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2011年11月

2011年11月30日 (水)

ホームかさ上げ(ハンブルク)

Img_1223 ドイツの鉄道は自転車持込OKだし、乳母車・車椅子表示がある。よく見ると、この部分だけホームがかさ上げされ、電車からフラットで降りれるようだ。
 べりリンの地下鉄では、乗客が運転手に声かけしたら、降りてきてホームにあった橋板を電車入口とホームにかけ、車椅子が降りて来た。
 それが良いかどうかは別として、バリアフリーも、できることを、できる範囲ですすめれば良いのだと知った。

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2011年11月29日 (火)

ハンブルクのツアーバスセンター

海外の状況を紹介して「ドイツでは」と薀蓄をたれても、政治制度などが違うからそのまま参考にはならない。それを承知で、若干、紹介。
 ハンブルクの中央駅裏手に、バスポートがあるので行って見た。
 ハンブルクでは高速路線バスは見かけず、ユーロラインを中心としたベルリン、クラクフ(ポーランド)、フランクフルト行など10以上のツアーバス会社が共同でセンターを運営している。
 バスポートのデザインが総ガラス張りでカッコイイ。
Img_1149 Img_1153 日本では、高速路線バスはちゃんとバスターミナルを維持しているのに、ツアーバスは安いが街頭で乗せ、早朝の駅付近の路上で降ろすことがままある。今、日本でも高速バスと路線バスを統一位置づけして、バスターミナルなど安定した運行を義務つける動きがある。当然、こうなるだろう。

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2011年11月16日 (水)

連絡 16-26日 ハンブルク大学、ベルリン、プラハに

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2011年11月15日 (火)

国は頼れない。自分たちの移動は自分たちで支えあう。

平成23年度概算の概要をみると、
Imgyosan
となっている。本予算執行額の1/3しか政策予算がない。さらに、震災原発対応、雇用・グローバル経済対策、さらには環境・農業など成長戦略が要求されるなか、公共交通に予算がまわることは難しい。
 シビルミニマム・ナショナルミニマムとして、赤字バス路線維持に薄く広く撒いても、10年以内に、地方のバス会社は真綿で首を絞められるように、潰れるところは潰れる。

ならば、国など期待せず、自分たちの地域は、地域の既存資源(鉄道もバスもタクシーも自家用車も能力のある高齢者も)を活用して、自分たちで経営する覚悟が必要ではないか。
 そういう自立経営に国も投資的参画をする、補助ではなく政策投資として関わることが、これからの地域交通政策ではなかろうか。

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2011年11月13日 (日)

【授業計画変更】+大阪市の地域活動協議会の意図と展開もくろみ

10/3 自己紹介と関心
10/10 くるくるバスの定理+議論 
10/17 住民協働型公共交通の方程式(神戸市の2事例)+議論
10/24 住民協働型公共交通の方程式(神戸市芦屋市の2事例)+議論
10/31 神鉄粟生線廃止とシャトルバス 
11/7  記憶と土木計画  
11/14  山口市市民交通まちづくり計画+議論
11/21 休講
11/28 自動車の社会的費用 
12/5  自転車交通まちづくりは可能か?
12/12 ビジネスとしての協働型交通まちづくり(松本浩之先生<みなと観光バス社長>)
12/19 ビジネスとしての協働型交通まちづくり(松本浩之先生<みなと観光バス社長>)
1/16 密教と土木計画:ゲスト(秋山孝正先生<関西大学>)
1/23 続・密教と土木計画:ゲスト(秋山孝正先生<関西大学>)
1/30 メタボ対応モビリティ・マネージメント

■大阪市の地縁団体の課題■
 地縁活動の高齢化・硬直化、後継者不足、高層マンション等の未加入
 区役所、コミュニティ協会の支援機能の硬直化・非効率・無気力
 一方で、独自のNPO活動やPTA活動などがある。
 また、防災活動等に中学生を巻き込むことも試みられつつある

