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2013年1月

2013年1月31日 (木)

生活学の意味

私は、日本生活学会の役員をしている。
 今和次郎の考現学を基礎に、家政学、住居学(建築学ではない)、食物学(栄養学ではない)、服飾デザイン、文化人類学、社会学などの人が、クロスして議論している。
 個々の研究者は自分が専門とする主たる学会を持っており、そこで活躍する。が、良く考えてみると、それも同人誌のようなもので、そこでしか通用しない共通言語で、内輪議論をする傾向にある。
 そうした専門学会からすれば、生活学会は間口が広くて、個々人にとっては第二学会とも揶揄される。ディスプリンの厳しい社会学で出せないから、生活学ででも出しておこうか、とならぬように、投稿した論文に対して論文審査は結構厳しい(としたい)。

先日、コミュニケーションデザイン・センターの事業の広報アルバイトをしていた学生らが、お茶を飲んで休憩していたので、少し議論に加わらせてもらった。美学の院生が多く、ちょっと意地悪な議論をふっかけた。
 「美学って、高尚だけど、就職むつかしそう。芸術って、暇があったら楽しんだらしまいで、議論する必要ないのと違う?」 まあ、こんな直接的な言い方はしませんでしたが…。いろいろ反論もあったけれど、ずっと発言をパスしてきた男子院生が、「世の中から遠いから、見える部分がある」と、答えに窮するように言い出した。
 そうなんや! 私などは、現実に近いところで分析、実践することのみに価値を認めがちである。近づいて見えるリアル感、政策を直接作動させる実践感、たまらない魅力であり、美学や語学、歴史学と言われると、何じゃろな?と思うところがある。もともと、民俗学出身、といってもそのディスプリンをちゃんと勉強したわけでもなく、気変わりで、うっかりまちづくりや交通に手を出している私にすれば、美学といわれると、いじりたくもなる。
 ところが、おもいっくそ遠いからこそ見えてくるものがある と言われて絶句した。
 確かに、遠くから見て、近くで見て、遠近法をエンジニアリングせねば、本当の科学や本当の政策は生まれない。
 日本生活学会というのは、そういう遠近法を共有する場でありたいと思う。

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2013年1月30日 (水)

コミュニティタクシー住民運営者との意見交換

クルマ中心の暮らし、高齢化と人口減の中、行政が良かれとコミュニティバス、コミュニティタクシーを、勝手に走らせても、誰も乗らない。京都府の某市は、料金を半額にしたが、乗らない。
そんな中、Y市は、実証実験に応じた住民団体に、コミュニティタクシーを計画、運営してもらっている。運行は、地域のタクシー会社。乗車率30%,収益率30%という厳しい基準を越えねば補助対象にならない。ダイヤ作成や、待合所整備、バス会社との調整、チラシ作りなど、担当職員が個々の地区に張り付き支援しているようだが、運行主体は、あくまでも住民団体。運行を始めて数年になっていないが、当初、厳しい基準と、幹線であるバス路線に重複して走れず、直接、隣町の総合病院、隣町のスーパーに行けないことに、険悪な空気もあった。
が、今日の話では、
◾工夫
a)リーダーが順繰りに選ばれる。
➡特定の人に頼りすぎると、運動が続けられないことがある。
b)わかりやすいチラシを使って、個別に呼びかけて乗ってもらう。
⇨一人で乗るのはもったいないという人もいるので、路線的コミタクでも、一人でも乗れるグループタクシーでも、一緒に買い物も、一緒に通院を、個別に呼びかけてもらっている。
c)だんだん、コミタクに乗り、路線バスに乗り換える人も出てきた。これで、幹線である路線バスが守れるなら、結構なことだと思っている。だんだん、住民のみなさんが、理解し出した、。
◾悩み
①将来の見通しが立たない
⇨今は、スクールバス代わりとしての予算措置で、3人の中学生が乗ってくれているが、彼らが卒業したら、乗車率が落ちる。
⇨医療費が制限され、通院する機会が少なくなって来つつある。
⇨ディープユーザーが入院したり、子供が戻ってきて家族送迎となりコミタクとご無沙汰する人がでたりする。
➡将来はわからない。でも、今、暮らす人が、安心して暮らせるために努力することでしか、地域は守れない。厳しい時代を、軽やかに、やり甲斐と誇りを持って、故郷を守ろう。
②ニュータウンのコミタクでは、乗る人が増え、追加便による不採算、途中で降ろせという我儘客も出てきている。
➡コミューター(15人乗り)による、路線化も視野にいれて、法的、経営的に、どっちが合理的か、研究せねばならない。
③毎年、協賛金を集めるのは辛い。「またか」と言われる。
➡A地区では、まちづくり協議会の事業としてコミタクを位置付けており、協賛するのが、当たり前となっている。地域の活性化があっての商売。商工会議所も考えねばならない。A地区では漁協まで協賛しているという。みんなで支える地域力をあげていくしかない。

