北村隆一「まちと交通の再生を支えるために」
土曜日、全国から交通政策に関心を寄せるコンサル・職員・議員・NPO・研究者・学生が数十人集まり、再生塾の勉強会とワークショップがあった。そこで、再生塾の発起人である故北村先生の第1回再生塾講演録(2007年)が配られ、改めて読んでみて、今の感想を記す。
都市の交通というと渋滞ばかりが課題になるが、「多くの人が住む都市ではクルマ中心は相容れない」という、当たり前のことが理解されていない。それは、クルマ社会で私的領域に浸る幸せに、抗し難いものがあるからだ。が、クルマに乗って「とにかく1円でも安いものを買う」ことが人生の最大目的か? しかるに、公共領域は衰退し、私的領域拡大の時勢、「お金で買えないものはない」ホリエモン時代。でも、電信柱の通信網に侵害されて失った美しい空=値段のつけられないものこそ、価値があるのではないか。商品化され、消費するモノにされ、私的領域のみに暮らすのは人として本当に幸せか?
アメリカでは、60年代から「郊外の主婦の憂鬱」(アメリカンナイトメア)がいわれている。地産地消のなかで、まちと交通の再生をはかることこそが、求められている。
というような内容だろうか。
私はこの講演を聴いていない。ただ「値段のつけれない空こそ価値がある」という表現に衝撃を受けたことは記憶している。あれから5年たち2012年。日本の人口は縮減しだした。これまであたりまえだった私的領域が、これからは維持しにくい時代に入った。クルマの所有維持も難しくなっている。エコカーだ、エコ家電だと消費を政府が煽っても、そううまくいかない。1000円高速も、日帰り行楽ばかりで、貧乏消費の集団、たいして消費もしない。北村先生の時代と大きく違うのは、もう、我々は私的領域に浸る幸福は難しいという事実である。
①どのようなことができるのか(行動価値)
だけを人生の価値とすると、人口減社会では、ほとんどの人が負け組になる格差社会となる。むしろ、何をめざして生きるのか?
②どのように認められるのか(認知価値)
③どう関わりあい支えあえるのか(互性[協働]価値)
を求める人が、もっと出てくる時代かもしれない。
お金や地位(①)はそこそこだが、誇りある地域やネットワークのなかで認知され(②)、愛着ある家族や地域の人々と関わり、支えあって暮らす(③)幸福を、めざす人も増えてくるのではないか。
そうした新しい動きをする地域を、より良くしていくお手伝いをするのが、私がしたいことかもしれないなあと思った。
| 固定リンク
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- COプレイス 立ち会議 働く(2019.03.03)
- 民俗学・内省のリスク(2018.04.16)
- 小林重敬編著『最新 エリアマネジメント』(2018.04.04)
- 公共圏と熟議民主主義,ハーバーマス(2017.12.20)
- 研究活用の政策学(2017.12.20)
「交通を活かしたまちづくり」カテゴリの記事
- ストック効果と社会的共通資本に対するコモンセンス(2016.11.08)
- 宮本常一、酒と歩み寄り、篤農家、そしてバラバラに出稼ぎ(2016.09.20)
- 蟲明先生にお話を伺う(解釈意訳)(2016.08.09)
- 住民主体と民間主導 蟲明眞一郎(2016.08.07)
- 住民主体のまちづくり 蟲明眞一郎(2016.08.07)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント