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2011年9月

2011年9月28日 (水)

本日、第0回観光適塾、CSCD共催授業、

長崎さるくの、茶谷招聘教授と森栗とのタッグ。中之島センターで。来年もある。
基調講演の中身  「都市を歩く」意味について
文学博士にして、土木計画学で「はなしあいプロジェクト」
研究履歴から
 地理学・民俗学⇒職人誌(鍛冶技術の伝播、職人町)⇒都市民俗学
  ⇒1995年⇒復興まちづくり(下町長屋コミュニティ論)
    →下町を観光で元気に=兵庫ツーリズム協会プロデューサー茶谷氏との出会
森栗「見えない都市遺産」2004年(ブログにあり)
⇒2004年:住吉台くるくるバス→住民協働型地域交通⇒地域合意形成論
 2007年からCSCDコミュニティ部門
 2011年 土木計画学「はなしあい学プロジェクト」
評価 破滅的現場追随型支離滅裂三流研究者
    
/全方位万能天才型熱血政策関与研究者
1 都市とは
 異なる人々が、その多様性を楽しみ活かし暮らす、暮らし方の場
 Not 人口規模、社会形態、産業消費構造、建築集積ではなく、
         民俗学としてはその価値観・暮らし方が重要だ
 都市の生活機能 村から都市になる(柳田國男:都の鄙) のではなく、
  都市的な価値観が、最初からあった。
■ 互酬(貧しい→助け合い)と放蕩=倫理観(ごろつき:かぶき衆の公腹)
     川(山の口に無言市:折口「女房歌の発生」)・
                                                   
浜(河川改修)・道(鉄道)と都市
     職人と夏祭(祇園祭、天神祭、博多山笠・ダンジリ祭〈大工方〉)
     遊廓と墓地(新地開発)と墓地、河原芝居・河原市・河原宿
     ケガレと都市(「朝鮮人」「沖縄人」「エッタ」、都市周縁の
                                  「かったい村」「おんぼ村」「いしゃ村」「役人村」
                                「役者村」以上差別用語)
2 歩くとは
 人も歩けば(not walking but wander、コミュニケーションにあたる
   曲がった道、坂、何気ない何十年とつづく暮らしの関係性に出会う
 見る……きょうろきょろ見る、場を見抜く(想像しながら)
 聞く……第一歩として「買う」、挨拶する、目線を低くして尋ねてみる
バスがあればバスに乗る。良い景色が見えればバスを降りる(宮本常一)
3 独立市民の登場
   私たちは生きてきたか
   街に笑いがあるか
1995年 ふれあう街(向島)の強さ 公共を創りだすには、自立が必要
2004年 終の棲家を求め住吉台くるくるバス・・・インフラをシェアする人々
2011年 大阪市地域活動協議会の始動

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2011年9月27日 (火)

87-88旧遍路道の細川家住宅

87番長尾寺から88番まで歩きました。昨年H22年は修験道場で二つの厳しい尾根のある女体山を歩き、今年春の学生25人を連れた授業遍路でも、学生をけしかけて登りきった。
 胃潰瘍投薬治療後、無理のできない体力でしたので、学生2名は女体山、私は旧遍路道を通りました。

 なかなか、風格のある道で、山の多和小学校の授業を見つつ、休憩した。タワは、中四国に多い地名で、山道のたわむ所、峠のこと。いくつかのたわみをくぐり、最後に、ふっと登って大窪寺の山門が見えるというのは美しい巡礼道である。Img_0910
 途中、商業的にやっている炭焼き釜や、重要文化財細川家住宅、畜魂の石碑がある。昭和41年に民俗調査で「発見」されたという。http://www.city.sanuki.kagawa.jp/education/culture/art/hosokawa.html
「発見」というのは、どういうことか?
 私が12歳の頃、日本が高度経済成長の途上、このような暮らしが、学術によって「発見」されたのか。しかし、そこにあるのは、山村の人々のあたりまえの明るい暮らし。今、ひっそりとしたこの村を歩いていると、「発見」などされる必要はなかったのではないか、日本人は幸せになったのか、考え込むことがある。そのなかでの、民家調査の「発見」の、独りよがりで空虚なこと。
 こんな民俗学には、私は興味はない。この人々の笑顔がどこに行ったか?そこが知りたい。
 村に町に、笑顔を取り戻す取組をしたい。本日、大阪市天王寺区聖和地区で、地域活動協議会ワークショップ。

