« 個人的なことですが、母の往生 | トップページ | 【事業:お遍路】お遍路プロジェクト発表会 »

2012年8月 6日 (月)

遠山郷木沢

宮本常一が撮影した吊り橋のバスの写真は、背景に平入り納屋と竹林を見ると、木沢の元中学生がいうとおり小道木橋である。Photo_2 ここは和田よりさらに奥、木沢に至る難所で、橋や道を開きにくい。現状は、写真のとおりで、川合線開通記念碑(昭和43年)と「川合里道紀念碑(年未詳、石碑形状から43年より前と推定)」がある。宮本の撮った橋は、川合里道であり、統合された遠山中学に通った道であり、昭和30年代に和田より奥にバスが通い始めた場所である。今は、三遠南信高速道路の工事がなされている。
 木沢の歴史は、水害と飢饉の歴史であった。1716年、1719年、1726年、1931年大洪水に見舞われ、1733年餓死者続出、1997年天然痘流行、1836年大飢饉暴動、1877年大火、1894年天然痘流行、1895年赤痢大流行、同年、王子製紙が共有山の立木地上権を取得している。1886年赤痢・天然痘大流行、そうして1925年にラジオが入り、26年焼き畑が衰退し養蚕が流行る。1930年大火、1947年平岡と和田に間にバスが走り、1948年コンニャク景気となる。
 こうしてみると、山奥の人が、医療などで都会とつながりたい気持ちはよくわかる。しかし、高齢化と厳しい財政の中で、こうした土木工事だけで、本当に地域の未来を創れるのか、途方にくれてしまった。 20120807_054  20120807_051

|
|

« 個人的なことですが、母の往生 | トップページ | 【事業:お遍路】お遍路プロジェクト発表会 »

交通を活かしたまちづくり」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 個人的なことですが、母の往生 | トップページ | 【事業:お遍路】お遍路プロジェクト発表会 »