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2012年7月

2012年7月31日 (火)

遠山郷のバスわたる吊り橋

宮本常一が撮った昭和の情景(2010年3月26日)で紹介した、木の吊り橋をぎりぎりいっぱいでで渡るバスの写真 の場所に行きたくて、今、遠山郷和田にいる。
 現地に行って吊り橋の写真を見てもらうと、「えっー、(写真を見て)ぞっとした。娘の頃(昭和30年前後)、和田から阿南の病院に行くとき、平岡駅(遠山口)まで乗った。轍がぎりぎりで、いつ谷底に落ちるか怖かった」という。
 別な女性は、「これは木沢(和田のさらに奥の集落)の小道木橋。中学の時、毎日歩いたからわかる。通学にはバスに乗らなかった。バスが通るとギシギシ音がした」という。
 柳田國男『信州随筆』に和田は山村として登場する。それを受けた後藤総一郎『遠山郷物語』によれば(括弧内は現地傾聴)、
M29-T11 王子製紙 1500人賃金労働者移入(村は4500人) という
(王子製紙以外も入り込んでいた。八重河内の奥、梶谷にもお茶屋があったという。お茶屋のお姉さんは、長いキセルで煙草を吸うような粋な人だった。梶谷は鎌倉権五郎景政の子孫で、仏像や鰐口も古いのがある。間部が残っており、昔、鉱山があったという。)かぶっちゃ(歌舞者)と呼ばれる酌婦も多かった。(パチンコが5軒、肉屋8軒、豆腐屋14軒あったという。合同倉庫では映画おこなわれ、登記所もあった。)Img_1866
T12  水力発電所
S11 オート三輪を移入。清水トンネル内の岩を切り、橋板をワイヤーで持ち上げる苦労
S22 トヨタ22人乗りバスで路線バス
S35 飯田線遠山口駅―和田 10往復(全盛期)
 しかし、上村・木沢と和田を結ぶバスでも、木沢の人は靴を脱いでバスの乗る、行き先を間違う、切符を買うという考えがなく銭を払わないこともあった などが記述されている。
 現地には、古いコンクリート橋が残り、Img_1874 乙姫バス停前には、対岸にクルマが渡るため、横板をわたし轍に縦板を敷いた鉄骨スラブの吊り橋があって、昭和34年の宮本常一の写真と同じ構造のものがあり驚いた。Img_1884 ただし、宮本の撮影した小道木橋は木造スラブであり、当時はどこもそうだったが、なかでも小道木橋は狭かったようだ。ここは、流れが急で、橋脚を立てても岩盤に届かず、いつも流されるという。
 近年、和田の対岸、よがわせと言って一夜で川になるといわれた場所に温泉・道の駅ができ、新しい施設が移り、外部の人も来るようになった。
 しかし、平岡ー和田のバスは、一便を除いて乗り合いタクシーになっており、Img_1877 飯田から矢幅トンネルを越えて(将来は高速道路になる)バスもやってきているが、皆の暮らしはクルマ中心である。過疎化も激しい。

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2012年7月30日 (月)

京王バスはスゴイ!

多摩モノレール甲州街道駅徒歩7分の中央道日野から、伊那行のバスに乗った。行き方が要所で説明されていた。Img1850 大きな屋根のバス停も快適。Img1853 他に、中央道深大寺(路線バス100円)、渋滞の時に田園都市線100円乗換の東名用賀、地下鉄あざみの10分の東名江田などが説明されていた。Img1857
Img1858 女性席やパウダールーム(写真左上)のあるSクラスシート(1000円)、独りだけシート(1000円)がある。Img1859 普通座席も通常より10㎜厚く快適だった。
 北アルプス扇沢など、ニーズのあるところに繊細に入り込んでいる。
中高年から若い世代まで、女性に人気がありそうだった。
 こんな努力を続けることが重要ではないか。

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2012年7月28日 (土)

