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2012年6月14日 (木)

都市民俗学

5月29日に、内田忠賢 氏(奈良女子大学)「都市民俗研究のゆくえ―『都市民俗 基本論文集』(1~4巻、別2巻)の刊行を受けて」を、聞きに行った。若いときは、京大助手だった内田さんらと、語り合い、呑みあかしたものだ。
 要旨:内田編集の『都市民俗 基本論文集』が完結した。倉石先生(元國學院)や小林忠雄先生(元歴民博)、故・宮田登先生(元筑波)らが主導し、森栗茂一さん、岩本通弥(現東大)さんほか当時の若手が参画、一時は学界を席巻したかに見えた都市民俗学、都市民俗研究。現在、その流れは、現代民俗学、現代民俗研究に合流したように思われる。・・・この流れの末端に加わったものとして、研究の動向や意義を、自省の意味も込め、この機会に考えてみたい。⇒そういえば、昔は都市民俗学で「席巻?」してたかなア?

懐かしくなり、こんな機会でもなきゃ、一生、内田さんに会う機会はないかと思い、浦島太郎状態で、民俗学の会議に出かけた。
 固い、真面目な雰囲気に、久しぶりに驚いた。恥ずかしいのでずっと下を向いていた。議論を聞いて確信した。結局、都市民俗学は、都市の本質である「貧困」と「災害」に視点を置かず、お祭や習慣、珍しい文化を他人事として蓄集し、屁理屈こいて喜んでいる閑潰しだった。だから、方法も分析成果も出なかったのだ。
 私が、長屋と天災の跡を求めて、限定合理性から見れば全員移転したほうが良い、海面下に暮らす大正区の営みに興味を持つのは、都市民俗学のまなざしだ。大正区の地域のつながり、人のつながり、人と自然のつながる豊かな営みのなかで、危険を自覚する暮らし。その包括道理性に学ぼうというのが、都市民俗学である。ここに、都市民俗学で博論を書き、大阪市の協働まちづくりに深く関わる私が、大学院共通科目として、なぜ長屋と都市災害の跡を、多様な専門家の卵:大学院生に紹介したいのかという教育的理由がある。
 院生諸君、気づいて欲しい。これが博士の見識です。
大学院は、研究を通じて、見識ある専門家を育てることが、もうひとつの目的なのです。このもう一つの目的を真剣に先頭をきってやっているのが大阪大学です。その中核がCSCDです。

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