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2011年8月

2011年8月31日 (水)

島田誠『絵に生きる 絵を生きる』風来舎、2011年

高野卯港:鞆の浦風景の記事(2010年3月12日)に書いたように、私は高野卯港の絶筆となった作品と、晩年の「星の入り江(高砂港)を持っている。
 絵なんぞ、全くわからない私が、哀しいまでの美しい港の絵、暗闇のなかの明り、一点の明るき空に魅せられた。哀しみを描くために生まれ、59歳で亡くなった作家の、渾身の2点を、私のような者が持って良いのか、迷いつつ、自宅と義父の家に飾っている。申し訳ないので、展覧会があれば何時でも出しますよと言いつつ・・・。

仲介していただいたギャラリー島田の島田誠さんが、5人の作家との関わりを記した、異色の作家紹介である。
 命を削るように描く画家、それに批評を加え、画家を育て、励ます画廊主の「つかず離れず」の厳しくも温かい関係が、赤裸々に描かれている。美しいものを求める血みどろの戦いが、この本に記されている。
 芸術って、素人には、ちょっとしんどい。だから、芸術的人生に憧れつつ、近づけないので、免罪符のように、私は絵を買ったのか?
 それに比べて、ギャラリー経営者とは、ものすごい商売、逆に言えばエゴイスティックな役割だと思った。

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2011年8月29日 (月)

企業参加の生野区防災マップ

28日、大阪市役所玄関ホールで、大阪市コミュニティ協会主催のシンポに参加した。
パネラーの生野区中川東連合の地元企業と連携した防災地図づくりに驚いた。
地元企業のフォークリフト・ジャッキ(24時間対応の可否)などが明記され、避難場所が明記され、自分の一時避難場所や地区の役員名連絡先を記入するようになっている。
 助ける近所の人≒地域振興会(町会)を明記している。
 その上で総合避難訓練を行っている。
 生野区は、上町台地の東、旧大和川(平野川)の浸水で苦しんだ土地柄。地盤も弱く、細街路が多く火事に弱い。上町断層の直下型地震に備えた訓練を、この地図をもとに何度もやっている。ワンルームマンションも多いが、何度も何度も「いざというときは地域振興会」と呼びかけているという。
 会長は、「地域振興会(町会)は自主防災組織」と呼びかけている。この毅然とした態度で、若者、女性も含めて、企業・学校・天理教会など多くの方と連携している。毅然として、かつ誠実に、何度も何度も、防災の必要性、地域の危険性を、丁寧に説いているようだ。
 マスコミの大阪イメージ、ご気楽、おしゃべり、好き勝手放題とは違う、「生真面目・公共を考える大阪人」が垣間見えてきた。役所依存は、微塵も無い。
Img_0815_2 Img_0817
大阪市民が凄いのは、防災の話しになると、真剣に聞き耳をたてる市民が多数集まることだ。
 当日も、イベント「なにわ自慢」の関連シンポとは思えない真剣な態度、質問が飛び出し、感動した。また、日曜日なのに、市役所・区役所職員が30人程、立ち見で参加していたのには驚いた。3・11以降、市民のみならず、大阪市職員の一部には、大きな心の変化があるようだ。

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2011年8月22日 (月)

北原糸子『関東大震災の社会史』朝日新聞選書

関東大震災の被害額は、東日本大震災の十倍以上、死者・行方不明は五倍以上である。同じ都市直下型地震の阪神大震災と比べても、被害額で二十倍以上、死者・行方不明で十六倍の大災害であった。
関東大震災の復興計画を練った後藤新平や、被害状況に関する研究はあったが、罹災者の状況を克明に総合的に追跡したのは、本書が初めてであろう。
 この本を読んで、関東大震災、阪神大震災、東日本大震災の比較表を作ってみた。
 避難すべき学校も消失した関東大震災では、路頭に迷った後にバラック自治会ができ、なかには、安否確認のために上京する人々に震災絵葉書を売り歩き、納豆行商をする会もあった。当時の住民の生活力には驚嘆する。
 関東大震災では、リーダー(後藤新平、渋沢栄一ら)、住民、ボランティア、赤十字など医療班は奮闘した。国内外の義捐金も多く集まった。
 しかし、政争により復興予算成立が大きく遅れ、後藤の描いた復興計画も頓挫し、その閉塞感のなかで、日本は海外侵略に活路を求めていった。
 災害列島に暮らすことを思い知った今、この本の意味は大きい。

関東大震災

阪神大震災

東日本大震災

発生日

192391

1995117

2011311

死者・行方不明者数

105385

6437

20349

想定被害総額

5565億円(現代換算は難しい)⇒約112兆円※

9.9兆円

1625兆円

主な被害死因

火災

倒壊、火災、関連死

津波

避難所

公園・空地(逃げ延びるのが精一杯)

