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2012年8月

2012年8月31日 (金)

超小型電動自動車実験の検証(淡路島)

淡路環境未来島の活性化策のひとつとして、日産の超小型電動自動車体験者の意見を伺った。過疎地高齢者の利用可能な移動手段を超小型電動自動車も含めて10書き上げ、経済性、制御性(操作コントロールできるか)、安全性(もし事故がおきたとき)、利便性で5段階評価してもらった。事前に用紙を用意し、私の見地からの評価を入れ、それを参考に、小型電動自動車も含めて、相対評価をもらった。ただ、自家用車依存の元気な高齢者に、そのほかの移動手段の可能性、自動車の危険性を理解してもらうのは難しいことがわかった。また、バスよりもタクシーへの信頼、期待が高いこともわかった。
 超小型自動車についても、ミッションボタンが高齢者には押しづらい、ゴーカートのように車高が低すぎて乗り降りが高齢者には辛いなど、多くの課題があることがわかった。
 こんなんできました。だから高齢者にどうですかという、技術オリエンテッド、ニーズ・アバウトではいけない。地域の暮らし方を意識して、新技術を展開する方向を考えなければならない。次の話し合いは、9月7日、淡路島生田のそばカフェである。観光も意識して、議論したい。
Img 路線バスは、高校生通学用に4本/日。バス停から被調査地まで0.5-0.9km、比高10-20m。これはバス停圏域とは言えない。使えない。実際、使っていない。

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Greenest city oslo と 富山

Httpenwikipediaorgwikifileoslo_fr_2httpen.wikipedia.orgwikiFileOslo_from_holmenkollen.jpgHttpwwwgoodlifereportcomgreengreene

httpwww.goodlifereport.comgreengreenest-international-city%3A-oslo,-norway
1   httptokiwai.blogspot.jp200705blog-post_22.html
ノルウェーの首都オスロを、海上から見て驚いた。森のなかに建物が浮かぶ、森のなかに都市がある。芦屋の景観も川と森のなかに住宅が点在する。
 芦屋では隣地境界1m(民法上は0.5m)など厳しい建築制限がかかる。オスロでは、敷地内建物の高さは敷地内樹木の高さを越えてはいけないと聞いた(未確認)。
 しかし、個人所有地の利用制限を条例で規制することは、極めて難しい。
 むしろ、点在する駐車場のデッドスペースに、立山杉の大きな鉢を置く、駐車場の轍以外を芝生化する(駐車スペースのバック、中央)などの施策が、まちなみを緑にする、大きな役割を担うと思われる。
 環境未来都市、コンパクトシティ、デザイン都市のリーディングとして、富山市は駐車場の緑化に取り組んでほしい。
 自ら緑化する駐車場事業者には、行政の駐車場の管理を任せたり、緑化意思のある駐車場経営の市民には、芝生や立山杉鉢を貸し出しても良い。
 一気に進める前に、中心市街地や駅前広場において、モデル的に展開し、事後、公園緑化課と中心市街地活性化課との連携がすすめば良い。

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2012年8月30日 (木)