危機に瀕する明智鉄道

 岐阜県の恵那市に明智鉄道というローカル私鉄が走っている。明智は尾張⇔信濃の塩・絹輸送の中馬街道の要所で、養蚕で栄え、日本初の町営水力発電所を運営し、蔵と石畳、多くの洋館を残し、1984年立村、「日本大正村」として有名になったが、近年は駐車場を中心とした立ち寄り観光にも陰りが見えつつある。
 恵那~明智間は、クルマなら30分だが、鉄道では50分かかる。市役所職員の通勤にも使えない。高齢者と高校生以外は利用しない。岩村の高校もなくなり、明智の高校は定員確保に苦慮しているという。大正ロマン号や食堂車など努力はしているが難しい。しかし、今ある鉄道を何とか生かさねばならない。
 2004年の合併後、自治体の枠を超えて明知線沿線活性化協議会を立ち上げ、
・幹線としての明知線、それに接続するバス路線を明確にし
・上限500円バスと
・可能な範囲でパターンダイヤ化し
・わかりやすい路線地図を配布し
国交省活性化再生事例として、大臣表彰を受けている。
 実際に現地に行ってみて驚いたことは、沿線畔が刈られ、森林が手入れされ、看板が少なく、農村景観が極めて美しい。こんな美しい「懐かしい日本」は、他には山口線SLやまぐち号沿線くらいであろうか。驚いた。
 伺うと、実際、競うように畔を刈るそうで、地域では草刈をやっていないと恥ずかしい雰囲気がある。明智鉄道沿線協力会でも、草刈や、駅の環境整備をおこなっている。沿線協力会明智支部には、青年会=恵南青年会議所(JC)メンバーも加入している。JCは、光秀祭、花火、岩村の祭、イベント、日本大正村の植込みボランティアなどに協力している。他に卯辰会など年齢団体も活動している。近隣のコミュニティモラルが厳しく、青年団活動など世代ごとのコミュニティ活動が強い。
 1984年、こうした多様なコミュニティ力が結集され「日本大正村」の運動が始まった。2004年の合併後、明智線沿線協議会でもそのコミュニティ力が発揮されているが、日本大正村を運営する団体は新加入が少なく、世代交代がすすまず、地域も高齢化し、活動者が少なくなってきている。
 大正村では、宿泊施設も維持できず、元気がない。危機意識はあるものの、世代交代ができず、意見がまとまらない。広域合併したなかで、合併後の恵那市役所も地元の議論を見守っている状況で、発議するのが難しい。そうこうしている間に、人口減は進み、今ある鉄道の維持も難しい。
 まずは、皆で危機感を口に出して語り合い、打開の戦略を練るべきではなかろうか。市役所が口火を切るべきではないだろうか。

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2012年7月21日 (土)

赤坂憲雄講演を聞き「3・11から何を学ぶか」

人口減に発災し、2万が亡くなった大災害、国は阪神の時のようには復旧できない。もとには戻らない。被災した水田は中世の潟に戻るだろう。しかし、東北は、勝てないけれど負けない粘り強い努力をする必要があるという。これは縮小・撤退・人口減社会の日本のモデルだ。その覚悟が必要だ。
 専門家ではなく、普通の人による、弱者(老人、とくに未来を担う子ども)に目配りし、隅を照らすような努力を、複雑化する多元社会のなかで「おりあい」をつけつつ「地域リ・デザイン」するしか手はない。希望は、ここにある。
  バスに言い換えると、
縮小社会でバス事業に勝ち目などない。国などどこまで期待できるか疑問だ。が、負けない努力は必要だ。強いクルマだけの社会で良いわけがない。社会のインフラとして、弱者(子ども、高齢者、障碍者)を支えることが重要だ。弱者が弱者を食い物にする一部の高速ツアーバスのような業態は、いずれ破たんする。関越道事故はそのきっかけである。
 負けない努力のために、事業者相互、事業者と地域社会・行政との協力し合い、法律とおりあいをつけつつ、真に必要な移動インフラとしてリ・デザインをするしかない。高速バスは、都市間インフラの主要であり、貸切バスは地域内臨機応変大量輸送のインフラなのである。余力がある上昇期でないときに規制緩和した国に不満をいっていてもはじまらない。自らの業を、地域に位置づける「負けない努力」が必要ではないか。
  各地のコミュニティ交通づくりに言い換えると、
永遠にカネが儲かる地域などあり得るのか、そもそもカネを儲け続ける必要があるのか。
カネではちょぼちょぼで勝てないけれど、人儲けをし、信頼儲けをする、出生率日本一の沖縄に学ぶ地域を各地作る必要がある。専門家でなくふつうの人の手で実現する必要がある。地域生活の基本、移動を皆でつくるという作業は、人が行き来し、あいさつしあい、語り合う活性化の切り札づくりなのだ。多元的地域の多様な意見、立場に耳を澄まし、おりあいをつけつつ地域の人の動き、モビリティのリ・デザインをする必要がある。