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2011年9月26日 (月)

8月31日島田誠『絵に生きる、絵を生きる』に紹介した、高野卯港個展が、ギャラリー島田である。10月5日まで。私所蔵の2点も展示いただいた。他の作品もなかなか良い。個展を見るということは、その作家の人生と対話することなんだなあと思った。
 そういう意味では、無垢の画家石井一男もよい。こちらは、BBプラザ美術館で10月30日まで。
 絵などまったく無関心の私が言うのだから、ぜひ、騙されたと思って、神戸北野の島田ギャラリーに行き、当主の島田さんがおられれば一声かけてください。神戸の市民アート運動を支えてきた島田さんと会話するだけで、芸術に触れた気分になれます。

秋は、芸術。

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2011年9月20日 (火)

企業・高層ビル参加の防災〔大阪市西区〕

9月4日、大阪市西区防災訓練+フォーラムに参加した。
タイトルは「大震災、一人でも多くの命が助かるために~支えあう関係づくり、みんなで考える減災~」
 いざとなれば、犠牲が出ることを覚悟し、だからこそ減災をみんなでとう真剣な内容だった。大阪市西区は、江戸堀土佐堀阿波座など大阪市中心部の海寄り、海産物扱いなどで栄えた雑魚場があり、旧三角州新田の九条地区、そのスパー堤防としての大阪ドームなどがあるから、切実感があった。
 とくに、高潮、津波、地震に対し
▼フォークリフトなどの道具、避難場所としての倉庫提供など、「災害時地域協力貢献事業所・店舗」が登録され
▼高層ビル住民
▼中学生
も訓練に参加していた「本気度」に驚いた。
Img_0842
 

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2011年9月17日 (土)

書評:北原糸子「関東大震災の社会史」

「東京新聞」2011年9月11日「北原糸子『関東大震災の社会史』」 書評UPしました

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2011年9月 9日 (金)

佐藤友美子、土井勉、平塚伸治『つながりのコミュニティ』

私は、こんな役立つ本について、新聞書評を書かない。
 しっかり読んで、密かにネタに使う。

人口減、財政破綻、環境破壊と大災害…。
それは、政治家や行政、企業が悪い、その尻馬に乗る無能なマスコミ、無責任学者の責任だろうか?
 そのシステム破綻の根源には、安く・速く・何時でも「plentyたっぷり」を求めてきた「consumer消費者」が居る。詳細の説明はしないが、「consum」とは「食いつぶす」ことである。
 当事者性vsないものねだり 佐々木俊尚 のなかで、我々の当事者性が求められている。
 閉塞感のなかで、「元気の良い橋下さん」にすがるのが大勢、内閣ができたときは、誉めそやし、3ヶ月するとミソクソ評論家気取り、自分では地域で活動しないジジイではいけない。一方的な供与関係、依頼関係は長続きしない(pⅵ)
 地域活動に参加するには、
▼敷居の低い参加機会※1
▼運営の持続性(ビジネスとしてやり繰り)※2
が必要。
 手法としては、
1)現場思考
2)当事者性のある困難を、改善推進のチャンスにするしなやかさ
3)結果をカンフル剤とするのではなく、日常化する
4)プロセスの共有化
 展開手順としては、
①ビジョン・プレセス共有⇒②相互理解・資源発見※3⇒③信頼with risks not 信用with担保⇒ ④自発的小口・ローカル投資参加
その結果、
①人様の役に立ち
②存在が認められ
③家族、地域に居場所(仲間と場)ができ(ⅷ)
 
幸福に暮らせる。

※1 六甲山を活性化させようと思えば、六甲山に関心のある市民が、友人、知人に「六甲山からの手紙」を送ることだ。口コミが重要(p97)
 遊歩道に、植物名を書くプレート(個人名付)を寄付で、本人とネーチャーガイドが一緒につけ、エコ基金に参加する手法もある(p122)
※2 限られた資源、時間、資本の下、見えない資源を発見し、限られ時間で支えあい、不安定な資本と喜び(収益)をわかちあう仕組みが重要だ(参考『「分かち合い」の経済学』
※3 人々が六甲山に求めるのは、高度経済成長期の回転展望台ではない。六甲の空気と山・植物を感じることだ。ならば、植物生態がわかるネームプレートを、市民サポーターの投資参加を得て、そのエコ基金を活用することが重要だ。なぜなら、投資者は、何度も六甲山を訪れるからだ。具体的には、エコ基金10万円一口なら、1プレート+六甲・摩耶交通機関終身切符。