ターミナル情報提示ICTのあり方

 昔は道路予算で、システム組んで3000万円、タッチパネルなど5000万、協議会(または商店街で維持費)1000万/年、ダイヤ更新は交通ファンのボランティアに100万円でお願いして、結局、データ更新できず破綻。子供の遊び道具になったタッチパネルにゴミがたまりフリーズ。全国のICTセンター?、どこに行った?(金額はケースバイケース、無責任推測。根拠はないわけではない)
 最近は、自治体が3000万でシステム組んで、表示装置など3000万円、事業者協議会で更新・運営・サーバー費用を1000万円出してもらうのか。
 少し賢い自治体・事業者だと、既存システムのカスタマイズで1500万円、表示装置1000万円、データ更新費用300万円/年、という手もある。4言語化(日英中韓語)のオプションだとさらに費用が・・・。PCやスマホに落とすと、さらに別料金が・・・。
 しかし、特定のシステムを組んでも、市民すべてがヤフーやグーグルなど汎用検索エンジン上で路線検索、位置情報検索できねば意味がない。世界中の汎用検索エンジンで検索できねば、四言語化の効果は期待できない。
 システムを組む費用を考えるのではなく、どのプロバイダーと組めば、バス情報、公共施設情報、バス乗り場情報、観光情報をカスタマイズ化してくれ、更新してくれるか。4言語化(日英中韓語)が可能か。その費用を見積もる必要がある。
 たとえば、駅すぱーとの場合、現状で各データが4フォルダーに分かれているので、4言語用システム加工の必要がない。バス情報は、無料検索エンジン上で、オープンになっている。関西の場合、関西バス情報見える化会議(近畿運輸局)で95%以上のバスデータが、毎時更新され、無料で見れる(バス情報が、検索上で無料で見れないプロバイダーは、公共施策としては契約しづらい)。
 その上で、プロバイダーがデータを
■駅情報提示にカスタマイズ化
■個人スマホアプリにカスタマイズ化
する必要がある。
 システムを組むよりも、カスタマイズ化は安価、更新は駅情報、個人スマホにも活用され、行政情報提示としても有意味であり、更新費用予算組の根拠が示しやすい。
 駅での情報提示は、
A=JR改札を出たところ
A’=地鉄駅改札を出たところ
B=まちなか情報
C=総合案内所
D=バスチケット売り場
Img_0002

Aの具体は、「市内電車・バス」と「富山地鉄」「高速バス」に分けて表示Img_0004
A’は、「新幹線、JR、高速バス」となるか。
Cは、「市内電車・バス」と「まちなか情報」が連動すれば良い
Dは、「市内電車・バス」「高速バス」のみ
 乗り場は、北①②・・・、南①②・・・、市内電車1、2・・・、地鉄 とわかりやすく表示
A、Dなどに、交通案内のボランティアスタッフが多数必要。彼らは、要望に応じて、まち歩き観光(30分[セントラムでまちなか歩き]、90分[岩瀬浜、北前船]、半日[八尾])もできると良い。その旨、4言語で表示していれば良い。

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2012年8月29日 (水)

JR巨大駅ビルは都心を衰退させるか(京都駅ビル現象の可能性)

戦艦のような京都駅ビルは、河原町・三条の中心商店街(3~2.5km離れている)から駅に人を奪い、都心のデパートが撤退、厳しい状況である。▼
 同様に連合艦隊のような大阪駅ビル、駅直結「うめ北計画」により、丸紅準本社機能の堺筋本町(駅から3km)からの移転など、大阪のビジネス床も都心から移り空洞化する危険性がある。▼
 JRとしては、次は三ノ宮駅ビル計画、広島駅橋上化ビル計画である。三ノ宮は神戸の都心であり、それ自体大きな影響はない。広島駅と八丁堀・紙屋町は1.2-1.6kmであり、京都ほどではないが、中心商店街衰退の影響はありえる。▼
 北陸新幹線開業においては、金沢駅をみる限り、JRが富山で大きな駅ビルの投資をする、投資価値も余力もない。総曲輪(富山駅から1.1-1.3kmの都心)は、心配する必要はない。♨
 むしろ、1.1-1.3kmと駅に近いことを活かし、セントラム(LRT)活用やデザイン性向上など、歩きやすい環境を整え、相乗した価値向上をめざすべきであろう。中間にある従来型の県民会館を、広場機能を持つ次々イベントや出来事がおきる場に育てる必要がある。この中間地点にビジネスマッチング、イノベーション、見本市・展示場の場が必要だ。県庁前公園を日比谷公園のように野外ステージ、オープンカフェ化する必要がある。もっと活用する必要がある。県庁の前庭ではダメ。
 一方で総曲輪で買い物、食事をするなら、富山駅ー総曲輪は、セントラム無料という、ポートランドのような手もある。Img_1200898_31731479_3 [YUKISON:http://blogs.yahoo.co.jp/hnd_ken/31731479.html]
このセントラム開業の写真を見て気づいた。セントラムの走るところは、土日、自動車を排除して屋台を並べれば、賑わいができる。市民プラザ前300mから、車道を取り去り「立山杉の大きな植木鉢」でも置いて、ぶらぶら歩けるようにすべきではないか。開通式の熱気を忘れたような街はつまらない。毎土日を、若者があふれる開通式のようにしてほしい。