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2012年7月19日 (木)

山口市コミュニティタクシー5年目の潮目

コミュニティタクシーに関する内内の意見交換の議論を公開することにためらいはあるものの、この議論は、コミュニティ交通を考える行政、市民にとって極めて有益と考える。悩みつつも5年目に、一定の成果を得て、底を打ったのではないかと判断したこの時点で、状況を個人的にまとめてみた。 山口市は、
市営バス廃止
国庫補助による100円コミュニティバス(以下コミバスと称す)赤字
合併前の過疎地バス
合併前の要望のあったすべてを巡る複雑怪奇コミバス
 さらには
各地の住民からコミバス要望
既存コミバス既得権化
民営バス路線の廃止縮小
多くのクルマユーザーの無関心 など
 多様なコミュニティ交通課題をかかえる地方都市の典型。
山口市は2007年市民交通計画を策定し、フィーダー路線は住民主体で計画運営することが明示され、公募によって5路線が選ばれ、住民主体で幹線接続する地域内の路線、ダイヤ、その一定の採算性・効率性を考慮したコミュニティタクシー(以下コミタクと称す)実証実験が行われ、本格運行となった。3年以内に基準達成(平均乗車率30%以上、平均収支率30%以上)することを条件に、限度内の欠損補助を行っている。2008年からは、幹線路線バスと競合している旧山口市設置のコミバスの一部や、旧AJ町の複雑ルートのコミバス、2010年からは一部の過疎地交通を、住民主体のコミタク切り替えた。
 しかし、
・地域内にスーパーや病院がなく、隣町、少し先のスーパーまで幹線を競合してでも、直接行けないとコミタク利用者が増えない。
・そもそも人口が少ない。
・地元企業や病院も初年度は協賛金を出してくれるが、二年目以降は頼みにくい。
・運営するコミタク運営委員の住民も、毎年歳を重ね、苦しい。
などのジレンマが、2010年2011年のコミタク運営意見交換会で吐露され、「ここまで頑張っているのに、行政は無理な基準を押し付ける」といった不満もあった。そこで、地域事情も考慮し、事情のある地区は収支率25%基準に努力を継続する方向となった。
 ところが、先ごろ行われた2012年は、大きく雰囲気が変わってきた。23年度は震災後の出控えで利用者減だったが、24年は増えた。
OS地区…地区を越えてスーパーまで行く(延長分は地元で貸切る)買物便(毎週水曜)を実施。これまでの努力を活かして、実態に合った移動確保をすすめていく。
M地区12_3
・コミタクを利用したお出かけイベントを継続し、さらに路線を周辺地区やスポーツ施設に拡大しつつあり、MKスーパーからは路線延長要望がある。が、これまで待合場所など協力連携してきたMRスーパーを育てようということで、この時点ではあえてMKスーパーまでは路線を伸ばさない。
・コミタク利用でお出かけするイベントを継続して実施
・三周年プレゼント(地域づくり協議会から)
