越中八尾おわら踊りの悩み
越中八尾で地元青年の声を聴いた。
富山の南、飛騨山地の際、八尾(やつお)は紙・養蚕で栄え、かつては蚕種の70%がここで生産された、前田藩のドル箱だった。ここの八朔盆(稲の実りの旧暦8月朔日の風除けの盆踊り)は、前田藩支配が終わった近代、その財力と文化力により、江尻豊治(1890年 - 1958年)が、浄瑠璃仕込みの歌に磨き、明治30年頃から、宴会芸、放浪芸から胡弓が入って哀愁をおびるようになった。1928年(昭和3年)初代おわら保存会長川崎順二が画家・小杉放庵に歌を聴かせたところ、歌詞の性表現・あてこすり等が、芸術性を欠き、いずれ衰退すると指摘された。川崎は小杉に民謡歌詞を依頼し、町の魅力を語る「八尾四季」ができた。この八尾四季に振り付けをしたのが舞踏家・若柳吉三郎で、これが「新踊り」という。
この芸術性の高いおわらが、美しい街並みを流す様は幻想的で、野口雨情、佐藤惣之助、水田竹圃、高浜虚子、長谷川伸、小杉放庵、小川千甕、林秋路)らが、八尾を訪れ、新おわらの歌詞を残している。
最近は小説や歌謡曲等にとりあげられ、旅行会社ツアーで、年間60万人が押しかえる行事になっている。
しかし、
■一時に多くの自動車が押し掛けることでの渋滞、無謀運転の町への乱入
■一時に多くの人が押し掛け、混乱が起きている
■地元に宿泊場所がなく、また9月1-3日に集中し、労多くして、雇用に結びつかない
など課題が多い。伝統もあり、みんな必死なので、議論もまとまりにくい。
しかし、北陸新幹線が開通して、一気に人が押し掛けたらどうなるか?土日、観光客で渋滞して、世界遺産取り消しの噂が絶えない白川郷のようにしてしてしまって良いのか?地元青年の問題意識に、強く共鳴した。
美しい諏訪町まち並みで、一生懸命練習する中学生、それを指導する青年を見ていて、この尊い思いを大切にせねばならぬと思った。
とはいえ、いろんな相談を受けたが、歴史があり、重すぎる課題で、関西に戻って、私は今、立ちすくんでいる。
えらい大問題を耳にしてしまった。困ったなあ・・・。
朝まで町を流す。町、踊り、暮らし。川崎順二の思いを現代に活かすには、どうすれば良いのだろうか?
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