 
 
 

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2011年9月 7日 (水)

【授業連絡:フィールドワーク論】ワークショップ技法概論

9月17、18、19日(社会人のエントリーの可能性をひろげるため、かねてお知らせしたように、17-19(土曜日曜祝日)に、ワークショップの授業をおこないます。
 なお、今からでも参加したい学生、社会人は、若干の参加・履修を認めます。CSCD事務室に、申込ください。

於 中之島センター7階

9/17 10時半~18時ごろ 西先生(男性)・東末先生(女性)(神戸WS研究会)+森栗
 ワークショップ、ファシリテーション概論
 コミュニケーショントレーニング
 ファシリテーショングラフィック(さわりのみ)
 ワールドカフェ

9/18 10時半~17時半ごろ 辻先生(男性)(神戸WS研究会)+森栗
 まちづくりWS→参加のデザイン
 上沢ビデオ
 デザインゲーム(概論+実例シュミレーション)

9/19 10時半~17時ごろ 松原先生(男性)(神戸WS研究会)+森栗
 事例紹介(MITの話)
 旗揚げ
 KJ法(解説+まちづくりにおいてのKJ)
 短冊を使ってのディスカッション

履修学生 30人(うち女性9名) 半分程度が大学院生と社会人

共同作業ですので、遅れないように御願いします。
川向こうの福澤さん?にコンビニがあります。森栗は、7日深夜24時より、フェリーで高松経由、お遍路に出ます。当日まで連絡がとれません。

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2011年9月 6日 (火)

東北大などで教鞭をとっだジェームズ・カーカップという英国の詩人・思想家が40年前、日本についてこう述べています。『経済の破綻、破滅的な地震が、日本にかつてなかったような深刻な試練をもたらすだろう』 『だれもかれも、ゼロから再出発するのでなければ日本は精神的にも、文化的にも立ち直ることができないだろう』と」  
「詩人の直感ですが、今日の事態をよく予見しているのに驚かされます。単なる復旧・復興ではなく日本をリセットして再生するという覚悟でないと立ち直れないでしょう」
-原発事故は、私たちの繁栄が拠って立ってきたものが脆弱だったことを示しています。
「原発は安全だと言われて、それを信じ込んでしまっだのが愚かだった。チリ地震で実際にあれだけの被害があったのに、今回の津波は想定外だったなどと寝言のようなことを言っている。これは人災ではなく、ある意味で、犯罪だと言ってもいい」
「東北に限らず、日本中どこでも中央集権的なインフラに頼ってきた。そういう脆弱性に正面から向き合おうとしてこなかった。それも人災だったという深刻な反省が必要ではないか」
―復興には政治の構想力が必要ですね。
「世界に向けて、東北を先端的なモデルとしてデザインしていかなければ。関東、阪神淡路の両大震災との大きな違いは、あれだけ広大な地域が塩害や放射能にやられて数十年は農業も漁業もできない可能性があるということです。東北は親潮と黒潮が出合うところ。豊富な水にも恵まれている。縄文時代から丘陵地帯に人が住み、柳田国男は『日本の原風景』と言った。21世紀を飛び越えた22世紀の東北創り、新しい日本の文明創りといった大風呂敷を広げなくてはいけない。堤防をより高くするとか、そういう話でとどめてはいけない」
国や大臣が「安全」と言うから、知事や組長、地域幹部は「安全」なんだと説明する。その裏で、やらせメールのようなことをさせてきたのは、佐賀県だけではない。

2011/4/13朝日新聞:インタビュー細川護煕

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2011年9月 4日 (日)

