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2012年10月20日 (土)

自動車交通量とコミュニティ衰退:リバプールストリート

ドナルド・アップルヤード@カリフォルニア大学『リバプールストリート』に、サンフランシスコの3つのコミュニティが描かれている。

街路

日クルマ通行量

ピーク1時間通過台数

一人当たりの友人

一人当たりの知人

コミュニケーションの場所

A

2000/

200/時間

3

6.3

15ヶ所

B

8000/

550/時間

1.3

4.1

4ヶ所

C

16000/

1900/時間

0.9

3.1

3ヶ所

Libapoolstreet_2
自動車交通の少ないA街路の住民は、近所づきあいの導線が車道も含め網の目状になり、立ち話や遊んでいる点が点在している。街路Bでは、導線は残るものの、立ち話の点は消えてしまう。ピーク時、自動車が32台/分通る街路Cでは、つきあいを示す線がまばらになる。そうして、友人がAの1/3、知人が1/2となり、A街路の人が思う「我が家みたいな街」という感覚は消え、「引っ越したいと考えている」「すでに多くの人が引っ越した」という人が現れる。
 最近、昔住んでいた、駅から徒歩20分、皆、クルマで出かけるニュータウンを訪れることがあった。私も含め多くの人は引っ越し、子供は戻らず高齢化し、地価は下落し、小学校は閉校直前。相互に不信があふれ、街路には「不審者注意」の看板が林立する。クルマ移動を前提にすると、自動車交通量が減っても、屍のような街になっていた。
 ことは、都市住宅学がいう、リノベーションや住宅住み替え融通が難しいだけの問題だけではない。自動車とコミュニティ・コミュニケーションの問題を考えなければ、何も解決しない。

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