学校,自治運営傾向

学校、役所運営傾向

情報

震災彙報

新聞、ラジオボランティアニュースミニFM

デジタル情報、ミニFM

応急対応指揮

◎内務省+協調会+済生会

△政府対応遅れる

△国・県だより、市町村役場崩壊

政治的復興支援

△政争

○官僚主導

?政争

社会不安

治安、伝染病(衛生)

高齢化

放射線

復興計画

△政争により

○一応の住民参加


※ 前年財政規模の3.7倍が55億円だとすれば、H22年度予算約92兆×3.7=約340兆円。現代に関東大震災が起きれば被害想定は112兆円といわれる。

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2011年8月19日 (金)

向島のコミュニティ活動

東京都墨田区向島の防災まちづくりは有名である。その中核をなす一言会理事の長老に「阿部先生」がおられる。地元の学習塾の先生で、世話好き。外部の人を受け入れる開かれた知性の仁である。
 その阿部先生から「内から見た向島」をいただき、読んだ。
■さくらんぼ公園というのになぜさくらんぼがないのかと、幼児に訊かれ、発奮して区役所や造園業と連携して、さくらんぼを植えて実をならした話
■地元出身者を、住居が郊外の子どもの家に移動しても、葬儀は昔暮らした地元の人々の世話になって向島でした(墨田区には地域ごとの葬儀屋があり、相互扶助の葬儀が行われる)
■新しい賃貸マンションの住人を歓迎し、管理人が全世帯1年分の町会費を持参してきた話 ⇒このくらいの丁寧さと、ちょっと強圧なあいさつ文を出す智恵がないと、マンション住民を町会に入れるのは難しい。
 参考までに初会する。
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□□マンションの皆さま 向島へようこそ ▽▽町会長

私たちの街は「向島五丁目東町会」(嚇・五東町会)と申します。

 さきごろこの街に、元気の良い槌音が響き、大きなクレーンとミキサー車が活躍し、今ここに、□□マンションの30世帯余りの方々を新しい仲間としてお迎えできることとなりました。

 皆様を、心から歓迎申し上げます。

 五東町会は、けっこう長い歴史を持つ街です。いくつかの伝統的な行事があり、少しおせっかいな気風で、明るい挨拶と、やんちゃでおしゃまな子どもたちが特徴です。

 住民たちは、防災とか自治に強い連帯感を持ち、氏神様である牛嶋神社(1140年の伝統)の氏子で、秋には賑やかなお祭りが繰りひろげられ、子ども連や青少年の成長を見守リ、お年寄りの懇親を深めるなど、典型的な下町気質の街でもあります。

 町のお知らせは、おなじみの回覧板、町内10か所の掲示板、そして、有線放送のスピーカーによって伝えられます。近代的マンション・ウインベルの皆様も、ゴミ処理その他の生活情報源として、このお知らせにぜひ耳を傾けていただきたく存じます。

 マンションの目の前には、マスコミで有名な「路地尊(ろじそん)」があります。何の為にここにこんなものがあるのかは、いずれお分かりになる日が参ります。また、すぐ近くには、桜と花火とボートレースの名所で、人情の流れる川と讃えられる隅川や言間だんごや桜もち、隅田川七福神等々、お友達やご親戚に誇れる環境がいとも無造作に点在します。

 皆様には、この街の良さや楽しさを存分に味わい、少しずっでけっこうですから、それらの行事にもご参加いただき、楽しさを受ける側から、出来ましたら、創り出す側にも回っていただきたいと存じます。

 皆様の中には、もしかしたら、ここ向島を終の住家(ついのすみか)と考えておいででない方もいるかもしれません。だから、周辺の行事などには関心がない、とお考えの向きもあるかもしれません。 しかし、そのような方に`とりましても、長い人生の中で、「向島に住んだあの時がいちばん楽しかったな」と、振り返っていただけるような時間を過ごしてほしい、と私たちは願っております。何年か後、その方が、懐かしく向島を訪れることがありましたら、向島の街並と人々はきっと今と同じ表情で、その方々を温かく迎えるに違いありません。
 
私たちの、そして今日からは皆様も住む向島は、そんな街です。
 ゆっくりでけっこうです。お互いに分かり合い、打ち解け合い、そして助け合える隣人として、長く長くおつきあいくださいますようお願い申し上げます。Img_0001_new

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2011年8月18日 (木)

