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2012年2月15日 (水)

外国人問題を視野に入れた哲学的対話法:NSDネオオソクラティクダイアローグの感想

大阪大学CSCD、箕面国際交流協会の共催で、ここ2年、オレンジルームでの語り合い:哲学カフェが9回おこなわれた。外国人問題についての語り合いのなかで、参加した外国籍住民、日本人から、もう少しじっくりと語り合いたいとの声が出た。2時間程度では結論を得ることは難しい。コーディネーターの本間直樹さん(CSCD同僚)は、米国で1週間に及ぶ問答キャンプに参加したつわもの。
 今回、月曜、火曜の16時間が設定され、10人限定、離脱不可で哲学対話が始まった。これは議論・討論ではなく、経験の語り合いのなかから抽象化して、答え(定理)をみつけていこうとする作業である。1週間なら複数の事例だが、今回は「たった」2日であるので、一つ(一人)の経験を深めて語りあう。
 約束事は、
・話し合われた内容は基本的に口外しない、書かない
・外の論理,立場を持ち込まない
・理想、抽象を語るのではなく経験を語る
・空気を読まず自由に発言する
である。
■最初に、NSD(ネオソクラティクダイアローグ)の説明があり、これまでの外国人カフェの話合い経験から、今回の問いをたてる作業をする。誰もが語りやすく、かつ語りたい問いを検討する。「自己表現」「差別と区別」「ありのまま生きる」など多数の問いの候補が出た。多数決をとらず、議論しはじめて4時間になると、「自己」とは?と、言葉の定義で議論が煮詰まり、あれかこれかとどうしようもなくなる。コーディネータは、前に立たず、脇から「本当にそのテーマで1日議論ができますか」とせまる。すべての問い候補は、コーディネータが模造紙に書き、ホワイトボードに貼りだす。そうするなか、参加者から突然、誰でも経験例を述べることができる問いが出される。
問い 「弱者はどう自分を表現するのか」 
 皆がこれなら語れるとなったとき、コーディネータが「ついてこれない人、経験を語れない人、いませんか」と確認する。全員合意ではなく、ついて来れない人を常時確認する作業 が入る。
■問い「弱者は…」に対して、10人が具体体験を出し合う。自由に語り出し、その経験を自分で4W1H(いつ、どこで、だれが、どのように、何を)で整理し語り、コーディネータが記述する。なぜは、答えに近いのでここでは不要。
 その10人の経験のうちで、どの経験談が問い「弱者は…」を語り合うのに最適かを議論する。その視点は、
・経験提供者が、経験内容の詳細を本当に語れるか
   (結果的に新しい記憶になる傾向あり)
・皆が議論しやすい、議論が皆に拡がる経験例か
   (結果的に生々しい記憶は難しい)
・皆が議論したい内容か
これには多数決があり、同数の支持を得た2事例がとりあげられたが、話し合いながらFさんの事例に絞られた。
第二日目
■絞られた経験を提供者Fが詳述し、重要点を考え、その理由を考える。
朝鮮学校授業料無償化に関するネット話題(乱暴な議論も多い)を友人が何気なく話題にしたとき、「あっ、来たな」と感じた点を、何が来たのか?どう思ったのか、根ほり葉ほり聞き出す。このあたり、相互の信頼がないと難しい。コーディネータが助言をせず「それは書きますか」「どう書きますか」と話しの整理をうながし、模造紙に書いていく。コーディネータは言葉を足さず、言い換えず、ひたすらFの語りの詳細を記述する。
 「まあ、そうかなと思うけど…」(F)
 「ああ、そうなんや」(Fの友人)
この言語表現の詳細のツメに全員が耳をすます緊張感。
 さらに、メンバーが重ねて尋ねると、
「察知した」(F)
「何を察知したの?」(メンバーの質問)
 興奮してくると、提供者の事例に重ねて、他のメンバーの視点、意見が飛び交い出す。
 ここでコーディネータが言葉をそっと添えて、場を醒ます。
「いろんな見方があるけど、Fさんの方から見た見方を書こう」
 抽象的な言葉をめぐって、いろんな見方が出てきて議論が沸騰しかけると
コーディネータは問いに戻り、言葉の具体化を求める。
 突然出てくる別なバージョンの答も否定せず書き出し、言い出した人に明瞭化、詳細化を求めた上で、提供者Fに事実認識をさらに問う。そして、コーディネータ
「はい、御願いします」。また、模造紙に書き足そうとする。
Fさん「護身、反発、混乱…」
   「自分の属性を…」
■こうして全員が納得できる答えが出た
答「・・・・・・・・・・・・・・」
「これでいいですね」と確認した後、コーディネータは、10人が最初に出した問い「弱者は…」に対する具体例を出して、今回の答え「・・・・・・」との異同を確認していく。
 今回のFさんの答えに重なる部分もあれば、少し異なる部分もあり、なぜ異なるのかを検討した。
■この後、全員でふりかえりが行われた。
当初、よく喋っていた人が、二日目からは怖くなってだんだん言葉が慎重になってきたことを吐露した。言葉の重要性。日常の乱暴な使い方。日本的な場の空気などが、指摘された。ただ、このような問答が、何に役立つのか、どんな効果があるのかわからないという、指摘もあった。
 私個人としては、
・コーディネーションにおける自由に語りつつ詳細につめて書くことの有効性
・個人の発話を、じっくり待つコーディネーション
が勉強になった。(私の場合を反省すると)、短時間に抽象化した概念や情念が飛び交い、それをコーディネータが場の雰囲気を作って整理し押し込め、合意にもっていこうとする寝技・・・。世に「森栗ワールド」と呼ばれるもの。これは怪しいなあ?と自戒している。

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