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2012年2月10日 (金)

続:利他業 と 運輸政策

「過疎地をかかえる北日本のバス交通の取組」のお話しをする機会を得た。
 正直に言うと、厳しい。人口減とクルマ前提のまちづくりのなかで、本当にバスなのか?とはいえ、既存のバスインフラと組織をどう活かすか。少ない税源のなかで赤字補填の縮小確保は、ジリ貧、限界の今日、どんな展望がありえるのか、この際、事業者のみなさんと一緒に考えてみようと思う。その議論を、国の施策検討委員会で活かしたい。
 道に迷ったときは弘法大師。昨日に続き空海の言葉のメモ(続)
道の興廃は人の時と時に非ざるなり『性霊集』p220(『生き方がわかる!空海 黄金の言葉』)
 クルマ社会だ、補助が無いと瞋恚せず、時代を判断する人の行動が興廃を決定する。バスがダメなのではなくて、クルマ社会・人口減社会で、既存のインフラ・ノウハウをどう活かすのか?その人智が試されている。
毒箭ドクゼン抜かずして、空しく来処を問う『性霊集』p178
自宝知らず、狂迷を覚と謂えり『秘蔵宝鑰』p196
補助がないと瞋恚せず、自らのサービスの中身を、供給論理ではなくユーザーサイドで考えなおす必要がある。また、そうした努力をしている事業者のみ支援する枠組みが必要だ。
迷語われに在れば、発心すれば則ち到る。明暗ミョウアン他に非ざれば、信修すればたちまちに証す『般若心経秘金鍵』p100
心暗きときは、即ち遭う所悉く禍なり。眼明らかなるときは、則ち途ミチにふれて皆宝なり。『性霊集』p42
瞋恚せず、迷わず、言い訳をせずやってみることだ。発心しないなら、暗いのは当たり前。
空即是色 限界、無理と思うなら、どの点が無理なのか、どんな有利さがあるのか、明らかにする=あきらめる ことが重要である。空こそ色なのだから。

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