« 【観光学演習・実践:業務連絡】 | トップページ | 抜け道暴走を止められない警察が、被害者をさらに苦しめる »

2012年4月25日 (水)

延藤安弘『マンションをふるさとにしたユーコート物語』

70年代以降、都心に住むために、共同でマンションを建てる運動(都住創) があった。これに対して延藤が主導したユーコートは、協働の暮らしをめざした。つづきベランダや、中庭を通らないと家に入れないなど、ちょっと煩わしいが、そこはかとない人間関係を醸す設計が施された。1985年竣工以来、延藤はその暮らしを見守り、ユーコートから、日本の協働暮らしづくり・まち育てを提案・先導(扇動)し続けた。阪神大震災以後のコレクティブハウジングや共同住宅のふれあいセンターなどは、延藤の指導によるものである。30年たって、壁面や中庭の豊かな緑は、地球と人々の暮らしとの協奏を表象しているが、ユーコートのコミュニティはそれ以上の信頼に溢れている。
 俗に延藤組とも揶揄されるその活動は、強固な「なかよしコミュニティ」を求めたように誤解され、私権を制限する建築計画と揶揄されるが、違う。延藤が求めるのは、プライベートなハコにこもるのではなく、顔見知り、挨拶する程度のゆるやかなつながりによる信頼関係=私発協働である。信頼による安心の住生活である。
 複雑なコミュニティは、計測して設計できるものではない。相互の信頼こそが複雑性を縮減し(二クラス・ルーマン)、お祭り、減災活動、地縁組織との連携や、ときに専従職員をおいての高齢者安否確認・集会所を使ったデイケアなど、コモンの暮らしを可能とする。この暮らしの協働は、どんなコモン活動をするかが重要なのではなく、参加し対話し育むプロセスが重要なのである。このプロセスのなかで、個人の異論があれば、異論のなかに生活課題を発見し、私(わたくし)と私(わたくし)のトラブルがあれば、トラブルを発展のエネルギーに変えるしなやかさを、ユーコートの住民は徐々に身に着けていった。一人は万人のため、万人は一人のためと、ユーコートは、私からほとばしる公共性を謳いだしている。
 ユーコートや延藤の協働暮らしづくり・まち育ては、ユーコートのみに展開される哲学ではない。既存マンションの管理において、単なる建替え議論や共有施設運用と共益費問題にとどまらず減災活動や高齢福祉などマンションのコミュニティ化が求められる今日、よりマンション一般に応用性を持つ。都心高層マンションや都市回帰など、マンション居住が多数派になるつつある現代都市に、今求められている哲学である。この哲学実践のためには、入居以前から居住にいたるまでの「参加」、生活空間の「育み」、住民間の「対話」・専門家との「対話」が、必要である。
 ここでの対話とは、論理で相手を説得するディベートではなく、自分の言葉で話し、他人の話に耳を傾け、腑に落ちる「納得のプロセス」である。マンション管理規則によくあるような「~べからず」ではなく、また「~ねばならない」でもなく、「~だったらエーなあ」というドリームのつぶやきに耳を傾けあう、相互傾聴のプロセスである。
 本書は、生活の価値を問う、新しい都市住居と暮らし方提案の実践記録・哲学提示である。まさに、生活価値を問うという意味で、生活学の大きな成果といえよう。 

|
|

« 【観光学演習・実践:業務連絡】 | トップページ | 抜け道暴走を止められない警察が、被害者をさらに苦しめる »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 【観光学演習・実践:業務連絡】 | トップページ | 抜け道暴走を止められない警察が、被害者をさらに苦しめる »