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2012年8月28日 (火)

新幹線開業後の国県市連携の富山空港活用策

富山空港は、河川敷を利用したコンパクトな空港。誘導路を設ける幅がなく滑走路を誘導せねばならない、橋梁があって2000mを越えられないなど課題はあるが、県中央にあり、県庁から15分と、地方空港としては使い勝手が良い。1500台の無料駐車場もある。立体化すれば3000台は可能。
 新幹線開業後、東京便が廃止されると、空港としての機能と効率が疑われ、国際線も維持できない。その対処を今から考えておく必要がある。
■LCC航空路線の誘致開発 富山ー神戸(スカイマーク)、富山ー中部(フジドリーム)
 理由…金沢で新幹線が寸断されるので、関西・中部との結びつきが切れるから。
 ただし、東海中部北陸道で近いので、中部は難しいかもしれない。    
■空港のP&Rターミナル化と駅ー都心ーIC-空港のBRT化(高規格快速バス:一部専用線)
 理由…コンパクトシティ・環境未来都市を視野に、都心までクルマで乗りつけず、ここでBRTに乗り換えるライフスタイルの導入。南から3000台入らねば、城址公園通の通行量が減る。その分をバス専用線にする。
■結果として、国際線、国際チャーター線の確保ができる

国・警察は、城址公園通のバス専用線のために荷捌帯・バス優先信号などの整備を行い、市の「お団子と串」の都市計画を熟知している県は、空港をP&R(パーキングアンドライド)の大きな団子(ターミナル)として整備し、市は北のライトレールに匹敵する流線デザインの連接バスを整備する。
 韓国sejong市のBRTSejong_city_brt 、幕張都心のBRTMakuhari1135 を比較すると、富山は前者のデザインではないか。

国県市の連携のとれた交通政策が期待される。

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2012年8月26日 (日)

越中八尾おわら踊りの悩み

越中八尾で地元青年の声を聴いた。Owara_2009
 富山の南、飛騨山地の際、八尾(やつお)は紙・養蚕で栄え、かつては蚕種の70%がここで生産された、前田藩のドル箱だった。ここの八朔盆(稲の実りの旧暦8月朔日の風除けの盆踊り)は、前田藩支配が終わった近代、その財力と文化力により、江尻豊治(1890年 - 1958年)が、浄瑠璃仕込みの歌に磨き、明治30年頃から、宴会芸、放浪芸から胡弓が入って哀愁をおびるようになった。1928年(昭和3年)初代おわら保存会長川崎順二が画家・小杉放庵に歌を聴かせたところ、歌詞の性表現・あてこすり等が、芸術性を欠き、いずれ衰退すると指摘された。川崎は小杉に民謡歌詞を依頼し、町の魅力を語る「八尾四季」ができた。この八尾四季に振り付けをしたのが舞踏家・若柳吉三郎で、これが「新踊り」という。
 この芸術性の高いおわらが、美しい街並みを流す様は幻想的で、野口雨情、佐藤惣之助、水田竹圃、高浜虚子、長谷川伸、小杉放庵、小川千甕、林秋路)らが、八尾を訪れ、新おわらの歌詞を残している。
 最近は小説や歌謡曲等にとりあげられ、旅行会社ツアーで、年間60万人が押しかえる行事になっている。
 しかし、
■一時に多くの自動車が押し掛けることでの渋滞、無謀運転の町への乱入
■一時に多くの人が押し掛け、混乱が起きている
■地元に宿泊場所がなく、また9月1-3日に集中し、労多くして、雇用に結びつかない
 など課題が多い。伝統もあり、みんな必死なので、議論もまとまりにくい。
 しかし、北陸新幹線が開通して、一気に人が押し掛けたらどうなるか?土日、観光客で渋滞して、世界遺産取り消しの噂が絶えない白川郷のようにしてしてしまって良いのか?地元青年の問題意識に、強く共鳴した。
 美しい諏訪町まち並みで、一生懸命練習する中学生、それを指導する青年を見ていて、この尊い思いを大切にせねばならぬと思った。
 とはいえ、いろんな相談を受けたが、歴史があり、重すぎる課題で、関西に戻って、私は今、立ちすくんでいる。
 えらい大問題を耳にしてしまった。困ったなあ・・・。
Img_0001 朝まで町を流す。町、踊り、暮らし。川崎順二の思いを現代に活かすには、どうすれば良いのだろうか? 