●これからは
 原則小学校校区ごとの「地域活動協議会」(依頼のある地区のみアドバイザー派遣)
  振興町会、女性会、PTA、コミュニティ協会、社会福祉協議会、NPO、地元企業、中学校…みんなが集まって協議する
 ↓
協議の方向に従い、十数人のワーキングで運営
▼場合によっては、特定NPOなどの組織に依頼し、コミュニティビジネス的に運営することもありえる
▼その場合、行政または第三セクターの抱える管理業務を、これに委ねることもありえる
 ↓
必要に応じて、全体の議論に投げ返す

この地域活動協議会の展開の場合、高層住宅管理業協会やデベロッパーとの連携ができれば、高層マンションにまで地域活動が広がり、新たな参加者を得ることが見込まれる。

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2011年11月11日 (金)

クルマ頭を転換するには:アホにアホ言うほうがアホや理論

11/8「現場からの視点による交通まちづくりとしての自転車」(土井先生@京都大学 のコーディネート)での小林成基さん@自転車活用推進研究会の刺激的発言が、脳天でうずく。某市のコミュニティサイクル検討会で、来年度本格実施を考えると何が大切か、議論しているときにも、小林さんが指摘する「クルマ頭」をどう乗り越えるか? 考え込んでしまった。

 某政令指定都市の中心商店街の表通りの道が一方通行で整備されることになり、役所が歩道を広げクルマ車線を2車線にしようとしたら、地元商店街が歩道は狭くても3車線が良いと言い出した。
 某政令指定都市の旧居留地では、毎週末、ガードマンを配置して、クルマを支障なく駐車場に入れることに莫大なお金と労力を使っている。
 こうして、景観はクルマだらけで潰され、各地の歩道には渋滞と交通費をケチる単車が並び大混雑。
 この間をぬって自転車が歩道を走行する。だから、おしゃれな旧居留地では自転車は歓迎されない。クルマは歓迎されているのに?
 某政令指定都市のメインストリートでは、銀杏並木の側道に自転車道を走らそうとしたら、地元の町会が反対。コンサルの若者が「頑固な住民がいて」と泣いていた。確かに、歩道上をすり抜ける無謀自転車を見ている住民にとっては、自転車を誘導することへの不安がある。自転車拒否心理の根底には、荷捌き空間として占有している道路に自転車道を作ることへの不安、混乱回避欲求があるのかもしれない。
 これらは、すべてクルマ頭である。
 が、それを罵倒、非難するだけでは問題は解決しない。

 コミュニティサイクルを本格運用しようにも、自転車道の整備が必要だ。坂の上に電動自転車のサイクルポートを作るなら、下りの危険性を考えて自転車専用レーンが必須だ。しかし、その合意をどう作るか?
▼目標1 市役所内部の自転車に関する合意、連携の必要に関する合意 をつくる
  現状1…自転車に関して他の部局に協力を相談しても、クルマ頭の相手は「ウチは関係ない。あんたの局の都合を、こっちに押し付けるな。面倒や!何しに来た?」となる。
▼目標2 市民を巻き込んだ、地域での自転車を活かしたまちづくりの合意(警察庁の求める自転車走行環境対策の協議会)
  現状2…クルマ頭の沿道市民説得に、役人は多大な労力と被罵倒を覚悟せねばならない。クルマ頭の説得は極めて難しい。
■戦略的作業手順
 ①多部局による庁内自転車勉強会
 ⇒自転車を活かした「かっこエエ」まちづくり像の共有、各人のまちづくりの思いを共有化
 ⇒協力のあり方を検討
 ②ターゲット地域市民を中心とした自転車勉強会
 ⇒意見交換WS⇒地元のチャレンジ意思フィードバック
 ⇒地元での地元民による沿道説得
 ⇒走行環境実験
 ⇒解題解決の上、自転車専用レーン
※考慮すべき失敗事例……某近郊都市、駅前狭小商店街の一方通行化は、①②の手順をふまず、広報とアンケートで、都市計画部局だけで意欲的にすすめたために、大混乱が起き、駅脇の道の無理な拡幅しか手がない状況