クルマとコミュニケーション

帰省したツレアイから聞いた。
 最近は、村の墓参りもクルマで行くので、盆の墓参に向かう村道で出会って「ご苦労様」「帰ってたの?」という声かけにあわない。墓地内で会っても会釈程度で声かけがないのが、寂しいという。
 確かに、クルマは他の人と出会わず(30km/h以上だと顔を確認しづらい)目標地点に行ける。目的地点に1番近い所に駐車し、目標の墓に直線的に向かう。出会う人と関わるのを避け、擦れ違う歩行者は障害物、クラクションの対象以外の何者でもない。逆に歩行者から見れはクルマは危険物。コミュニケーションが生まれづらい。
 このようにして、徒歩で墓参りに行く村道の途上で、出会い、声かけあうほのかな幸せは、クルマの便利さで忘れ去られる。こうして、過疎の村でも、人間関係は疎遠になりつつある。
 では、現代で人々が連帯を意識し、見知らぬ人が語り合うのはどんなときか。
・甲子園球場の応援観戦で隣り合った人どおし
・災害があった地域へ思いをかけ、相互にふれあったとき
・電車やバスなど狭い空間を共有し、そこに幼い子どもがいるとき
等が思いつく。しかし、新幹線で隣り合っても、目標地点直進が命題であるから、こうした交流は生まれづらい。

クルマは便利だが、このように便利すぎで失うものがあることも注意する必要があろう。

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2011年8月16日 (火)

【授業:交通まちコミ】評価

十数人の大学院共通科目で、多様な非専門化が集まっている授業で、テストをするほど馬鹿ではない。かといって評価をどうするか。
 最後の授業で、公開自己評価をやってみた。(Mは修士、Sは学部3・4年生)
■国の政策と現場の関係がわかった
 現場の話しが聞けて良かった(工M)
 地方の実情から国策を考える方法(法S)
 勉学と実学の間を考える(経3)
 複雑な交通体系や法制度がどのように関係しているのか実情がわかった(法M)
 具体的なころを聞くことで深く考えることができた(経M)
 具体論も抽象論もおりませていて面白かった(法S)
■知らなかった
 交通・電気などインフラの政策論は知らなかったので楽しかった(経S)
 自分で考える授業で、目新しく、かつ生活者目線がおもしろい(工M)
 ワークショップ方式なのでいろんな人の考え方に接する事ができた(経S)
 事業・政策の展開方法・撤退方法が学べた(法M)
■合意形成と協働
 いろんな人が納得できるシステムづくりはいかに難しいか、よくわかった(文M)
 住民の主体性を引き出す政策が重要(工M)
 行政任せにせず、自分で考えることの大切さを知った。私も授業では自分の顔(事として)考えた(人科M)

これに、メールでの自己評価(全出席85点、1回欠席80点、2回欠席75点 3回欠席70点・・・。得るものがあった+10点。授業善後、個別に語り合うほど深く議論した+5点)を問い、その返事を授業者資料と照らして評価した。

 

 

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2011年8月14日 (日)

続々:大阪の津波対策

Img_07991 安政南海地震の船が積み重なる図(地震津波末代噺の種:大阪歴史博物館蔵)Img_07871 昭和9年室戸台風(17198人死亡)潮位op+4.2mで、木津川環状線大正あたりに押し寄せた破船。Img_07951 昭和36年第二室戸台風(2165人死亡:早期避難・防潮堤で高潮死亡なし)潮位op+4.2mで、鉄橋に押し寄せたドラム缶(西淀川区福)
【津波高潮ステーション展示から】
やっぱり、津波で漂流物が押し寄せたら、大変だ。

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続・大阪の津波対策(地下鉄など)

Img_07791_2 地下鉄中央線は、大阪港から九条0m地帯までは高架。木津川を渡り、防潮堤をギリギリ5m越えて阿波座地下駅に入る。Img_08061 阪神難波線は、神戸尼崎方面から安治川を渡り、側壁を施し九条地下駅へ。駅入り口は全てビルの一部であり、シャッターが降りる。より低いところは段差がある。Img_08091 Img_08101

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2011年8月13日 (土)

大阪の津波対策【修正】

次の南海東南海地震に於ける、大阪市の津波想定2.9m+満潮高水位2.1mとした場合、漂流物が船津橋(中之島西端)まで昇り、溢水して梅田が大丈夫か不安になってきた。
 そこで、大阪府西大阪治水事務所の津波・高潮ステーションに出かけてみた。
 そこでわかったのは、Osaka_tsunami_ という結論である(「大阪港地震津波対策検討委員会」、H20年)。
 船津橋は、1.27+2.1mで、それほど心配する想定にはなっていない。むしろ、大正橋2.53+2.1m、弁天埠頭2.19+2.1mのほうが危ない。速度は、南港北では、5.5m/sec=時速19.8km。最高水位2.9mの木津川防潮堤では、0.07m/sec=時速2.52km。太平洋の直接波を受けた三陸と大阪湾とでは、波のスピード、おそらく波力も違うであろう。
Osakakoujisintunamitaisakuactionpla