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2013年1月27日 (日)

山での挨拶と助け合いコミュニティ

近畿民俗学会(当時は近畿民俗談話会)を創設した沢田四郎作に『山でのことを忘れたか』がある。正月の雑煮に里芋を入れるのは焼き畑耕作の名残だとか…。中身より、そのタイトルが心に残っている。
 昨日、ホームステェイしているインドネシアのアンディさんと六甲山に登った。出会う人ごとに挨拶しながら、道を譲りつつ、3時間かけて阪急岡本から石切道(六甲山は御影石[花崗岩]の産地)を登り、雪道踏みしめ六甲ガーデンテラスの氷の祭典で氷彫刻を見、六甲最高峰経由、魚屋道(ととやみち)[省線住吉駅から山越えで有馬温泉まで行く道で、裏六甲の山人が魚を担い歩いた。居留地の外国人が駕籠で登って避暑に六甲山オリエンタルホテルに泊まり、日本最初のゴルフをしたりするのに通った]を降りた。
 魚屋道の最後に山崩れがあり、川沿いから山に上がる看板がある。そこで山に登ろうとしたら、上から黄色のヤッケの若者が「この上、ぐるっと回って戻って来るんです」と、道を尋ねてきた。「山崩れがあったみたいで・・・」
 「!」
 思い出した。私は、以前もここで迷った。確か「山崩れがあって」と、道を教えてくれる人がいて助かった。(と、右を見て見ると)「あっ、この道、この階段」。若者が階段を登ってみると、「ありました、ありました。正解です」と声がした。
 私は、後から来る他の人も迷ってはいけないと思い、右の階段(わかりにくい)より山手、これ以上登るとぐるっと廻って迷う地点に、倒木を集めて×印を作ろうとした。すると、件の若者が戻ってきて、手伝ってくれた。迷い止めのxを完成させて、相互に、「ありがとうございます」と言い合い、別れた。
 私は、歩きながら留学生に説明した。

 欧米人は、多様な人がいるから、知らない人でも「おはよう」と挨拶をする。挨拶をしないと、全米ライフル協会の人なら鉄砲で撃ってくる!ところが、日本人は、お互い日本人どおしだから、挨拶せずともわかると思い、大学でも、知らない人には挨拶しない。守衛に挨拶せずとも大学構内に入れる。知らない学生に、何気なく挨拶すると、気味悪がられる。大衆の孤独やね。
 昔の日本人は、貧しいコミュニティのなかで、助け合わねば暮らしていけなかった。だから、挨拶をした。今の日本人は、他人に挨拶せずとも、コンビニとコインラインドリーさえあれば、暮らせると思いこんでいるから挨拶をしない。
 ところが、山では、遭難したり、道に迷ったり、ケガをしたとき、いざというとき知らない人でも、助け合わねばならない。狭い道を譲りあわねばならない。相互に山では助け合わねばならないことを知っているから、日本人は山でのみ、知らない人でも挨拶する。
 実は、コミュニティや都市でも、災害や緊急時、私たちは助け合わねばならない。日本人は、災害時に略奪をせず、順番に待っている。災害時、相互に助け合う。この国には災害が多く、いざという時、助け合わねばならないことを、皆、無意識に知っているからだ。
 ただ、日常のコミュニティにおいても、子育て環境や防犯、高齢介護、緊急医療通報など、助け合わねばならぬことが多いのに、近代化した日本人はそれを自覚せず、挨拶せずともライフルで撃ってくる人もいないので、衣食足って礼節を失い、挨拶を忘れている。
 日本人は、山でのことを忘れて、日常コミュニティでの挨拶を忘れてしまっている。

と、わかりやすい日本語、英語ちゃんぽんで説明したが、果たして、わかっただろうか?