すべての土木計画は、
勉強会→意見を出し合うWS→フィードバック→民による民へのとことん話し合い→自転車を活かしたまちづくりビジョンの共有化→社会実験→改良・妥協による本格運用開始
 となる。
 この手順を踏まねば、クルマ頭を変えることは難しい。「クルマ頭」を罵倒しても、アホに「アホ」言うほうがアホなのである。(関西の子ども慣用句。ここでのアホは、愛嬌のある連接可能な仲間意識に支えられ、関東の「バカ」に相当する)

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2011年11月 9日 (水)

記憶と都市と行動:中心市街地や公共交通はなぜ必要か?(加筆再掲)自転車なぜ楽しいのか?

「中心市街地はなぜ崩壊させてはいけないのか」「税金投入で守らねばならないのか」について、
 ①中心地高齢者等マイノリティの移動確保(交通権)
 ②中心市街地におけるクルマ以外の複数の移動手段確保は都市の幸福(公共)
 ③中心市街地に来るビジターの移動確保、利便
を理由にあげる考えがある。都市は集積の結果である。その合理的利益として、多様な人の生活を複数で担保する意味から公共交通が必要という論理はありえる。
 しかし、「クルマで自由に移動すれば良い。クルマの社会的費用は法で担保されており、道路財源を含めて、これ以上、中心市街地や公共交通に限られた財源を使いたくない」という人と、公共的利益論は、なかなか議論が交わらない。JAFは自動車特定財源一般財源化反対署名をしていた。高速道路無料化が国民世論の賛同を得やすいと考える政党はあるが、公共交通無料化が国民世論の支持を得られると考える政党は今のところ存在しない。フランスよりも日本のガソリン税は安いが、ガソリン税減税を主張して支持率を伸ばした政党、自動車重量税を軽減せよという財界はあっても、公共交通を半額にせよという声は出ない。これが日本の現状なのだ。こうしたなか、自動車の社会的費用という正論を主張をしても、なかなか国政での合意、地域での合意は至難を極める。説得が難しい。どうすれば良いか、私も常に悩んでいる。
 某経済学者は幼少の頃、水戸に住んでおり、茨城交通市内線の廃車が横たわっているのを見た記憶があるという。日本銀行に進み日本経済を統計的に支える仕事をしながら、一方でLRTにのめり込み、挙句は出版、ついには交通経済学教員として大学に赴任した。彼の行動は、経済的合理性か社会的使命感かはともかく、どうも合理性ではなく「幼少の喪失記憶」というリビドーに突き動かされたものではないか。
 ▼人間の行動選択 合理性<記憶
 経験記憶には、愛と飢えがある。愛は強化欲求を促す。飢えは回復欲求を導き創造行動に突き動かされる。そうした強化や創造行動は、抽象よりも、具体的なモノに固執する形で表出する。合理性ではなくフェッティシュにモノが要求される。例えば、コミュニケーションのある町よりも、古い街並みが好まれる。動きが見えにくいバスよりも、鉄道やLRTが好まれる。バス趣味は少数派で鉄チャンは多数派なのはこのことに由来する。
 都市の記憶には、
(A)都市の自然的景観
(B)都市の長い歴史を経た文化的景観
(C)個人的な都市の場所に関する生活景観
がある。例えるなら、山と海に挟まれた神戸(A)、国際都市としての雰囲気(B)、貴方と歩いたトアロード(C)、ということになり、愛着心、帰属意識(わが町)を生む。これを個人ではなく、都市全体にあてはめ都市政策をすすめていくことになる。
 記憶には「将来に必要な情報をその時まで保持する」未来記憶の部分がある。長期記憶、意味記憶に分類される都市の記憶は、都市の未来を考える資産なのである。単なる過去の事実である「記録」とは違う。
 いわば、記憶は個人の生き方、生きがいと関わっており、集団としては都市の目標、都市マスタープランと関わっている。
 人は、消費のための合理性のみで行動するのではない。
 人は、消費のための惰性としての個人行動と、生きるための記憶との葛藤で動いている。クルマとコンビニの生活が楽だと思って暮らしつつ、亡くなったお母さんのような優しい女性に出会えば、うっかり結婚行動に出るのである。都市生活では、クルマに依存した個人消費に浸りきっていたが、震災で町が消失すれば、何とも思わなかった町がいとおしく思え、歩きふれあうまちづくり、クルマに頼りすぎないまちづくりに奮走する私であった。
 ▼喪失感・危機感のあるときしか、創造行動をとらない
 中心市街地が大切なのは、それがみんなの文化景観・生活景観であり、その町に生きる意味につながるからではないか。
 誇りを持ち、愛着心を持つ町は、経済的合理性以上の都市経営の目標ではなかろうか。