同報告のアクションプランによれば、船津橋にはプレジャーボート、土運船、はしけがぶつかる程度となっている。むしろ、木津川下流・中流、安治川河口においてはしけがぶつかるようである。
 ただしこの想定は、安政地震M8.4、宝永地震のM8.6を前提にしたものであるが、防潮扉が地震などの理由で閉められないケースがあるものと想定し、大正区等の浸水被害の大きさを描いている。
 もし、すべての鉄扉が安全に閉めることができた場合、ゆっくりと遡上する漂流物が船津橋に集まる可能性はなしとはいえない。そのときの高さは1.27mではなく、限りなく2.9mに近いものと考えるほうが妥当ではないか。
 ということで、まずは、九条、木津川沿岸、大正区が危ない。木津川から難波の地下街:OCATあたりは危険性がある。そもそも地下鉄、阪神なんば線はどうなる。その対処はできるのか。その上で、梅田地下街も、想定以上の津波の場合、水難を避けれない。

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2011年8月12日 (金)

ポストメトロポリスの自給持続都市

 3・11以降、エネルギーバランスが悪く、食糧自給バランスが悪く、空洞化高齢化、ときに荒廃がおきつつあるメトロポリスの限界が露呈している。なかでも阪神都市圏は、産業衰退空洞化のなかエネルギー逼迫、巨大災害に対して無防備の状況にある。静かな崩壊と急激な崩壊危機が迫っている。衰退傾向にあるとはとはいえ、阪神都市圏への東南海津波の急激崩壊、または静かな崩壊は、大阪を含まない阪神大震災で10兆円被害、東日本で15兆円に値する。大阪を含む阪神の崩壊は、静かにであれ、急激であれ、その倍の被害で日本経済の息の根をとめる可能性がある。70年代、なにわドリーム「もうかりまっか」の末路は、今や、ジャパンナイトメア(悪夢)の引き金になる。
 これを阻止するには、メトロポリスに隣接して、ポストメトロポリスを作るしかない。
 産業も減少しているのに費用回収できないから地価が高止まり、身動きできない空洞都市に隣接して、過疎と自然環境をウリにする自給持続都市を再構築するしかない。
 某県過疎地の環境未都市構想がおもしろい。エネルギーバランス、食糧自給、暮らし持続を基本とし、無理な発展型を求めない、安心安全の暮らし持続を構築する動きは、結果として、来訪人口・部分定住人口を招き、トータル人口±0をめざす。極めて、積極的非発展持続案である。
 ところが、当該過疎地域の一部には、異論がうずめく。
曰く
人口が増えるのではなく±0の目標とは何事だ!
この機会に空地を大きな病院にしたい。
この機会に雇用を増やしたい、京阪神のベッドタウンになりたい。
そのためには高速道路が高い。高速料金が高いから地域の発展がない。

地元のこの主張は本当だろうか?
 大きな施設だけではなく、在宅でも安心して暮らせる地域づくりが大切なのだ。
 今更、大きな雇用求めるのは幻想。衰退した阪神のベッドタウンになってどうする。都心居住・大阪一極集中がすすみ、神戸近郊でさえ住宅地価が下落しているなかで、高速道路を無料化したところで、ベッドタウンを建設する時代ではない。
 そもそも高速道路を無料にしたら本当に繁栄するのか。ストロー現象で、悲惨にならないか?

甲府盆地一帯は周辺を山地に囲まれ、東京方面への移動は笹子峠や小仏峠などの難所を越えなければならなかった。そのため、独立した経済圏であり、影響は少なかった。しかし1970年頃から中央本線の高速化や中央自動車道の開通により特急列車と中央高速バスとの競争が激化、本数増発や運賃・料金値下げを繰り返したため容易に東京方面へ行けるようになったため、休日になると日帰りで東京方面へ買い物へ出かける者が増えた。一方で甲府都市圏の店舗は一部のショッピングセンターを除き影響を大いに受け、多くの店舗が閉鎖・撤退し、特に甲府駅周辺の商店街は壊滅的打撃を受けてシャッター通り化した。近年はその影響が企業や工場にまで波及し、パナソニックや東京エレクトロン、パイオニアなどの工場撤退が相次いでいる。
 これをストロー現象という。大切なことは、交通路の整備、料金の低減化だけではない。それを使って、どのような地域を作っていくのか、人口増、雇用増、大きな施設だけが目的なら、危険高速鉄道網を張り巡らし、血眼あげて金、カネで走り、農民工など格差が蔓延する中国よりも我々は不幸なはずである。
 大切なことは、地域の資源を上手に使い、エネルギーバランスの良い、食糧自給のでききる、安心して暮らしつづけ、相互が信頼しあい、支えあう「ささやかだが、誇りある暮らし」づくりではないか。

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2011年8月11日 (木)

コミュニティサイクルを持続運営するのは可能か?