・別途地域づくり協議会から15万円/年、町内会から20万円/年、協賛金が出ている。「年寄りはカネを持ってんだから」との異論もあるが、地域の持続のためと皆が理解している
・M駅は跨線橋がなく利用しやすい。タクシーも待っているのでこの10年で1.5倍と利用が増えた。
KG地区…運営の中心に新たに女性が関与した。スポンサーから「確かにコミタクに乗って来てもらっている」「コミタクは地域のために大切だ」と理解され、その場で協賛金を支払おうというスポンサーもある。なかには「内科としてやっているが、実は漢方の専門でもあり、そのことを住民に伝えたい」という声もあり、地域資源発掘・地域活性化のためにもスポンサー意見交換会を開きたい。何か面白いことをしたい。若い人も乗れるコミタクをアピールしたい。小学校でコミタクを利用した公共交通教室がおこなわれている。
OG地区…土曜日運行を始めたら予想外に利用者があった。スーパーの特売日の選択肢が広がったとようだが、運営面からは追加車両が必要で収支率が落ちる不安がある。夏休みは子供も乗る。スーパーの待合ベンチ撤去もあったが、住民が要望交渉している。
AO地区…収支率、乗車率は無理なく達成。自治会、商工会、社協、婦人会が連携し、いずれバスは維持が難しくなるから、その前に対処すると最初から決めて取り組んでいる。コミタクは地域の資産として、まちづくり協議会からも20万円/年の支出がある。
SY地区…お婆さん曰く「私はJRではなくバスにする。買物、病院に行くとき跨線橋を渡らんですむ。AJ駅は上りも下りも跨線橋で辛い」
⇒すでに跨線橋がある駅を踏切化は法的に難しい。
⇒単線だから、単式ホームで跨線橋がない駅を中心にコミュニティ交通を整備したら良い
H20年10月、SYを一周し新山口まで行っていた旧山口市設置のコミバスが、幹線と競合するということで廃止され、地域巡回コミタクが新設され、路線バスを乗り継がねばならなくなった。住民には不便をかけたが、徐々に路線バス利用者は増え、24年10月から路線バスが10→16便に増便される。地方の生活路線バスが増便されるというのは、極めて異例。
・隣町のAJショッピングセンターまで伸びる買物便(延長分は地域が貸切)を4月から月曜のみ、タクシーの空き時間を利用して運行。しかし、買物時間を充分取れない。
⇒すべてのサービスを買物便でまかなうのは無理。ゆっくり買い物したい人、ついでに病院に行きたい人は、行は買物便、帰りは路線バス・コミタク乗換という手もある。
AJ地区…(OG地区の土曜運行を聞いて)ウチも土曜運行を検討したい。収支も心配だが、周知徹底した上で、わかりやすいように毎週土曜日の運行を検討する。4か月程度の実証実験とする。
F地区…スクールバスを活用したデマンド路線運行をしている。知事選挙の時には、臨時便を運行しようと思う。
SE、SZ地区…路線バスが5往復しかない。コミタクを地区で運営するのか、グループタクシー(バス停より1㎞離れている住民が対象)が便利なのか、行政が住民と現場で話し合い検討中。グループタクシー(一人でも利用できる)でバス停まで出るという手もある。

