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2012年8月17日 (金)

ミダス王と自動車

 ギリシャ神話のミダス王は、葡萄酒酩酊の神・ディオニソスから、触れるものがすべて黄金に変わる能力を得た。快楽王ミダスは、オークの小枝や小石を黄金にして狂喜した。しかし、食べ物が黄金に変わって飢え、水が黄金の氷柱になったとき、この能力が破壊の源泉であることを知り苦しむ。嘆き悲しむ王を心配して近づいた娘の手をとったとき、娘が黄金の彫刻に変わってしまった。ついに、ミダス王はこの能力を返上すことを決意し、パクトーロス川で沐浴し、その能力を放棄した。黄金の能力が転移した川では、以後、砂金がとれるようになったという。

 自動車は便利である。いつでも、どこにでも簡単に行ける。ナビがあれば、地図も持たずとも、正装せず(下着やスリッパのままで)とも、外出できる。わずかな燃料費用を考慮するだけで、高速道路無料、ガソリン税減税なら、「国民の生活が第一」が実現できる。大衆に、「すべてを快楽に変える」政策を訴えた政党が圧倒的な支持を得て政権をとった。

 神戸市の温暖化防止計画の結果を聞いて驚いた。エコカー減税と、景気の減速で、CO2削減が、運輸部門で大幅に達成されている。電気自動車が普及すれば、夢のような社会が実現するのであろうか。

 ここで思い起こしてほしい。すべての欲望を満たす便利な能力は、破壊の根源であったミダス王の教訓を。

 自動車はとても便利であり、それなしには暮らしは考えられない。しかし、すべてが電気自動車で自動制御(高齢者の障がい者も子供も乗れる)になったとしても、人が一定の専有面積(バスの16倍といわれる)をとって欲望のまま移動すれば、道路は不足し、最大輸送量を担保しようと思えば、市街地面積の半分を道路にせねばならなくなる。

 自家用車で自由に走ることも大切な豊かさだ。一方で、少し不便だが、時間を調整し、空間を調整して、公共交通に乗り合わせる、緊張感と相互配慮の都心や車内でのコミュニケーションや出会いも大切なのだ。その歴史的な重なりによるわが町の記憶、故郷感、愛着心を、文化とよぶ。これこそ、我々が都市で生きる意味ではないだろうか。

 広島マツダ販売では、自動車購入の制約記念に、公共交通ICカードを配布しているのは、このためである。
 
今、中心市街地の多くが駐車場になり、道路は立派になったのに商店街はシャッター街となり、ちっとも楽しくない。ほどよいクルマの使い方を、政策実現しなければならない。

後日譚がある。ミダス王は、アポロンの竪琴よりも友人の笛が美しいと言い張ったため、耳がロバの耳になった。彼が態度を改めるまで、蘆群から「王様の耳はロバの耳」のざわめきが消えなかった。自動車と公共交通のあり方を、現場に耳をすませて、今、誰かが語りださねばならない。

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