手軽で便利な移動手段として、環境負荷のない自転車は人気だ。健康にもよく、チャリ通勤も首都圏では流行っている。しかし、放置自転車で駅前や歩道が混乱し、歩道を走る自転車が、歩行者に危険を及ぼす。
 そこで、都心では自転車を共有しようという考え方がある。短時間の自転車を無料・軽費で貸し出し、ポートとポートを移動したら自転車を置き、用事を済ます。用事が済めば、歩くか自転車で駅近くのポートまで。
 名古屋の名チャリは会員が多く市民に浸透しているが、レンタル料・会費で運営するのは難しい。広島は広報不足で会員が増えず、事業補助が無くなれば難しい。パリのコミュニティサイクルは広告料で自立的にできるいるというが、MCDecaux社が、信号、ベンチ、ゴミ箱、バス停、照明柱、フラッグホールまで、広告規制の厳しいパリで、美しいデザインを包括委託されているなかで、コミュニティサイクルの広告収入で運営されているのである。一種のPPP(Public Private Partnership)である。
 とは言え、破壊行為の多いパリでは、自転車の維持コストは高く、この部分はパリ市の別会計負担なのである。
 結局、富山市のように、建設省出身市長の「交通を格段によくすることがまちを良くする」という哲学による行政負担と国の手厚い支援がなければ、コミュニティサイクルは成り立たない。
 費用の多くは人件費である。ポートの受付維持管理、需要の多いポートへの自転車回送の費用である。ポートの受付を全自動ICカードという手もあるがイニシャル軽費がかかるし、慣れない人の不規則利用、事故対処の要因も必要となる。電動自転車の充電を考えると、現行車両では無人は難しい。
 神戸でも、第2回まち・ちゃりシャトルの実験をこの秋行う。実験のための実験にしないため、事後の持続展開を考えたが、行政の永続補助は難しい。
 幸い、神戸市では国の大きな補助事業になっていないので(悔しいが)、自立的な手を考えねばならない。そこで、2つの努力模索を提案した。

1)都心の不便・周辺部のホテル・博物館・アートセンタや、将来、一定地域としてコミュニティサイクルが導入しやすい(車道余地が多く、自転車走行空間の可能性が大きい)地区を、この実験のサポーターにし、見てもらう。体験してもらう。住民、お客さんに紹介してもらう。
2)総合交通体系、包括まちづくりのなかに、自転車を考慮し、放置自転車対策⇒シルバー人材センター(退職者雇用)といった、後ろ向きの対処枠組から脱せねがならない。自転車を、環境負荷の少ないまちの魅力・クルマに頼らない美しい都心のシンボルにしていくために、役所の部局を越えた連携をせなければならない。
 昨日の会議では、事業委託のJTB、神戸市役所の各部局の皆さんの相互理解を見る限り、上記の課題にチャレンジしてもらえるように思われる。補助金がないときこそ、知恵を出さねば、地域資源を洗い出し、支えあわねば。
乞、ご期待! 

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2011年8月10日 (水)

