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2012年6月12日 (火)

延藤安弘「都心再生まち育てにおける活動風景づくり」『地域問題研究』80

人と人、人と自然との「つながり」が見える世界を「ふるさと」という。
 現代社会の私の主張は、評論的無責任にながれ、個々がバラバラになり、相互にもの化されることが、日常となっている。(延藤安弘「都心再生まち育てにおける活動風景づくり」『地域問題研究』80、2011年、66頁)。ネットでの無意味で感受性のない非難は、言葉がバラバラにもの化された典型である。そうではなくて、誰もが主人公として物語れるまちは、記憶される活動によって、我らが生けるまちに立ち現れる。ここに、まちづくりの主体が現れる(延藤安弘「都心再生まち育てにおける活動風景づくり」『地域問題研究』80、2011年、69頁)。まちづくり活動の創設の記憶は、内部の記憶、自己の記憶、アイデンティティを作り出す記憶である。(高橋哲哉『記憶のエチカ』岩波書店、1995年、102頁)人を活かす記憶である。
 一方で、ほぼ1965 年を境に日本人がキツネに騙されなくなったのは、かつての日本人がもっていた経済に還元しきれない、正解も誤りもない、多くの生命を育む山(ヤマ)との関わりを失ったからだといわれている(内山節『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』講談社現代新書、2007年)。人と自然との関わり、「キツネに騙される力」をどうやって取り戻すのか、まちづくりの大きな課題であろう。
 実際には、人と人:個々の主張は、まとまるよりも対立することが多い。また、自然と人間の暮らしは、矛盾、対立することが多い。1000年に一度大津波が来る地域を去って高台移転なのか、日常の海との関わりを大切にするのかは難しい課題である。延藤は限定合理性よりも、地域のつながり、人のつながり、人と自然のつながる営みのなかで、危険を自覚する暮らし、包括道理性(延藤「対立を対話に変えつつ「ふるさと再生計画」を創造する」『季刊まちづくり』1204、77頁)を主張している。この対話、選択のプロセスの中に、生きる意味、活きるまちがあるのではなかろうか。

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