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2012年8月21日 (火)

お婆ちゃんのくれた夏休み

実母が病院にも行かず薬も飲まず手術もせず7月26日に急逝し30日に発見された。東京で芝居をやっている子供が戻ってきた。28日に胸に火傷をおい、次の仕事やオーディションを入れていなかったので、8月20日まで自宅にいた。福山で暮らすつれあいの義父母も83歳、倉吉のつれあいの姉もターミナルケアの状態で、当初より8月18-20日、子供達を呼び寄せ、医療を拒否する実母ともども、神戸ー福山ー倉吉と見舞い巡りを計画していた。
が、母の死で、急遽3週間の家族同居復活となった。
 驚いたのは、息子の成長である。高校卒業を待ちかね、大きな荷物を持って木戸を開けてそっと出て行き、カネにもならない芝居の真似事と思っていたら、私が見ていた「龍馬伝」の海軍操練所にもいたようで、他にもCMにいくつか出ている。無論、なかなか自立は難しいが、着実にキャリアを積んでいる。苦労をしているようで、私の25歳よりも、ずっと大人である。
 じっくり話し込む中で、他者の暮らしに対して「いとおしく思う心」を持つと人が集まり(いろんなチャンスができ)、加えて、他者の行いを「とおといと思う眼」(宮本常一)を持つと、人が動き出す(仕事やプロジェクトが展開する)、最近の私の体感を伝えた。人を軽く見たり、悪口は、己を貶めることだ。異論があれば、目立たぬようにそっと席をたつことだ(宮本常一)と伝えた。
 誠に恥ずかしい親で、成長した息子と改めて3週間暮らしてみて、はじめて伝えるべきことが伝えられたような気がした。
 同時期、激しい日程の専門学校を終えたばかりの娘も帰ってきていた。病気を乗り越えた彼女も大きな決意をしたようである。
 ウチの子は、揃いも揃って社会的には不安定な子らである。私たちのこれまでの50年を、これからの子供たちに与えることは難しい社会状況がある。が、突然のお婆ちゃんの急逝が、彼らを成長させたようである。私たち夫婦は、その頼もしい後姿を、玄関でそっと見送った。
 家族の意味、幸福のあり方を、母は最後に教えてくれたようである。

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2012年8月17日 (金)

ミダス王と自動車

 ギリシャ神話のミダス王は、葡萄酒酩酊の神・ディオニソスから、触れるものがすべて黄金に変わる能力を得た。快楽王ミダスは、オークの小枝や小石を黄金にして狂喜した。しかし、食べ物が黄金に変わって飢え、水が黄金の氷柱になったとき、この能力が破壊の源泉であることを知り苦しむ。嘆き悲しむ王を心配して近づいた娘の手をとったとき、娘が黄金の彫刻に変わってしまった。ついに、ミダス王はこの能力を返上すことを決意し、パクトーロス川で沐浴し、その能力を放棄した。黄金の能力が転移した川では、以後、砂金がとれるようになったという。

 自動車は便利である。いつでも、どこにでも簡単に行ける。ナビがあれば、地図も持たずとも、正装せず(下着やスリッパのままで)とも、外出できる。わずかな燃料費用を考慮するだけで、高速道路無料、ガソリン税減税なら、「国民の生活が第一」が実現できる。大衆に、「すべてを快楽に変える」政策を訴えた政党が圧倒的な支持を得て政権をとった。