今、問う。生活学とは何か~東日本大震災を前にして~

個人的な思いで恐縮ですが、3・11以降、神戸の震災をきっかけに、都市・生活を考えてきたつもりの私には、心にわだかまりが常に残る。
もっと原子力について考えておくべきではなかったか。
もっと津波防災のことを考えておくべきではなかったか。
真剣に地域生活を考えてきただろうか。自分の小さな体験の延長に、姑息な政策を考え、もっともらしい教育研究をして、いかにも生活実態からと嘘をついてきたのではないか。
そんな思いにさいなまれている。そして、未だに東北に行けない。
「神戸の体験を伝える」などと、ボランティア、調査に出かける気になれない。ただただ、唖然として半年を経過しようとしている。
日本の大転換点におけるこの煩悶は、津波で生き残った被災者だけではなく、原発を受け入れ「平和の原子力で明るい町」を推進してきた福島県の避難者だけではなく、ひょっとすると多くの日本に住む者が共通に持っているsurvival guilty かもしれない。
節電意識も大きく変わった(関西は5%)。前年比17%もの節電が達成できたという。今まで、やろう⇔できない、お願いします⇔無理、だった。これまでの省エネ活動はいったい何だったのか。ローソンが一気にIED直管球に変えたのには驚いた。3・11前は、誰も本気で生活を変えず、決断せず、エコ川柳でも作って、誤魔化してきたのではないか。
  戦後50年、バブル崩壊、高齢化社会の入り口の阪神大震災は、人々にふれあいの大切さを伝えたと思う。GDPが中国に追い抜かれ、リチウム電池生産でサンヨーがサムソンに追い抜かれた、人口減がジワッと始まった2011年の東日本大震災は、残された資源のわかちあい、相互のささえあいを啓示しているのかもしれない。
生活学も、時代の変化のなかで再構築をしなければと言いつつ、本当に生活を見つめてきたか。個別の建築学、モノ・ファッション分析、栄養学を突破してきたか。ポストモダンを追求し、エンジニアリングを乗り越えたか。
この大きな喪失感の前で、役割を果たせず、または形ばかりの特別調査なるものを覗き見た大学・土木系学会関係者の一人としては、すべての近代知:エンジニアリングの無力さ=survival guiltyを感じるのは私だけであろうか。
この期に及んで、再度、生活学とは何か、問いたい。必ずしも震災の個別事象にふれる必要はないが、震災は通奏低音として、ときに主旋律として立ち現れるであろう。
 今、この世界・社会・生活を我々はどう捉えるのか、大先輩:進士五十八さん(元都市計画学会・生活学会会長、前東京農業大学学長)・小川信子さん(元生活学会会長、国際女性建築家会議日本支部会長)をお迎えし、若い学生さんと、そして被災地の暮らしを見つめてきたジャーナリストに、お話しを伺いたいと思っています。(交渉中)
 ■日時 2011年10月8日13:30開始
 ■於:早稲田大学理工学部
ぜひとも、ご参集ください。

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2011年8月 8日 (月)

ブリコラージュ:状況、体力、能力をかき集め、何とかする力

フランスの文化人類学者・クロード・レヴィ=ストロースは、著書 『野生の思考』(1962年)などで、世界各地に見られる、端切れや余り物を使って、その本来の用途とは関係なく、当面の必要性に役立つ道具を作ることを紹介し、「ブリコラージュ」と呼んだ。彼は人類が古くから持っていた知のあり方、「野生の思考」をブリコラージュによるものづくりに例え、これを近代以降のエンジニアリングの思考、「栽培された思考」と対比させ、ブリコラージュを近代社会にも適用されている普遍的な知のあり方と考えた。⇒ジャック・デリダによれば、純粋のエンジニアリングなどない。ブリコラージュを仮想的に積み重ねたエンジニアリング、逆に仮説エンジニアリングの応用としてのブリコラージュが現実である。
 エンジニアリングのみを真実と信じ現場に人に学ばないから、人の気の知れない、アホーな需要予測、意味不明の補助金政策となる。

奇妙な授業がある。小グループに別れお遍路に行く。無計画で、各々食事、暗くなるまで歩かなければならなくなる者もいう。山岳修行の路をとるものもいれば、体力の限界で、バス鉄道を利用し、何とか誤魔化しながらついて来る者もいる。大集団になって歩くこともある。
 それらの経験を小さな宿で語り合い、定員10人の宿に27人が押しかけ、ブリコラージュで速攻風呂、協力朝食で何とかやりすごした。
 9月に発表会があり、これに出席するだけで、2単位。
 ところが、学生が集まりたい、このつながりを再確認したいと言い出したので、授業最終日(キャンパス連絡バスが走る最終日)の本日、集まるとだけ言っていた。都合で、夕方の16:30-19:30に適当に来いと言ったら、ほとんど全員が来るようだ。これと言って、することは無い。お菓子と飲み物でも用意して、近況を語り合う、私の石鎚山経験を話す程度。

大学は学生に何を与えられるか。本当はエンジニアリングの知識ではなくて、その裏にある無数のブリコラージュの機会かもしれない。お遍路授業は、その塊なのかもしれない。
 単なる集まりだが、一応授業である。今日の授業をどうやりすごそうか?私のmorikuriやり繰り器用仕事:ブリコラージュが求められている。

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2011年8月 5日 (金)

ひたちなか海浜鉄道は震災で町の風景になった

震災で被災し、このたび復旧した茨城県のひたちなか海浜鉄道をお見舞いに行った。
 行政補助も、自己資金のめどもないまま、ひたちなか市役所融資と緊急支援で、4月6日から復旧工事にかかった。
 茨城交通湊線存廃の3年前は、どうしても残して欲しい太平洋に突き出た旧那珂湊市(4万人)と、日立の企業城下町でJR線にある旧勝田市(人口11万人)では、鉄道存続に温度差があった。ただ、地元住民のおらが湊鉄道応援団の活動などもあり、第三セクターでの存続が決まり、吉田社長が公募で招かれた。
 ところが、この3年間のさまざまなイベント、グッズ販売、CM撮影ロケ提供、通学定期大幅割引、まちかど博物館、おさかな市場、大洗水族館との連携など矢継ぎ早の努力により、全国の鉄道ファンが注目し、マスコミを賑わした。海浜鉄道は、なかみなと市(勝田+那珂湊)にとっては、まちの基幹・風景になってしまった。そのこともあり、今回の市役所の素早い動きに、誰も異論がなかった。
 もし、赤字続きの鉄道に県がだらだらと補助を続けていたら、この時点で復旧はできなかったであろう。
 本当に、ひたちなか海浜鉄道は必要なのか?別にバスでも良いはずである。しかし、この3年間で、ひたちなかの市民は、鉄道がひたちなかの町の風景として必要で、まちなかを多様な人々が巡る姿を鉄道で実感し、鉄道がある町の豊かさを自覚したのかもしれない。
 結果的に、災害はひたちなか市民に、鉄道の意味を問うことになった。
答えはYES!Img_0777

