« 胃潰瘍 | トップページ | »

2011年9月 4日 (日)

大阪中之島開発から都市を考える

都市とは、その外部との関わりで成り立っている。 
A)外来性・多様性を、周縁で受け付ける。←公界の論理 於:河原=中之島・本田・江之子島
 A-1)ケガレとして受け入れる ex.長柄・日本橋→釜崎、被差別部落
 A-2)ハレ(まつりごと)として受け入れる  ex.天神・祇園・御霊、政府、学校、政商、財閥、ホテル
 A-3)ケガレ/ハレ 表裏一体として受け入れる ex.遊郭、外国人居留地、盛り場
B)まちなかに、奉公人、文武人、寄宿人として、仮受け入れ(同化受け入れ) ex.長屋での裸貸し→居つきは工夫次第
と、拙著『河原町の歴史と都市民俗学』から考えた。
 江戸時代には、大阪三郷船場の川向、堂島(蜆川と堂島川に挟まれた)が遊郭・茶屋街として新地化していた。
 明治末~大正初期を見ると、堂島の西端に市役所、病院、学校、駅が連なっていた。
市役所が、駅に併設した船溜まりと堂島川とを結ぶ運河と、堂島新地の蜆川の交点に位置している。「会議」が隣接し、その向かいが大阪商工会議所を創った藤田組。今も新藤田ビルがある。
Img_new_new_2
東西に蜆川、その南側が堂島。南北が出入船溜 ①血清薬院研究部 ②市役所 ③会議=江戸時代、平野屋徳米兵衛が、ここにあった天満屋遊女お初を連れ出し、相対死道行。④初代大阪駅 ⑤梅田橋 ⑥大阪病院 ⑦大倉商業学校 ⑧医学校 ⑨工業学校
⑩藤田組(農業、林業、鉱業)=藤田伝三郎は、元奇兵隊、井上馨ルートの政商。阪堺鉄道(南海電鉄の前身)、山陽鉄道(国鉄に吸収)、宇治川水力電気(関西電力の前身)、北浜銀行(後に三和銀行)大阪紡績(東洋紡績の前身)などの創設に指導的役割。児島湾干拓に関わる。大阪商工会議所を興す
 中之島の東、現在の市役所、日本銀行支店は開設されておらず、公園であった。三郷天満組の端に、②裁判所がある。
 住友本店臨時建築部(現在の日建設計)により、1904年(明治37)大阪図書館(現中之島図書館)が建設されて以降、市役所などが集まり、公会堂ができる。日本銀行は、土佐堀(前住友銀行本店)の位置にあった。
Img_new_0001_2
①米穀取引所 ②大阪地方裁判所・控訴院 ③検事正官邸 ④森吉亭 ⑤大阪倶楽部 ⑥豊国神社 ⑦図書館建設地 ⑧中ノ島公園 ⑨日本銀行支店建設地 ⑩□井物産支店 ⑪北浜銀行 ⑫鴻池邸宅 ⑬愛珠幼稚園 ⑭愛日小学校 ⑮帝国商業銀行支店 ⑯商業興信所 ⑰竹中 ⑱毎日新聞社 ⑲日本銀行支店 ⑳藤本銀行(後に大和証券)
 1929年(昭和4)になると、市役所・日本銀行が位置し、新都心としてなった。これに対して、西中之島は、官庁と倉庫街となった。
 旧居留地があった川口には、教会や教会系の学校、さらには日本郵船などがあった。
 
Img_201109033_2
①公会堂 ②図書館 ③豊国神社 ④市役所 ⑤日本銀行支店 ⑥地方裁判所・控訴院 ⑦大阪毎日新聞社 ⑧中央郵便局 ⑨大阪朝日 ⑩商工会議所 ⑪中央電話局・電信局 ⑫大学病院 ⑬医科大学 ⑭大倉商業校 ⑮大阪税務監督局 ⑯大阪電燈会社(旧柳川蔵屋敷→住友家) ⑰大阪逓信局 ⑱高等工業 ⑲逓信管理局海事部 ⑳日本郵船 21大阪府庁(1871年より昭和初期まで) 22開成 23信愛女学校 24東洋捕鯨 □住友銀行完成(m41)
堀は北から、土佐堀、江戸堀、京町堀、海部堀、阿波堀、薩摩堀、立売堀

こうして見ると、堂島新地(A-3)から伸びて、中之島は近代都市のハレ(A-2)を担ってきた。同様に、外国人居留地(A-3)は、学校・教会・会社というハレ(A-2)に変わっていた。

|
|

« 胃潰瘍 | トップページ | »

まちなか再生とツーリズム」カテゴリの記事