 神戸市の温暖化防止計画の結果を聞いて驚いた。エコカー減税と、景気の減速で、CO2削減が、運輸部門で大幅に達成されている。電気自動車が普及すれば、夢のような社会が実現するのであろうか。

 ここで思い起こしてほしい。すべての欲望を満たす便利な能力は、破壊の根源であったミダス王の教訓を。

 自動車はとても便利であり、それなしには暮らしは考えられない。しかし、すべてが電気自動車で自動制御(高齢者の障がい者も子供も乗れる)になったとしても、人が一定の専有面積(バスの16倍といわれる)をとって欲望のまま移動すれば、道路は不足し、最大輸送量を担保しようと思えば、市街地面積の半分を道路にせねばならなくなる。

 自家用車で自由に走ることも大切な豊かさだ。一方で、少し不便だが、時間を調整し、空間を調整して、公共交通に乗り合わせる、緊張感と相互配慮の都心や車内でのコミュニケーションや出会いも大切なのだ。その歴史的な重なりによるわが町の記憶、故郷感、愛着心を、文化とよぶ。これこそ、我々が都市で生きる意味ではないだろうか。

 広島マツダ販売では、自動車購入の制約記念に、公共交通ICカードを配布しているのは、このためである。
 
今、中心市街地の多くが駐車場になり、道路は立派になったのに商店街はシャッター街となり、ちっとも楽しくない。ほどよいクルマの使い方を、政策実現しなければならない。

後日譚がある。ミダス王は、アポロンの竪琴よりも友人の笛が美しいと言い張ったため、耳がロバの耳になった。彼が態度を改めるまで、蘆群から「王様の耳はロバの耳」のざわめきが消えなかった。自動車と公共交通のあり方を、現場に耳をすませて、今、誰かが語りださねばならない。

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2012年8月15日 (水)

コンパクトシティ富山の次の一手の試案

 富山市は日本のコンパクトシティの成功モデルであり、富山ライトレール・高山本線30分ピッチなど交通まちづくりの先端である。さらには、環境未来都市の指定を受けて、発展しようとしている。OECD「コンパクトシティ報告書」(2012年)でも、公共交通の質の向上×中心市街地の魅力創出により、民間投資を引き出す効果的な公共投資が行われている世界5代表都市として、高い評価を得ている。わが国でも、公共交通を中心とした「串と団子のまちづくり」を称賛する声は多い。
 しかし、自動車普及率全国第2位、1.72台/軒(自動車検査登録情報協会:H23)であり、普通車普及率が1990年比1.4倍(2010年:全国は1.2倍)、軽乗用車普及率は同7.6倍(全国6.4倍)である。パーソントリップの72.2%が自動車、通勤にいたっては83.8% が自動車、凄まじい自動車消費拡大都市、自動車依存社会である。 

■課題1 行政コスト(除雪、道路清掃、公園管理、下水道管渠管理)が増大。市街地が広がり行政コストが2500円/人(H17)から2800円/人(H37)に増大

■課題2 自動車が使えない市民が29.5%に増大

■課題3 中心市街地の衰退

 中心市街地夜間人口:5.2万人(1963年)→2.4万人(2004年)0.46

 中心市街地駐車場面積 27.1ha(1992年)46.1ha(2004年)1.7

自動車の普及により中心市街地(市街地の23.2%)の地価が下落する。結果、都市計画税[税収の4.6%]、固定資産税[41.2%]が下落する可能性。さらには、都市のアイデンティティ喪失の危機。
 この対処手段として、

▼手段1 上下分離(線路は富山市、経営は民間でランニング黒字をめざす)型LRT整備(富山ライトレール・中心街環状線セントラム

▼手段2 高山線増発 臨時駅、P&R
 
第一期社会実験(H18/10H20/3)富山―猪谷間 貸切列車により30分ピッチに
 
第二期社会実験(H20/3-H23/3) 富山駅―八尾駅間 の可能性を探る
 
活性化事業(H23/3- 通勤や昼間の需要・定着状況を見ながら可能性を模索
●課題解決1 沿線まちづくり

問題解決1-1 公共施設等の沿線建て替え・新築 病院の鉄道沿線移転建替え

問題解決1-2 公共交通沿線居住推進(13路線3500ha)H37沿線人口42%
●課題解決2 おでかけ定期券

65歳以上1000円/年でICカードを発行し、都心⇔各地、都心→都心のみ100円)
●課題解決3 都心創造事業(436ha)