鉄道やバス路線を、残すことだけを考え補助するのは間違いである。なぜ、三木鉄道は廃止になったか?考えよ。
 鉄道やバス路線を活かして、どんなまちづくりをするのか、そのことが明確化されていなければ、もしくは鉄道を活かしたまちづくりのプロをスカウトして社長にせねば、補助だけでは残らない。
 神戸電鉄粟生線の赤字を沿線自治体がみてくれないと廃止したいと神戸電鉄が言い出した。国も支援しないと決めた。
 それで良いではないか。まちづくりの未来をみつめて、必要ないと市民が判断するなら、廃止すれば良い。廃止して、価値の低い近郊都市になることを、みんなが望むなら、それもあり。影の薄い鉄道の無い街、神戸の裏側で良いと市民が決めれば、それで良いではないか。しかし、本当に議論したのか。行政の役割が問われている。
 まちのビジョンも決めず、上下分離しても、誰も乗らない。神鉄の延命にはなるが、地域の価値をあげることにはならない。ひとたび事故がおきれば廃止。いまや、理念のない投資を、市民が許してくれる時代ではない。
 いっそ上下分離して、茨城県にならい、社長を公募してはどうか。

※ 通常、国25%、県25%、市25%で、事業者自己資金25%=7500万円が出せるかというと、この3年間、大赤字の茨城交通湊線を県が支え、公募で採用された吉田社長のアイデアもあり、さまざまなイベント、グッズ販売、CM撮影ロケ提供、通学定期大幅割引、まちかど博物館、おさかな市場、大洗水族館との連携などにより、「蓄え」がないこともなかったが、それを出しきってしまうと、今後、運営リスクが残る。

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2011年8月 4日 (木)

公共交通活性化の人材養成研修

地域交通は、誰もが安心して暮らせる社会基盤である。従来は、交通事業者に任せておけば良かったが、今は、どんどん廃止。地方では、90%以上の移動がクルマ。
 クルマに乗れない子ども、中高生、高齢者、障害者が困り、通勤渋滞や送り迎え渋滞でCO2排出、郊外店舗が増えて商店街衰退・まちの顔が消えつつある。

少子高齢化のなか、乗り合わせる公共交通を整備するというのは難しい。しかし、福祉、教育、環境、道路、商業といった個別政策ではなく、総合的まちづくりが必要だ。福祉・教育・環境・道路・商業は、個別の臓器。この整備も大切だが、人の移動=交通は血管のようなもの。このマネージメント能力、いわば血液検査能力、免疫抗体能力向上が必要で、それら全体をマネージメントできる人材が必要。

率先した人材を交通マイスターとして認定し、その5人のマイスターと一緒に、人材養成の合宿をやってきた。
 大変だが、個別の知識を詰め込むのではなく、自治体職員どおしが、「政治的判断(圧力)によるバス路線をどうする」「要求型住民をどう変える」「庁内理解をどうすすめる」など悩みを語り合い、マイスターの助言を得て、交通を活かした総合まちづくりのプランニングの訓練を行った。

こういう地道な人づくりこそ大切で、その上での公共交通を活かした総合まちづくりの法整備がなされるものと思っている。国では、新たに交通計画課に加え、交通支援課を立ち上げている。

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2011年8月 2日 (火)