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2013年1月25日 (金)

クルマと中心商店街衰退問題 富山VS金沢・高知・京都

富山はクルマ天国、ハンドルを手放すのは難しい。
 だから、公共交通を整備した串と団子のまちづくり、コンパクトシティだといわれる。
 しかし、実際は、バス車両のデザインやバス停、バスダイヤや本数も充分とはいえない。 中心商店街も、ギリギリ中心性を維持できている状況で、金沢には比べものにならない。

 郊外ショッピングセンターに勝つために、無料駐車のサービスデーをするのは現実的だとしても、それだけでは、衰退、空き店舗空洞化を遅らすことはできても、防ぐことはできない。なぜなら、ドライバーと新幹線客は、2時間あったら、どこにでも行ってしまうのであるから。
 富山の人が金沢に行くことはあっても、金沢の人が富山に買物にくることはない。これを打破するために、以下を考える。
参考 東京の人が京都に「そうだ京都に行こう」と買物に出かけることはあっても、大阪に買物に行くことは、吉本マニアは別として、極めて少ない。
 大阪・京都の人が東京に買物に行くことはあっても・・・。
 ここで問題。

Q 金沢にあって富山にないものは山のようにありますが、では、富山にあって金沢にないものは何か?
 A グランドプラザの広場があるから凄いんじゃない。広場でどんなコミュニケーションをするか。中心の文化力をいかに開拓するか?が重要ではないか。その一つとして地場もんのセンターがあるが、高知のひろめ市場ほどの、無茶苦茶な面白さがない。金沢近江町市場は、ひろめ市場に近いが、面白さでひろめの勝ち。
 先日、友人と高知のひろめ市場でしこたま呑んだら、友人、うっかり、はりまや橋で2万円のサンゴの簪を買ってしまい、それがきっかけで夫婦縁がよくなったという。
参考Q 同じく市電が走っている町、高知にあって富山にないもの
  A ひろめ市場の活気、おもてなし
Q 重ねて訊く。高知になくて、富山にあるものは何か?
 自分の有利性を語れなければ、都市の中心性を維持することは不可能。
 外から人が来ないのに、地域の人が集まるわけがない。クルマはみんな持っている。どこでも行ってしまう。新幹線が開通したら、東京の人が富山に来るのじゃなくて、もっと東京に行ってしまう。帰ってこない。中心性のない堺は、政令指定都市でも、自立した都市とはいえない。中世の会合衆に対して、申し訳ない。クルマ中心だとダメ、LRTなんやと、説教しても、市民は変わらない。市民を、外の人を堺に向わさせるには、堺の宝を中心商店街にカッコ良く示すしかない。その合意形成のリーダーシップを、組長に期待したい。
参考Q 架橋開通後の徳島を見よ!高知にあって、徳島にないもの
  A 無茶苦茶な面白さ、気楽さ、おもてなし。ついでに、ぴんぴ鰹(鮮度が高く、刺身がうまい)
参考Q 徳島にあって高知に少ないもの
  A 土日の朝、大阪行バスに殺到する人々

ついでに、シニカルな質問
Q 中心商店街において、金沢になくて富山に少しあって、高岡に山のようにあるモノ
  A 空き店舗と未利用平面駐車場(放置空間)  これじゃ、ワクワクしない

結局、面白さ、カッコ良さ、おもてなし、賑わい、ワクワク をどう積分するか。
 

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2013年1月22日 (火)