大阪中之島開発から都市を考える

都市とは、その外部との関わりで成り立っている。 
A)外来性・多様性を、周縁で受け付ける。←公界の論理 於:河原=中之島・本田・江之子島
 A-1)ケガレとして受け入れる ex.長柄・日本橋→釜崎、被差別部落
 A-2)ハレ(まつりごと)として受け入れる  ex.天神・祇園・御霊、政府、学校、政商、財閥、ホテル
 A-3)ケガレ/ハレ 表裏一体として受け入れる ex.遊郭、外国人居留地、盛り場
B)まちなかに、奉公人、文武人、寄宿人として、仮受け入れ(同化受け入れ) ex.長屋での裸貸し→居つきは工夫次第
と、拙著『河原町の歴史と都市民俗学』から考えた。
 江戸時代には、大阪三郷船場の川向、堂島(蜆川と堂島川に挟まれた)が遊郭・茶屋街として新地化していた。
 明治末~大正初期を見ると、堂島の西端に市役所、病院、学校、駅が連なっていた。
市役所が、駅に併設した船溜まりと堂島川とを結ぶ運河と、堂島新地の蜆川の交点に位置している。「会議」が隣接し、その向かいが大阪商工会議所を創った藤田組。今も新藤田ビルがある。
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東西に蜆川、その南側が堂島。南北が出入船溜 ①血清薬院研究部 ②市役所 ③会議=江戸時代、平野屋徳米兵衛が、ここにあった天満屋遊女お初を連れ出し、相対死道行。④初代大阪駅 ⑤梅田橋 ⑥大阪病院 ⑦大倉商業学校 ⑧医学校 ⑨工業学校
⑩藤田組(農業、林業、鉱業)=藤田伝三郎は、元奇兵隊、井上馨ルートの政商。阪堺鉄道(南海電鉄の前身)、山陽鉄道(国鉄に吸収)、宇治川水力電気(関西電力の前身)、北浜銀行(後に三和銀行)大阪紡績(東洋紡績の前身)などの創設に指導的役割。児島湾干拓に関わる。大阪商工会議所を興す
 中之島の東、現在の市役所、日本銀行支店は開設されておらず、公園であった。三郷天満組の端に、②裁判所がある。
 住友本店臨時建築部(現在の日建設計)により、1904年(明治37)大阪図書館(現中之島図書館)が建設されて以降、市役所などが集まり、公会堂ができる。日本銀行は、土佐堀(前住友銀行本店)の位置にあった。
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①米穀取引所 ②大阪地方裁判所・控訴院 ③検事正官邸 ④森吉亭 ⑤大阪倶楽部 ⑥豊国神社 ⑦図書館建設地 ⑧中ノ島公園 ⑨日本銀行支店建設地 ⑩□井物産支店 ⑪北浜銀行 ⑫鴻池邸宅 ⑬愛珠幼稚園 ⑭愛日小学校 ⑮帝国商業銀行支店 ⑯商業興信所 ⑰竹中 ⑱毎日新聞社 ⑲日本銀行支店 ⑳藤本銀行(後に大和証券)
 1929年(昭和4)になると、市役所・日本銀行が位置し、新都心としてなった。これに対して、西中之島は、官庁と倉庫街となった。
 旧居留地があった川口には、教会や教会系の学校、さらには日本郵船などがあった。
 
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①公会堂 ②図書館 ③豊国神社 ④市役所 ⑤日本銀行支店 ⑥地方裁判所・控訴院 ⑦大阪毎日新聞社 ⑧中央郵便局 ⑨大阪朝日 ⑩商工会議所 ⑪中央電話局・電信局 ⑫大学病院 ⑬医科大学 ⑭大倉商業校 ⑮大阪税務監督局 ⑯大阪電燈会社(旧柳川蔵屋敷→住友家) ⑰大阪逓信局 ⑱高等工業 ⑲逓信管理局海事部 ⑳日本郵船 21大阪府庁(1871年より昭和初期まで) 22開成 23信愛女学校 24東洋捕鯨 □住友銀行完成(m41)
堀は北から、土佐堀、江戸堀、京町堀、海部堀、阿波堀、薩摩堀、立売堀

こうして見ると、堂島新地(A-3)から伸びて、中之島は近代都市のハレ(A-2)を担ってきた。同様に、外国人居留地(A-3)は、学校・教会・会社というハレ(A-2)に変わっていた。

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2011年9月 1日 (木)

胃潰瘍

人間ドックで、大きな胃潰瘍が見つかった。癌にしたくなかったら静養せよと医師に命じられ、8月は養生。昨日、検査の結果、ほぼ完治と判明。本日よりピロリ菌退治の抗生物質薬を、食後のデザートのように、たんまり呑む。
 昨年の夏遍路が、身体にストレスをため込んだようだ。
 仕事も真面目にせず、これといって精神的ストレスもなく、なんで?と思っていたが、
医師曰く、「精神的であろうが肉体的であろうが、ストレスはストレスです」

大反省。年寄りの冷や水とは、こういうことをいうのか?

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