 可能な限り、既存路線バスを生かす方策を考えねばならない。

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2012年7月16日 (月)

【授業報告:まち歩き】堤防を歩き水害を考える

)7月15日 元淀川左岸水防事務組合収入役・日本防災協会水防技術専門員・淀川資料館の柗永正光様にご案内をいただき、記憶に残った大切なお話を、日程変更のために参加できなかった学生さんに報告する。
■高槻市唐崎、柗永氏12歳の時の記憶…昭和28924日、折からの長雨で淀川の水位があがってきたとき、祖母が堤防を見てこいという。行くと、蛇、鼠など河川敷の動物が、種類ごとに堤防基部に集まっていた。
 夕方、再度見に行くと、淀川水位は堤防上から手の届くほどに上昇しており、動物たちも堤防上、水際にあがってきていた。が、動物たちは堤防を越えて村のほうに逃げようとはしなかった。彼らは、芥川破堤、村の洪水を予知していたのではないかと、後から気づいた。
 水位上昇時の堤防は水を含みドロドロで、足を踏み入れると抜けない。手をついて立ち上がり上流を見ると、芥川と淀川の合流点付近、過書の浜のあたりは堤防が蛇行するようにうねっていた。このことを祖母に伝えると、大切な学習道具を身元において備えるよういわれた。
 夜、ドーンと音がして、芥川、淀川沿いの唐崎村上流部で破堤があり、深夜、村に水が押し寄せた。水防団では、夜通しで西田サイデン堤防に土嚢を積み、これを防ごうとしたが難しかった。結果、25日破堤し摂津市一津屋まで、水没することとなった。淀川本線堤防が高くなった分、本線の水が芥川を逆流し破堤した。西田堤防の西北側には、大冠からイジを流して用水、排水にしている。
日本書紀・仁徳天皇十一年冬十月の条に、武蔵国の強頸(こわくび)は人柱になったのに、河内国の茨田連衫子(まんだのむらじころもこ)は、ひさごを流したところ、沈まずに流れたので人柱を立てず堤を作ったとある。その堤が強頸絶間(こわくびたえま)と衫子絶間(ころものこたえま)で、衫子絶間がこの地域だといわれ、絶間とは決壊場所のこと。その絶間(たえま)が太間(たいま)になったというのが地名の由来とし、明治19年陸軍測量部地図と今の地図を新之助は重ねて掲載している。→太間の南に行く道と集落が古代の堤で、外側にイジ(井路)があり、遊水池が接続している。まさに、ひさご=ひょうたん→遊水池 である。各地の七夕伝説でも、洪水とひさごがセットで登場する(『説話伝説辞典』)。 Taima
引用 新之助「十三のいま昔を歩こう:太間と茨田堤の碑http://atamatote.blog119.fc2.com/blog-entry-614.html
 これは、古代の土木技術革新を示した伝承であり、「ひさごが流れる」とは、分水、分流含めた水制御を伴う堤防建設のことと、森栗は推測している。これをもう少し広域でみると、衫子絶間は茨田堤概略図(『寝屋川市史』)のAである。堤防裏排水路と茨田池(遊水池)がある。強頸は、頸(堤防上部)を強化した直流制御堤防Bでである。この場合、堤防に硬い芯=人柱 を入れ込む必要がある。P200806
 この断面を観察から推量すると図のようになる。
Img_0002 明治18年の淀川左岸切れ以降、長期間にわたって水没した河内の村々では、庄屋クラスが三段蔵のような出水対策をした蔵をつくることが流行した。大東市や東成区深江にも、そうした蔵が残り、「あの時、枚方で左岸を切りやがって…」という思いが、河内の村々には
伝えられている。これ以後、大橋房太郎のロビー活動によって、河川法ができ、淀川改修が近代治水でなされるようになった。20120707_019六連蔵(奥)の説明を受ける院生(右端は柗永氏)

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2012年7月13日 (金)

東京-大阪2500円ツアーバスと「バスの未来を考える会」

関越道ツアーバス事故もあり、週間朝日7月6日号31頁、東京-大阪、2500円、激安ツアーバスの中身が掲示されている。

収入 単価 人員 総計
会費 2500 45×2 225000
支出 往復
車両 45000 2 90000
高速 31150 2 62300
軽油 130/ℓ 340ℓ 44200
運転手日当 8000 2 16000
運転手休憩 4500 1 4500
運転手昼食 800 2 1600
運転手夕食 1500 1 1500
配車経費     0
駐車料金     0
エージェント収入     4900
      225000

 中身を検討すると??? 車両費45000円×2日は意味不明。1台4000万円、3%金利で5年リースにすると77万円/月、7年で50万円/月。日額6838円/日がプロの見立て。
 高速料金は31150円(ETC割)とあるが、大阪駅から新御堂を北上する吹田IC~葛西片道は30,300円、ETC割16050円。小学生でも???
 軽油360ℓとあるが、大阪駅ーTDL518.4km往復に360ℓを使えば2.88km/ℓの燃費となる。通常バスは、高速で5km/ℓ以上、一般路線で4km/ℓであり、考えられない。燃費5km/ℓで計算しなおすと207.36ℓ。
 そもそも45人満席で、エージェントが4900円しか儲けてないというこの計算書そのものが信じられない。これらを補正すると、