千玄室、平和とは何か、己を捨てる、一歩引く

大阪大学会館で、90歳、元特攻隊員、生き残りである裏千家家元の迫力満点のお話に圧倒された。
 平和とは、穏やかに暮らすことで、そのためには、政治や政策に関わるものは、己を捨てねばならない。政策や発言力は指導者、政治家には当然必要であるが、どこかに己の臭いが紛々としているリーダーや政治家は信用できない。己を捨てた上で、公共など物事をすすめるには、「一歩引く」ことが重要だ。お手前を受けたら、茶碗をそのまま飲まずに、少しずらし、全体を味わうゆとりが必要だ。
 宗匠のお話は示唆が多く、その言葉を正確に表現していないが、私は、そう受け止めた。
現代に生きる日本人として、千玄室宗匠の話は、一度は聞くべきお話と理解した。
 大阪大学未来共生イノベーションとしては、次回、松浦元ユネスコ事務局長、朴一さんらを含めて議論される。森栗は山口に行かねばならないので欠席だが、一般参加OKです。ご関心のある方は、下記にお問い合わせください。
■1月29日14-17:45 万博公園のexpo阪急ホテル
■主催:大阪大学未来戦略機構第5部門
■申し込み 未来共生ローチングセミナー参加申し込み 06-6949-8138
 氏名、住所、電話、FAX、勤務先、勤務先住所、勤務先電話、勤務先FAX を書いて
http://21c-kaitokudo.osaka-u.ac.jp/events/2013/5426

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2013年1月20日 (日)

クルマ依存の市民が乗りたくなるカッコイイバス

「クルマ依存の市民を、都市交通に乗せる、ライフスタイルを変えさせる手法」(1月4日)として、カッコ良いバスを紹介した。富山ではライトレールにしたところ、11%の人がクルマから公共交通に転換した。Blueribbon1n

  このデザインに、見合うバスがないか。結局、エンジンや車輪の問題があり、電気バスにしなければ、LRTのようにならない。そこで、調べてみた。
 環境省の実証実験で、カッコイイ電動バスが紹介されている。後輪を隠している。美しい。
“電気バス”は日本の公共交通を担えるか?ついに路上を走り始めた慶大発ベンチャーのEVバス(DIAMOND ONLINE20120111)358238 358239 (RESPONSE20110823より)
 慶応大学清水研究室ベンチャーのSIM-Driveが環境省補助メニューで開発し、神奈川中央交通が藤沢と横浜で実験したが、実用化されたか?
 満充電で走行距離は121km。路線バスの平均日運行距離である121kmに対応できている。リチウム電池の効率化と安全は、飛行機B787事故でもあるように難しい課題。しかし、バスデザインはそれだけではすまない。エンジンからモーターにして、モーターをホイールの中に入れ込むダイレクトドライブインホイールモーターにせねばならない。ところが、これはTECO(台湾)性であり、ハンドルの切れが悪い、発進時の微振動がするなど、課題もあるが、直接、解決できないようだ。
 むしろ、日本の自動車メーカーは、エンジンのハイブリッド化や協調回生ブレーキなどによる効率化をめざしており、100%電気バスは量産が難しい。中国の電気バスでは事故が起きているようだ。
 だったら、ハイブリッド、回生エンジンを、車両の後ろに集めた、デザインの良い低床バスを、自動車メーカーが量産し、輸出できるような国家戦略が必要ではないか。税を投入するなら、そちらが先だ。
 電池の実験、ホイールモーターの試験利用 という実験そのものを目的化してはならない。電池実験のためのバス走行実験ではない。良いデザインとCO2削減したバスの量産、輸出をめざす成長戦略のための実験ならば、回生ハイブリッドエンジンを後ろに集めたらエエだけとちゃうんか。実験をした自動車メーカーはどう考えているのだろうか。
 まさか、電気バス部門が環境省のメニューがあったから付き合っただけで、会社としての生産方針は違うといった、縦割りがあってはいかん。
 無理に電気バスにせんで良いではないか。はよ、カッコ良い、CO2削減のバスを量産しろ。

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2013年1月17日 (木)

