火)
へうへうとして水を味ふ(山頭火)
山頭火の孤独は、どこか甘い絵になっている。誰かが孤独の自分を見ている、手を差し伸べてくれるのではないか。そんな弱さが透けて見える美しさ、可愛さだ。
でも、そんな甘さ、可愛さが、私は好きだ。
小学生の時、被差別部落のバラック街や町工場を彷徨した。19歳の時、歩く巨人:民俗学者宮本常一の著作に感動して、民家に泊めてもらいつつ、中国山地を歩いた。40歳の時、震災の焼け跡を歩いて町の人と出会った。50歳のとき単科大学のアンシャンレジュームで窓際に押しやられ絶望し、別の人生を歩もうと、お遍路に出た。
放哉や山頭火の漂泊願望、死を背にした生の表現には及びもしない。私はそれほど追い詰められず、ごまかしながら58歳まで暮らしてきた凡才。山頭火は59で死んでいる。この凡才は、死ねない山頭火に憧れつつ、死ぬ気もなしに老醜をさらして、どうしようというのか、
もし放哉と出会う機会があっても、侮蔑されるだけだろう。でも、山頭火となら、濁り水の私たちを、語り合えるような気が、一草庵(終末の場:おちついて死ねそうな草萌ゆる)でふと思った。
濁れる水の流れるままに澄む(山頭火)
これで良いではないか。
其中庵(俳友が提供してくれ、漂泊の山頭火が一番長く起居した山口市小郡の庵)
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