【学生質問】ショッピングセンター(SC)に毎日来ている子供は、そのSCが良い記憶になる。多くの人が来るSCにも記憶はある。中心市街地が良いというのは先生の郷愁ではないか。
《答え》郷愁の喪失欲求がこんな理屈を言わしているかもしれない。が、個人の人生と、個人の未生以前の多くの時間と思いを織り込んだ中心市街地の景観(文化記憶)は、共有する移動手段(公共交通)を交えたコミュニケーションは、得がたい「生活記憶」である。人間は消費(consumpt=食い散らかす)機能ではなく、支えあう、関わりあうなかで生きる主体なのである。都市は生きる人間の関わりあう場である。消費の装置としてのSCには、公共施設を置こうが、川を作ろうが、酒場の雰囲気を作ろうが、すべては模擬となってしまい、生ける実感は得られない。
【学生質問】自転車はクルマのような個別消費でしょうか、それとも公共交通のような記憶をわかちあうような、生きる主体なのでしょうか?
《答え》自転車は、クルマと違い、自然景観及び自然そのものと対話します。また、立ち止まることも容易で、他者の文化景観・生活景観とも交流し、自己の生活景観や都市文化にもなりえます。が、その数や立ち止まり方が難しい。放置自転車を無くすとか、都市景観にマッチした自転車デザイン、駐輪場デザインは、自転車を活かす殺すのポイントかもしれません。安物の自転車が放置されている、歩道を走り抜ける現状は、タバコを買いにクルマで出て渋滞を作ってしまったようなもんで、惰性消費であり、自転車の機能を殺すものです。記憶になる自転車、記憶とふれあう自転車であって欲しい。

実は、皆が愛着を持ち誇りを持ち多様な社会起業や市民活動が起きる都市にこそ、ユーザーイノベーション・知的産業などの先端企業立地が促され、居住や資産集積が集まる。
京都のユーザーイノベーション知的企業は京都を離れない。任天堂、村田、島津、オムロン、ワコール、タキイ、京セラ…。大阪から企業本社が離れるのはなぜなのか、大阪は考えないといけないのではないか。
 大阪に無いのは、衰退している壊滅しつつあるという危機意識。神戸にあるのは震災も忘れてしまう記憶喪失。京都にあるのは、何でも「京○○」と言い張る、強い記憶

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2011年11月 8日 (火)

自転車バス専用レーン、ルールとマナー、電動自転車の危険性

10/26警察庁自転車交通総合対策、10/30コミュニティサイクルの記事の関心から、昨日、「現場からの視点による交通まちづくりとしての自転車」(自転車交通政策研究会主催)を京都大学で聞いた。土井勉@京都大学 のコーディネート、小林成基@自転車活用推進研究会の基調講演、西田純二@社会システム総合研究所らのパネル討論があり、とても勉強になった。「トラックいっぱいの薬よりも一台の自転車」といわれるほど、重要な自転車。自転車政策にとってとくに大切な3事項が心に残った。報告する。