大橋毅『種田山頭火ーその障害と魂の遍歴』

うどん供へて 母よ わたくしもいただきまする
 家業の没落、父の放蕩のなか、井戸に飛び込んだ母の遺体を11歳の瞼に焼き付けた山頭火は、一生、母の位牌をいだいて彷徨した。
 列車に飛び込んだ父の葬儀を5歳の瞼に焼き付けた私は、この句を見たとき絶句した。
 酒、酒、女、酒、妄想と温泉、そして発心の旅、挫折。何度も何度も失敗するのに、俳友が支えてくれる。離婚した妻も、見放した子供までが、仕送りをしてくれる。
 堕ちるまで堕ちたところからの魂の叫び、そこまでは凡人である私はできない。けれど、仲間に甘え、そして反省して発心する私。脇が甘いので、何度も失敗してこの程度。温泉が好きで、人が好きで、仲間や学生が喜ぶことが好きで、周囲の人の配慮だけで、何とかやってこれた。
 何だか他人とは思えない。

頸巻とり ひさかたの顔に出会う 冬の茶房(茂一)

 同じ荻原井泉水門下の尾崎放哉を山頭火は尊敬し、墓参している。

咳をしても一人(放哉)

入れ物が無い両手で受ける(放哉)

  突き抜けた諦観、死を無視して(急いで)向かえ入れ、命を研ぎ澄ます放哉に比べ、

うしろすがたのしぐれてゆくか(山頭火)

へうへうとして水を味ふ(山頭火)

 山頭火の孤独は、どこか甘い絵になっている。誰かが孤独の自分を見ている、手を差し伸べてくれるのではないか。そんな弱さが透けて見える美しさ、可愛さだ。
 でも、そんな甘さ、可愛さが、私は好きだ。
 小学生の時、被差別部落のバラック街や町工場を彷徨した。19歳の時、歩く巨人:民俗学者宮本常一の著作に感動して、民家に泊めてもらいつつ、中国山地を歩いた。40歳の時、震災の焼け跡を歩いて町の人と出会った。50歳のとき単科大学のアンシャンレジュームで窓際に押しやられ絶望し、別の人生を歩もうと、お遍路に出た。
 放哉や山頭火の漂泊願望、死を背にした生の表現には及びもしない。私はそれほど追い詰められず、ごまかしながら58歳まで暮らしてきた凡才。山頭火は59で死んでいる。この凡才は、死ねない山頭火に憧れつつ、死ぬ気もなしに老醜をさらして、どうしようというのか、
 もし放哉と出会う機会があっても、侮蔑されるだけだろう。でも、山頭火となら、濁り水の私たちを、語り合えるような気が、一草庵(終末の場:おちついて死ねそうな草萌ゆる)でふと思った。

濁れる水の流れるままに澄む(山頭火)

これで良いではないか。

其中庵(俳友が提供してくれ、漂泊の山頭火が一番長く起居した山口市小郡の庵)

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2013年1月12日 (土)

富山の若者育て中心市街地活性化

5月に相談会をし、8月に、地元事業者のサポートを受けた12団体のプレゼンがあった。3団体を本採用、賞金付き。3団体を特別枠採用、サポートすることになった。
高校生のかまぼこプロジュクト、自然木ベンチづくり、まちなか文学劇プレゼン、地場産物製菓、まちの人ポスター掲示、雑貨作りなどが、イベント時間調整、コラボレーションしながら展開した。賞金は気持ち程度。労力、旅費の持ち出しのケースもあった。でも、まちづくり会社は、会場を提供したり、オーロラビジョンを開放したりしてサポート。この、まちづくりとやまの、学生まちづくりコンペティションの報告会に、出席した。各事業のコラボレーションは、まちmuchまーち と題して、テーマ曲までできていた。http://machimuchmachi.web.fc2.com/top.html

学生が、街と人を面白がり、そのコミュニケーションを楽しみました。運営した学生はマネージメント力を育て、参加した学生もそれぞれ成長した。人を育てる街は、必ず人を集める。
この希望と面白さを、大学の後輩に伝えて欲しい。この希望と面白さを、多くの商店主に伝えなければならない。そして、この希望と成長を、自分の未来に活かして欲しい。
大学の中で、正しいことを勉強しても、伝わらない。まちなかの、面白いことは、広がる。
まちづくりとやまは、この若者活動サポート事業を、あと5年は続けなければならない。10年たてば、川に放った鮭の稚魚のように、この若者達が大きくなって戻ってくる。富山で大きな起業をしてくれる。総曲輪の未来は明るい。
頑張れ、若者。頑張れ、心ある事業者。頑張れ、日本一の人育てのまちづくり会社、そして、富山市役所職員。
こんな話をしていたら、まちづくり会社の職員の顔に、グッと力が入った。この感激を、活かしたい、伝えたい。