収入 単価 人員 総計
会費 2500 45×2 225000
支出 往復
車両 6838 2 13676
高速 16050 2 32100
軽油 130/ℓ 207.36ℓ 25957
運転手日当 8000 2 16000
運転手休憩 4500 1 4500
運転手昼食 800 2 1600
運転手夕食 1500 1 1500
運行管理者経費 0   0
配車経費     0
駐車料金     0
エージェント収入     129667
      225000

となる。
 ハハーン!読めた。週刊誌の表は、エージェントが「エージェントは儲けてませんよ」表を鵜呑みにした旅行評論家提供資料を掲載したようだ。が、実情にてらして再計算すれば、エージェントは129667円、総収入の57.6%の丸儲けである。45人定員のうち26人空席なら-130000円で赤字の計算。平均乗車率80%ならそこそこ儲け、運転手ボロボロ、運行管理者なし、整備も?という状況と理解するのが常識。事故がおきないわけがない。「同じマーケット(路線上)」で、30%以上の価格差が生じる場合は、単なる効率化ではなく、間違いなく何かを犠牲にしているはずと考えるのが、経営上の常識である。
 バス車両費は、大手でもツアーバス下請けでも5%程度しか変わらない。
 燃料代(軽油)も大手販売会社(宇佐美、出光等)の寡占状態で、大きな価格差は生じない。
 整備管理費の差は自社整備ができるか否か。
 きちっと運行管理者を置き、労務管理を行い、責任を持った車両で、責任ある乗り場を確保し、安全と乗り場を公正に表示し、適正な価格で正統に競争すべきである。

「徹底議論バスの未来を利用者と一緒に関西で考える」
                                    ~関越道事故を受けて~

7月25日(水)13:30~ 阪大中之島センター(個人参加可)
申込(株式会社自動車新聞社)担当楠田
FAX;050-3737-6662  info@j-np.com
・コーディネータ 森栗茂一(大阪大学CSCD)
・平山幸司(WILLER EXPRESS株式会社 執行役員)  
・野田年洋(神姫バス株式会社計画課兼高速バス戦略課) 
・谷口守弘(明星自動車株式会社 代表取締役社長)
・関西のバス会社の実務担当者(調整中)
・若者利用者(調整中)

 
 
 

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2012年7月 4日 (水)

生野区・東成区の取組

最近、大阪環状線の東、玉造駅の東、東成区のまちづくりネットワークや、桃谷駅東側、生野区の防犯まちづくりに関して、そのビジョンの再検討の話し合いに参加する機会が多い。みんなで話し合い、カードなど作業認識→視覚化し、作業をするなかで、地域の思いを共有認識している。
 話し合いの途中「こんなこと(いろいろなアイデア)、全部すでにやってる。今更、話し合っても…」とブツブツ言っていた強持ての顔の幹部が、最後の挨拶で「今日は、みんなで自由に話し合えて良かった」ととりまとめた。ビックリ!わかっとったんヤ!ということで、今後も、まちづくりの戦略を練り上げて、協働まちづくりのモデル事業にエントリーする方向になってきた。
 その南隣の生野区では、多くの参加・担い手が得られる防犯活動のあり方を議論し、防犯19支部とわがまち2班(防犯)とのコミュニケーションを高めようと、昨日、研修ワークショップをした。驚いたことに、この地域では、
・毎月、拍子木をたたく夜回りをしており、それに子どもが関心を持っており、拍子木コミュニケーションもある
・門灯・玄関灯は、生野区では防犯のために夜通し点けている
らしい。
 郊外では、家族が帰ると門灯を消すのがあたりまえ、他人は全部犯罪者とみなしセンサーライトで照らし出すのとは対称的な動きである。生野区って、しっとりとした人間の町だなあと、感心した。
 今、大阪では、市役所、区役所に頼りすぎない、こういう主体的な小さな動きがおきている。

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