①中途半端な自転車政策は、短期的には公共交通からのシフトを促し、結果、中期的には公共交通を弱体化させ、クルマ依存を強める。自転車政策をやるなら、バス・自転車・タクシー専用レーンをつくり、流入するクルマを制限することとあわせ技でないとダメ。

②駐車違反反則金の38%は、運転者がないと主張され支払われていない。英国では、バス・自転車レーンを普通車が通ると、カメラで自動的に車両確認され、誰が運転していようが所有者に罰金通知書が郵送され、三回督促で反則金は五倍。払わないと車検が通らないという。偏光レンズや汚れは、それ自体、厳罰。これは、警察と運輸局がタッグを組んでいるからできる。縦割り行政の日本は、いつになったらできるやら?(小林さんから、聞き間違いご指摘。ありがとう)
 放置自転車も、歩道の自転車走行・二人乗りもマナーの問題じゃない。ルールの問題だ。ルール(法)を守らせることができない※※から、責任逃れでマナーと言っているにすぎない。マナーとはやったら尊敬されることで、ルールはやったら罰せられることだ。

③電動自転車は2倍アシスト可能の法改正がおこなわれ、高齢者が20km/時で歩道を走る傾向にある。大半のクルマ利用は10km以下であり、高齢者はクルマから電動アシストにシフトする傾向も。本当に高齢者自転車は車道でなく歩道走行か? 1500万人の聴覚障害者は、リンを鳴らされても気づかない。

なんで法が守れない自転車政策になっているか。それは、警察も市民も、クルマを支障なく通すことに腐心し、邪魔な人や自転車を道から排除してきたからだ。「交通事故にあったと思ってあきらめてください」という、慣用句がある。交通事故は、あきらめるものか?クルマの危害や道路占有、クルマが歩行者や自転車にクラクションをならすこと、「危険だ」と親切ごかしに自転車を道路から排除することは、仕方のないことなのか? このクルマ頭を変えないと、総合自転車まちづくりはできない。

※ トラック一台分の薬より、一台の自転車」。ドイツの有名なことわざ。イギリスやノルウェーで、国家として「自転車戦略」を定めているのは、この「健康」つまり「医療費問題」にこそ主因がある。 日本の現在の医療費はおよそ32兆円。うち10兆円が、生活習慣病に関わるもの。メタボ対策なら、自転車を考えよということ。
※※ ICタグが安くつけられるのに、防犯登録のシールで、警察署ごとの電話問合せをしてるのか?全市域の駐輪場の会員にICタグをつける自転車政策を自治体が条例化すれば放置自転車問題は一挙に解決できる。いつまで、退職者雇用のシルバー人材センターにルーチンワークの撤去をやらせているのか?撤去とマナーキャンペーンは言い訳以外の何者でもない。駐輪場は、自転車の補修・空気入れのできる地域の自転車屋に請け負ってもらえば良い。

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2011年11月 5日 (土)

記憶と行動+【授業:交通まちコミ:連絡】

【授業連絡】11月7日(月曜)は、大学祭後片付けの休講らしい。情報のキャッチが遅れ、前回指示せず。あわててメール連絡しようと思ったら、KOAN(履修・シラバス・成績管理システム)が工事中。フェイスブックくらいしとくべきだったか。
 そこで、7日は、基本的には授業をするが、自主判断で欠席した学生が不利益にならぬよう、配慮することを表明します。