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2013年1月10日 (木)

ラウンド大阪

481152_406867922724744_1669318046_n 毎月第二水曜日18:30、大阪のどこかに、いろんな市民が集まり、町と人を語りあう。市役所職員、町のおばさん、コンサル、銀行員、NPO職員、社協職員、学生、ボランティア、企業経営者、アーティスト…。いろんな人が肩書を外して、自己紹介して、酒を呑む。ただ、それだけが、毎回20人ほどが集まり、33回続いている。
 職場の息苦しさ、無気力への怒り、改革のあおりをくっても大阪の街に残り仕事をしようとする人、厳しいコンサル業の息抜き・・・。みんなが、この愛おしい町と暮らしを自由に語り合う。相互が耳を傾ける。ここは、聞きあう場なのだ。
 昨日は、新今宮駅前の100円ショップの中の秘密ドアを開けた3階で、会合を行った。
■西成がバッグパッカーの基地になったことが世界的に有名なのに、日本ではまだ誤解されている。
■歩ける街は、コミュニケーションが醸成される
■子育て支援のこと
■地縁系団体とネットワーク系団体のバランス、地域展開の課題
などが話し合われたことが、記憶に残っている。
 みんな、この語り合う人の都でガンバレ!
大阪は大きく動いている。重苦しい空気が支配する大きな組織(労働組合や権益団体、地方官僚体制)には、大きな改革が必要だった。(神戸、京都はどうかな?)
 大阪では、正直、各地で血も流れている。が、いつかはせないかんかったことだ。みんなで、リーダーを決めて動いたんやから、人々のあふれる智で何とかフォローして、新しい華をさかせたい。町を再生させたい。
 この町は、ずっと、そうやって町の人が自ら再生してきて400年やってきたんだから。
 それをささえる、人材の語り合い、地場空気の交流。
 ラウンド大阪 ご興味がある方は、FBのグループから申し込んでください。大阪以外の人も、見学OK かな?

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2013年1月 8日 (火)

なぜビール電車、婚活電車、アテンダントがあるのか?バスはできないのか?

「よかネット」109号の「平成筑豊鉄道で行く『列車でGo婚』」、「地方鉄道の生き残りのカギはどこにある?」を読んで、思った。
 地方鉄道の生き残りは、えつぜん鉄道のアテンダント乗車や、ひたち海浜鉄道の「おらが湊鐡道応援団」のようなサポーター、駅を掃除する地元民、しなの鉄道の枕木にお金を出す市民、それらをコーディネートして支援する自治体によるのである。
 鉄道は、単なる移動手段ではない。移動を通じたコミュニケーション、地域をわかちあう場である。子供たちの通学風景・高齢者の通院風景、そして旅立ちの緊張感、観光客がホームに立つ華やぎ。鉄道自体が故郷の情景であり、心のうごめきなのである。だから、地方鉄道は廃止してはいけない。
 故郷の夏を味わうビール電車、冬は暖かい車内でご近所さんとワイン電車…。別にビールが呑みたいわけでもない。ビールと故郷の季節、地域の仲間、ご近所さん、それらをないまぜにしたコミュニケーションに酔いたいのである。
 そういう意味では、鉄道での婚活はとても興味深い。車内の狭いようで、個人バリアー融合の空間を動き回って共有する効果は、婚活にバッチリ。しかも、そこでできたカップルは、その鉄道に親しみ持ち、ひょっとすると沿線で暮らしだす。一生、家族で乗ってくれる。鉄道には人生とふれあいの機微がある。
 一方、バスはコミュニティの誇りになりにくい。明確な路線が残らないからだ。駅もないし、一台一台にアテンダントを乗せるわけにもいかない。規制緩和以後、観光バスも単価が半分になり、事業性も夢も見込めない。懐メロ「私は東京のバスガール」の華やかさは、昭和の死語だ。
 しかし、高齢団地やマンションと駅を結ぶシャトル的なバスや、地域住民が協働で走らせる路線バスには、くるくるバスのように、挨拶や相互いたわりのコミュニケーション「ふれあい」が再生される。今後は、都市全体の装置として、美しいデザインのバス停、美しいフォルムのバス車体、バス専用道といった、バス幹線を整備する必要がある。美しい車体を自治体が用意し、パターンダイヤや23時台最終バスを要求し、民間バス会社に運行させる(バスの上下分離)のも、用途地域制限を越えた、ビジョンを語る都市計画の新しい知恵である。まちの誇り、市民のコミュニケーションを醸成するバスサービスを使った都市戦略持つ自治体が出てきて欲しい。
 一方、バス事業者も、貸切事業の単価が低いと泣き言をいう閑があったら、地域の資産を発掘するイベントの周回バス(ex.神戸のスイーツバスなど)などにチャレンジすべきだ。また、地域のシャトル需要を開拓して、新規路線を開設する必要がある。観光バス会社が、路線免許やタクシーを持ち、地域公共交通会議で議論し、人々の暮らしとコミュニケーションを守るために、地域貢献せねばならない。そんなバス会社やタクシー会社でなければ、生き残っていけない。