【授業連絡】+第0回観光適塾

『大阪あそ歩』3周年企画公開セミナー
第0回観光適塾 コミュニティ・ツーリズムの可能性を探る
今後の都市観光の主軸になる市民主導のコミュニティ・ツーリズムの可能性を、観光に携わる直接関係者の目と、研究者・学生の目を通して、探ります。
 なお、本セミナーは大阪大学大学院共通科目の観光関係者限定公開を含んでいます。
□主催 大阪コミュニティツーリズム推進連絡協議会
□共催 大阪大学コミュニケーションデザイン・センター(CSCD)
□会場 大阪大学中之島センター
□開催日 9月28日(水)・29日(木)
□参加費  無料(会場に定員があるため、事前申し込みが必要)
□参加申し込み(定員になり次第締め切ります。定員100名)
・受講生 ツーリズム関連受講生両日、お遍路関連受講生29日必修。研究室・就職等都合で参加できないものは森栗・茶谷両教授メール
・観光・自治体関係者および一般 「大阪あそ歩事務局」info-osaka-asobo[アットマーク]octb.jp へメールで
9月28日(水) 大阪大学中之島センター 受付12:00より
13:00 主催者挨拶(趣旨説明)
13:10 特別講義①大阪大学CSCD教授/日本生活学会副会長 森栗茂一
  『都市とは何か、都市を巡るとは・・・都市民俗学の視点』
13:50 大阪大学大学院共通科目「都市ツーリズム論」成果報告
「学生の見た大阪ツーリズム」発表① ② ③ ④
15:00 特別講義②大阪コミュニティツーリズム推進連絡協議会チーフプロデューサー
             大阪大学CSCD招聘教授 茶谷幸治
            『大阪あそ歩3年でできたこと、できなかったこと』
15:40 シンポジウム「都市大阪とツーリズム」   司会:茶谷幸治
         パネラー(森栗茂一、大阪市代表、学生代表、ガイド代表)
(16:50終了)
         終了後懇親会を予定しています(参加費用実費)
9月29日(木) 大阪大学中之島センター 集合受付9:30
  10:00 森栗・茶谷コンビがガイドする特別まち歩き「見よ、この大阪の融合文化を」
阪大中之島センター発⇒福沢諭吉生誕地⇒蛸の松顕彰碑⇒日本基督教団大阪教会⇒頼山陽生誕地⇒肥後橋⇒住友ビル⇒松瀬青々生誕地⇒手形交換所発祥の地⇒帝国座跡⇒大阪倶楽部⇒懐徳堂跡⇒淀屋橋⇒中之島公会堂
  11:30 食事(中之島中央公会堂)
  12:10 ⇒愛珠幼稚園・銅座跡⇒適塾(25人×2班)
  13:10 京阪中之島線(または徒歩)で自由移動・自由交流⇒中之島センター
  14:00 中之島センター 再集合
大阪大学大学院共通科目「交流ツーリズム論」成果報告
         お遍路ツーリズムの意味① ②
コメント 森栗茂一「もうひとつのコミュニティ・ツーリズム」
  15:00 参加者意見交換
  15:30 ダイアログ・トーク 茶谷×森栗
『都市をとり戻す・・・まち歩き観光の文明史的意味』
  16:10 観光適塾開講 宣言
  16:20 主催者挨拶 
  16:30 終了
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ツーリズム・お遍路関連授業 受講生の皆さま
 さて、かねてご案内のように以下の日程で授業を行います。
10月1日は、就職内定式が予定されており、9月28・29日に変更しました。
どうかご参加ください。
※難しい場合は、それなりご対応ください。
 評価は、個々に判断し、遍路期間における自己の変化・得たもの、出席と発表をもとに自己評価ください。
 得るものがあり、必要出席日をほぼ出席しておればSの自己申告を。1~2日ほどの欠席があればAを。申し訳ないと思うならB、またはDを自己申告。
 研究室や留学の都合で参加しづらい人のために、OPを秋に催します。宿題、それらも含めて自己評価ください。
基準・・・ツーリズムメディエート論2単位は、4/30、5/8、6/5、6/12、9/28、29さらにOPも含め、6日以上あればS。opは現在、1回以上は考えていますが、未定です。 
 都市ツーリズム論4単位は、茶谷先生の指導を受けた日数4回?+4月28日・5月8日+9/28、9/29さらにopも加え、8日以上あればS。
 お遍路授業も同様。交流ツーリズムで言えば、事前説明会+8/8+当日3日+9/29
で、6日ならSと自己申告する。 
※自己評価をそのまま成績とはしません。個々の判断を一般化し、教授者の視点・チェックを加味して判断します。
◆自己採点成績申請期限 OPを経た12月末

今後の予定
■8月8日(月)16:30-19:30(随時可能な範囲で) お遍路関連授業連絡交流会
 於:豊中スチューデントコモン(CSCDの建物、玄関に教室を当日掲示)
■9月28日、29日「第0回観光適塾 コミュニティ・ツーリズムの可能性を探る(中之島センター)」内の発表会
に参加する。29日は、必修。28日は関心があれば・・・。
■ご要望があれば、秋の神戸の電動自転車実験で、神戸めぐり など
※一応、KOANの連絡先にメールしているが、アドレスを変えた人もいる。連絡をとりあってください。個別メールと内容の異同が予想されるが、ブログが公式見解です。

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