宇都宮浄人『路面電車ルネッサンス』を読んで、記憶と行動について考えた。
『路面電車』は、路面電車とまちづくり、経済、さらには信用乗車制度など、コンパクトに本質をデータでまとめており、おおいに勉強になった。が、宇都宮が説く、「中心市街地はなぜ崩壊させてはいけないのか」「税金投入で守らねばならないのか」については、?であった。宇都宮は、
 ①中心地高齢者等マイノリティの移動確保(交通権)
 ②中心市街地におけるクルマ以外の複数の移動手段確保は都市の幸福(公共)
 ③中心市街地に来るビジターの移動確保、利便
を理由にあげている。都市は集積の結果である。その合理的利益として、多様な人の生活を複数で担保する意味から公共交通が必要という論理はありえる。
 しかし、「クルマで自由に移動すれば良い。クルマの社会的費用は法で担保されており、道路財源を含めて、これ以上、中心市街地や公共交通に限られた財源を使いたくない」という人と、宇都宮の公共的利益論は、なかなか議論が交わらない。JAFFは自動車特定財源一般財源化反対署名をしていた。高速道路無料化が国民世論の賛同を得やすいと考える政党はあるが、公共交通無料化が国民世論の支持を得られると考える政党は今のところ存在しない。これが日本の現状なのだ。こうしたなか、自動車の社会的費用という正論を主張をしても、なかなか国政での合意、地域での合意は至難を極める。説得が難しい。どうすれば良いか、私も常に悩んでいる。
 宇都宮は幼少の頃、水戸に住んでおり、茨城交通市内線の廃車が横たわっているのを見た記憶があるという。日本銀行に進み日本経済を統計的に支える仕事をしながら、一方でLRTにのめり込み、挙句は出版、ついには交通経済学教員として関西大学に赴任した。彼の行動は、経済的合理性か社会的使命感かはともかく、どうも合理性ではなく「幼少の喪失記憶」というリビドーに突き動かされたものではないか。
 経験記憶には、愛と飢えがある。愛は増強願望による強化行動を促す。飢えは回復願望による創出行動を導く。そうした強化や創出行動は、抽象的なものよりも、具体的なモノに固執する形で表出する。合理性ではなくフェッティシュにモノが要求される。例えば、コミュニケーションのある町よりも、古い街並みが好まれる。動きが見えにくいバスよりも、鉄道やLRTが好まれる。バス趣味は少数派で鉄チャンは多数派なのはこのことに由来する。
 都市の記憶には、
(A)都市の自然的景観
(B)都市の長い歴史を経た文化的景観
(C)個人的な都市の場所に関する生活景観
がある。例えるなら、山と海に挟まれた神戸(A)、国際都市としての雰囲気(B)、貴方と歩いたトアロード(C)、ということになり、愛着心、帰属意識を生む。これを個人ではなく、都市全体にあてはめ都市政策をすすめていくことになる。
 記憶というのは「将来に必要な情報をその時まで保持すること」である。長期記憶、意味記憶に分類される都市の記憶は、都市の将来を考える資産なのである。単なる過去の事実である「記録」とは違う。
 いわば、記憶は個人の生き方、生きがいと関わっており、集団としては都市の目標、都市政策と関わっている。
 人は、消費のための合理性のみで行動するのではない。
 人は、消費のための惰性としての個人行動と、生きるための記憶との葛藤で動いている。クルマとコンビニの生活が楽だと思って暮らしつつ、亡くなったお母さんのような優しい女性に出会えば、うっかり結婚行動に出るのである。都市生活では、クルマに依存した個人消費に浸りきっていたが、震災で町が消失すれば、何とも思わなかった町がいとおしく思え、歩きふれあうまちづくり、クルマに頼りすぎないまちづくりに奮走する私であった。
 中心市街地が大切なのは、それがみんなの文化景観・生活景観であり、その町に生きる意味につながるからではないか。
 誇りを持ち、愛着心を持つ町は、経済的合理性以上の都市経営の目標ではなかろうか。

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2011年11月 4日 (金)