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2013年1月 4日 (金)

クルマ依存の市民を、都市交通に乗せる、ライフスタイルを変えさせる手法

 バス離れが起き自転車に人々が動いたのは、70年代のオイルショックにより、バス運賃が安易に高騰したことに起因する(11月17日記事)。クルマ社会のせいではなく、地域独占をしてきたバス会社の経営戦略のミスにより自滅との厳しい指摘もある。
 一方、高度消費社会になると、バス料金を安くしても、ドライバーはバスのようなダサいものには戻らないことはロンドンのアンケートが示している。ただし、ガソリン料金が上がると、公共交通も選択肢になる。しかし、ガソリン料金を上げる(課税する)のは、国の政策であり、自動車産業を前提とした現状では不可能。
 ではどうすれば良いのか。地球環境に訴えるという手も、原発事故以来、説得力を欠く。我々がチマチマ努力しても、隣国でバンバン石炭を燃やして途上国の権利だと居直っている状況下、火力でも電力確保が民意となっている現状では、難しい。健康には公共交通が有効と説得しても、厚生労働省コホート研究(遺伝要素抜いた40万統計)によれば、ストレスが半分、食事が30%で、運動は20%。クルマ運転で三大疾病とは、直接因果説明できない。
 ここに、富山市のライトレール転換で興味深い数字がある。
H18年に旧JR富山港線をLRTに変えて
      30~60本間隔 ⇒15分ピッチ
      21時台最終  ⇒23時台最終
      9駅       ⇒13停留所
      中古鉄道車両⇒新型低床LRT
 LRTに転換すると、平日2.1倍の人が乗り出した。うち自動車からの転換が11.5%、新規が20.5%となっている。料金は、140~250円 ⇒200円
 新規は、閉じこもりがちであった高齢者を誘導したとして、健康福祉的に効果が喧伝されている。しかし、自動車からの転換が10%を越えていることも見過ごしてはいけない。が、その理由は示されていない。
 おそらく、15分ピッチ、23時台最終が十分条件であって、デザインが恰好良い、ICカードが先進的、地球に優しそう、ライフスタイルのカッコ良さが、PULL要因ではないかと類推する。
 そこで、デザインの良いバス、カッコ良いバス停を調べてみた結果、ローカルに使える低床では、両備の未来バスSOLARVAが良い。和歌山電鉄のたま電車やJR九州の水戸岡デザインである。Jpg Jpg_2 内装が素晴らしい。座席とちゃいマンネン。デザイナー家具でんねん。
 停留所では、寒いところなので、Jpg_3 または、Photo が理想だが、歩道では難しい。デザインだけでいえば、MCドコーよりも、ドイツのヴァイル・アム・ラインにある建築家テーマパーク「ヴィトラ社工場」のが凄い。これらを満載して、10分ピッチ、最終24時で動いて、パーク&ライドをすれば、クルマから乗り換える人も出てくるのではないか。Photo_2

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