生き続けたい町:釜ヶ崎で感じたこと
昨日、京都大学安寧の都市ユニットの勉強会で、社会人大学院生と西成区釜ヶ崎と飛田遊郭を歩いた。地区の結核病者の発見と薬治療、都市衛生の努力、なかなか、薬を飲み続けてくれない苦労を伺った。
ゲストの西川勝(大阪大学CSCD同僚)が、「生き続ける意味が見つられないなら、薬は飲み続けてくれんでしょう」というような趣旨の発言をした。流石西川、本質議論だった。
流れついた人々、そのネットワークと孤独・高齢化、地縁住民の思いとコミュニケーションレス、多様輻輳した都市課題のなかで、ビジョンが見えないままの個々の特区政策手法。
住んでいる人も流れ着いた人も、子供も老人も、皆が生き続ける意味をコミュニケーションできる町とは何か? その上で、どんな街をめざすのか? それを示さねば、特区手法だけでは課題解決は難しい。なぜなら、定住する人、流れてきた人、支援する人の心が動かねば町は動かないからだ。結核患者が、薬を飲み続けてくれないように…。
重い課題の前で、立ちすくんでしまった。
本日、母の百ヶ日、骨を大阪の一心寺に納めに行く。
医療を懐疑し、長期入院・延命手術・施薬を拒否した母は、認知のなかで心密かに、私たちの生活に負担をかけまいと、死を選んだのではないか。母は大往生、誰にも迷惑をかけず往ったが、私たちは本当に母の生き続ける意味を担保できたか。西川の言葉を聞き、再度、自分に問いかけてみつつ、納骨したい。昭和34年、父の納骨で、コトっという音を聞いて以来、半世紀以上、貧乏と能力不足のなかで闘いつづけきた。自分の来し方と、母の生きてきた意味を問いつつ。
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