・手段「お団子と串」は未完。越中東線バス専用レーン、連接快速バス化、幹線バスLRTデザイン。第一期はIC経由空港まで。
・空港に、P&Rスパー結節点整備
・おでかけ定期は、若者移動促進に活用。バン・軽トラなどを含む中古カーシェア。過疎地空家居住促進。
・ワークライフバランス、若者雇用、若者定住促進、子育て支援、終身雇用など安心して暮らせるまちづくり。
・協働によるコミタク・グループタクシー・デマンドなどのフィーダ整備と公民館遊休施設やコンビニを活用したローカル結節点整備
・バスも含めた移動検索とEチケット発行、都心端末整備などのビジネスモデルとキャリア公募、地元IT企業とJV

など、課題解決はこれからである。

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2012年8月10日 (金)

中心市街地活性化の方向性

大阪市の有能な某職員には、役所が指定管理した施設において、嘱託で働く娘がいる。自分は、業務外でボランティア活動をしながら、その活動や経験を仕事にも活かしているが、子供の世代を見ると、もう少し子供たちの安心した暮らしが担保できないものかと、悩んでいるように見受ける。
 実は、私の息子も、芝居だオーディションだと、ろくでもないことになったが、好きだから仕方ない。しかし、東京に出て3年、それなりに役割を果たし、それなりに自活している。母の死もあって、西宮に戻らせ久しぶりに一緒に暮らしてみると、なかなか一人前に成長している。
 ぼくらの世代のこれまでの40年と同じものを、人口減の世代に与えることは難しい。とはいえ、人口減だ、長期不景気だと、老人鬱のように嘆いてばかりでは、どうしようもない。
 雇用の安定しないアートやアニメの若者、任期付きの女性研究者、嘱託のスポーツコーチ、方向性に迷う原子核物理研究者・・・、こうした真面目で有能な女性若者に、最低限の移食住、移職住を担保し、居住促進することが、地域活性化の肝ではないかと思っている。
 地方都市では、過疎地の空き家等の居住促進、食糧自給と特産品開発・福祉技能教育、それに都心まで100円で出れる公共交通、軽トラなどのカーシェア・・・移食住を担保して、好きなだけ芝居やアートに励んでもらう。そんなイベントを中心市街地で毎週のように展開する。可能なら結婚も子育てもしてもらう。
 そんな楽しい地方都市には有能な若者が集まり、中心市街地が活性化し、都市価値が向上し、必ず新産業が立地するだろう。
 大都市でも、空き地や公有地での自給農業を展開し、かつ空き地・公有地活用の再生可能エネルギーによる隣接発電を促進し、福祉技能教育とともに職開発をすすめることが重要である。大都市では、とくにワーキングママの子育て支援、女性雇用が大きな意味を持つ。っ社会実験としてのおおきなアートイベントも大切だ。大都市の活力は、女性と若者定住にしかない。

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2012年8月 9日 (木)

大阪市改革プログラムにもとづく協働まちづくりの大展開を確信

昨日、市職員の部局を越えたコミュニティビジネス創造塾の中間発表会があった。
■地域主体の公園維持管理(総務局、財務局、4区役所の個人)
■区民の区民による区民のための広報紙(建設局、経済局、3区役所の個人)
■小学校の生涯学習と放課後事業の一体化(教育委員会、市民局、こども青年局、建設局、3区役所の個人)
 予算を持ち寄り、リーガルチェックをかけ、部局意見をヒアリングし、「こんなことができるのか!」と感嘆する企画内容だった。
 驚くべきことは、
・この中間発表に区役所など20数人が押し寄せ、傍聴参加して耳をすませたこと
・各部局から、前向き協力の、素晴らしいコメントが寄せられ、創造的コメントに拍手が起きたこと
・終了後も、部局と発表者の間の、互礼、あいさつ、意見交換の長い立ち話が、勤務時間を越えて続いていたこと