長岡京は良い町だ

Mg_1078 10月23日、再生塾の仲間と、阪急長岡天神近くの狭い商店街、裏通りの村の道の課題を観察に行った。西側の道は南のJR駅から北の天神までかなり太くなっているが、阪急駅近くはほとんど歩けない。歩くと渋滞する状況。営業権もあるから、拡幅はかなり難しい。
 東側商店街から入った阪急長岡天神駅近くの公民館を出発する、天神さんの太鼓、獅子舞、子供神輿に出会った。マンションの子も、村の子も自由に参加できるお祭だという。子供たちは楽しそう。しかし、こんな細い道にも自動車が次々入る。お祭の時くらい、クルマを停められないか。
 クルマは便利だ。子供の喜びよりも、地域のコミュニケーションよりも、クルマの便利さが勝つのが今日だ。が、神様の日くらい、クルマを遠慮させるべきではないか。
 私は、神様より、子供より、クルマが威張っている限り、その意識を変えるコミュニケーションの働きかけを丁寧にしないと、どんな道路計画を作ろうと、どんな連続立体交差にしようと、どんな交通計画をつくろうと長岡京は良くならないと思う。
 この写真は、そういう長岡京の今を現しているのではないか。

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2011年11月 1日 (火)

【交通まちコミ10/31報告】神鉄粟生線赤字問題の解決法を議論

以下のような議論が出た。⇒以下は、授業者のコメント
【私が大臣だったら(文)】交通確保維持改善法の304億円を、薄く広く赤字バスに補填するのではなく、鉄道・バスに関わらず地域で改善しようと住民・行政・事業者一体となって計画を作っている地域に重点配分する。政策コンテストをする。
【私が市長だったら(人科)】交通を活かしたまちづくりのワークショップからはじめる ⇒ワークショップは万能薬ではない
【私が市長だったら(環境)】廃線をバス専用道路にし、デマンド乗り合いタクシーを結節させる
【私が市長だったら(保健)】学校を誘致して利用者を増やす ⇒他に、利用者が増える施設を駅に作ってはどうか。大学も良いが少子化で難しい。むしろ駅を飲み込んでしまうようなショッピングセンター、駅構内にある介護福祉施設、駅構内が温泉施設、駅構内に保育所、駅を呑み込むような病院など
【私が市長だったら(土木)】鉄道は利便以上の重要な意味がある。それを市民と議論して、残す。⇒素晴らしい
【私が交通計画課長だったら(土木)】高齢者がクルマに頼らすバスに乗れるよう、鉄道会社と協働する
【私が鉄道会社だったら(地盤)】電車を高速化する ⇒現状の路線ではできない。費用対効果が見込めない。補助も見込めない。
【私が鉄道会社だったら(地球物理)】駐車場料金も組み合わせた乗り継ぎ抵抗のないゾーン運賃
【私が鉄道会社だったら(環境)】相互乗り入れの神戸高速分の150円が辛い。料金抵抗を少なくできないか ⇒20円程度の割引ではガソリン代しか頭に残らないドライバーは交通行動をシフトしない。150円引きにしたとき誰が負担するか?
【私が利用者だったら(土木)】駅前に駐車場を整備し、電車5日に乗って駐車場1回無料にする ⇒その程度で本当に電車に乗るか?駐車場を無料にしても乗るか?その整備費用を誰が負担するか?もっと当事者性をもって考えねば寝言だ!
【私がバス会社だったら(社会人)】鉄道とは離れた新市街から幹線バスを三宮にどんどん便利に走らせ、それにフィーダ交通をつなぐ ⇒料金の見せ方が重要。「幹線400円、フィーダ150円」は駄目。「幹線500円ワンコインならフィーダはタダ」という表現の仕方が重要
【私が住民だったら(環境)】駅は重要なところ
【私が住民だったら(土木)】住民協働でフィーダ交通を充実させる⇒で、幹線はどうする?
【私が住民だったら(金属)】バス利用をよびかける

             

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