驚いた。
 大阪市役所は一気に変わろうとしている。CB創造塾の職員が、仕事が楽しく、大きく成長しようとしている。区役所はこの成果を必ず受けとめるであろう。事業を展開する市民も成長するだろう。
 人を成長させる事業は、感動と共感をよび、必ず成功する。
今後は、
*若者雇用に配慮する
*地元企業、企業CSR、企業事業との連携・協働に配慮したビジネスプログラムづくり
が、課題となろう。
 最後の発表は、産業創造館も交えた意見交換になることを期待している。

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2012年8月 8日 (水)

先斗町

27日、京都先斗町の舛之矢さんの床にお世話になった。おかあさん、市福姐さん、志奈寿さん。ありがとう。
 先斗町の協働まちづくりも喫緊の課題。どうやって演舞場を維持するのか、呑み屋の床などのなかには、伝統を壊し安売り的なものもある。悩みはつきないなか、昔どおりを主張するお茶屋も多い。
 舞妓さん、芸子さん、お母さんを含めた協働のまちづくり、語り合いが必要だ。20120807_014 20120807_010
いやー、先斗町のワークショップやったら、タダでやってもエーなあ・・・(でれでれ)
 これにて、新潟鍋茶屋、東京向島、そして京先斗町、経験。貧窮、公務員にしては、楽しませていただいています。次は、長崎丸山か?
 母の喪中に、仕事も遊びもないまぜ。
「これでイイのだ」

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2012年8月 6日 (月)

【事業:お遍路】お遍路プロジェクト発表会

8月7日18時~ CSCD2階スチューデントコモン・セミナー室2 です
学生、卒業生参加歓迎
慰労、交流、近況報告会の側面もあります

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遠山郷木沢

宮本常一が撮影した吊り橋のバスの写真は、背景に平入り納屋と竹林を見ると、木沢の元中学生がいうとおり小道木橋である。Photo_2 ここは和田よりさらに奥、木沢に至る難所で、橋や道を開きにくい。現状は、写真のとおりで、川合線開通記念碑(昭和43年)と「川合里道紀念碑(年未詳、石碑形状から43年より前と推定)」がある。宮本の撮った橋は、川合里道であり、統合された遠山中学に通った道であり、昭和30年代に和田より奥にバスが通い始めた場所である。今は、三遠南信高速道路の工事がなされている。
 木沢の歴史は、水害と飢饉の歴史であった。1716年、1719年、1726年、1931年大洪水に見舞われ、1733年餓死者続出、1997年天然痘流行、1836年大飢饉暴動、1877年大火、1894年天然痘流行、1895年赤痢大流行、同年、王子製紙が共有山の立木地上権を取得している。1886年赤痢・天然痘大流行、そうして1925年にラジオが入り、26年焼き畑が衰退し養蚕が流行る。1930年大火、1947年平岡と和田に間にバスが走り、1948年コンニャク景気となる。
 こうしてみると、山奥の人が、医療などで都会とつながりたい気持ちはよくわかる。しかし、高齢化と厳しい財政の中で、こうした土木工事だけで、本当に地域の未来を創れるのか、途方にくれてしまった。 20120807_054  20120807_051

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個人的なことですが、母の往生

去る平成24年7月26日、母は、急性心疾患のため、自宅にて安らかに永眠しました。享年満82歳でした。晩年、優しい二人の嫁に囲まれ、楽しい日々を過ごし、思い残すことなく、最後まで「誰の世話にもならん。病院や施設の世話にはならん。私はどっこも悪いところはない。薬も必要ない。杖もつかない」(本人の口癖)と言いはり、3つの朱印帳、朱印に染められた経帷子をまとい、見事に旅立ちました。
 母の賀状・住所録などから、ご連絡申し上げましたところ、
新婚をすごした新長田の長屋の隣人、ダンロップの同僚、仮設住宅の隣人、川柳の友人、復興住宅の隣人、みな皆様から、温かい言葉をいただきました。なかには、高齢を押してかけつけていただいたり、出勤前のご子息にご会葬いただきました。本当にありがとうございました。
 産湯を使った瀬田の皆様には、いつも「きーちゃん」「きーちゃん」と温かいご支援をいただいておりましたが、今度も遠いところをお運びいただき恐縮です。昭和34年、父の急逝以後、常に庇護していただいた父方親類のみなさま、暑い中、本当にありがとうございました。
 小さな家族葬でしたが、長時間にわたり、皆様の温かいまなざしを頂戴し、ほのぼのとした時間を過ごすことができました。
 本当に感謝の念でいっぱいです。

この葬儀には、不思議な縁が多々ありました。
 茂一夫婦は、心臓の薬や手術を拒絶してきた母に、はやめに東京にいる子供たちをあわせておこう。高齢のつれいあいの両親にも合わせたい、病身の叔母にも会わせたいと、8月18-20日、予定を組んだところでした。きっと、「そんな短時間ではだめだ、子供たちの将来も含め、家族でじっくり話し合え」という故人の意図ではなかったかと思います。ちょうど息子もやけどをしており、オーディションやアルバイトも中断しており時間がありました。切って貼ったようなタイミングです。
 19日:弟夫婦による食事会、22日:私ども夫婦による食事会とお盆のお供え持参を見送った後、時期を計るように息をひきとりました。22日には、父・茂の仏壇に向かって「こんなことをしてくれる息子はいない。ありがたい」と報告しておりました。今まで、「もう50回忌もすんだのに、拝まなくとも…」といっていたのに、突如として、不思議な言葉を残していきました。
 弟の晩年の結婚を喜び、満面の笑みを残しました。それが遺影になりました。弟への心配もなくなり、私にも最後の「感謝」を口に、やるべきことをしっかりやって旅立ちました。
 そもそも、遺体搬送を依頼した自動車がたまたま平安祭典で、彼女が積み立て金を用意していた冠婚葬祭が平安会館で、その会場が下沢通、私の入園式・入学式に来た兵庫北部幼稚園・中道小学校の近くというのも、できすぎた話です。
 確かに生前の母の言っていたように、病院や施設、ヘルパーや薬や杖にいたるまで誰の世話にもならず、誰にも負担をかけず、私ども兄弟、親子のコミュニケーションの時間を充分与え、瀬田や森栗のみなさまとの厚誼の場を提供し、母はみごとに逝きました。
 誠に、あっぱれな母でありました。
が、それもこれも、皆様のご配慮、ご慈悲あってのことであります。
 若干の病気もあり、皆様には多々ご迷惑をおかけしたことと存じます。どこまでが病気で、どこからが、もともとの性格なのかわからないこともあり、手前どもも苦慮してきました。深くお詫び申し上げます。
 とはいえ、母の見えざる配慮を思うとき、皆様のご厚誼、ご支援あっての我々であり、小さな兄弟家族、助け合って暮らしていかねばならんことを、改めて思い知りました。

凡夫には生老病死、事故や災害、カネの不安、家の永続の不安、人間関係の怨讐、煩悩がつきまといます。四苦八苦です。事故で打ちひしがれ虚無に陥ることもあります。何が何でも家を守らなきゃと思って苦しみ、子供に多大の負荷を与え、相互誤解が広がることも多々あります。それは悪気のある話ではなく、人が弱いからです。
わたしたちは、周りの人に支えられて生きており、それに感謝しつつ、目の前の人間どおしが、支えあい、じっくり話し合って、暮らしていかねばならんと、最後に母から教えられました。激しい気性の面もあり、これまで母に絶句し難儀したことはあっても、母を尊敬したこともなければ、逆に褒められたこともありませんでした。が、私たちは、最後の最後に「喜んでももらい」「褒められ」ました。そして、最後に気づきました。
なんと偉大な母であるか。

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