大阪の津波・南海地震
大阪の津波・南海地震を調べてまとめてみた。年
南海地震名
大きさ
東海連動
先行地震
事象(太字は大阪関連) 684年11月29日
白鳳地震
M8.25
連動
887年8月26日
仁和地震
M8.0-8.5
連動
摂津津波 1099年(承徳3)2月22日
康和地震
M8.2
1096年8月26日永長地震(東海・東南海)連動 M8.0-8.5
1361年8月3日
正平地震
M8.4
連動
引き潮+巨大津波、天王寺安居まで浸水※ 1498年7月9日
明応南海津波
大(M不明)
?(応仁の乱ゆえ)明応東海地震は1498年9月20日
浜名湖の海水化 1605年2月3日
慶長地震
M8.0
連動
1596年慶長伏見桃山地震
突如、南海トラフ動く 1707年(宝永4)10月4日
宝永地震
大M8.6
連動
1662年(寛文2)6 月16 日寛文近江・若狭地震
千石船遡行。西船場、堂島、一部北船場南船場・心斎橋、東横堀川まで。上町の寺町は避難所 1854年(安政元)11月5日
安政南海地震
中M8.4
32時間後連動
1854年の伊賀地震と1830年の文政京都地震
※※木津など新田浸水。船急遡行、橋激突 1946年
昭和南海地震
小M8.0
1944年12月7日 昭和東南海地震:M7.9
水位80cm上昇、漁船7隻小被害 2030~2040年
南海地震津波
M8.7
連動
1995年阪神大震災、2011東日本大震災
※ 難波浦では津波襲来の約1時間前に数百町(数10km)潮が引き、干上がった海底の魚を拾い集めようとした漁師ら数百人が突如襲来した津波により溺死。津波は宝永地震よりもさらに1km程内陸に及び、海岸から約4kmの距離にあった天王寺付近まで達したという[太平記]
※※大正橋「大地震両川口津浪記」
嘉永七年(一八五四年)六月十四日午前零時ごろに大きな地震
同年十一月四日午前八時ごろ、大地震が発生
翌日の五日午後四時ごろ、再び大地震が起こり、家々は崩れ落ち、火災が発生
日暮れごろ、雷のような音とともに一斉に津波が押し寄せてきた
・五日申の刻大地震、家くずれ出火もあり。前日の安政東海地震の揺れから引き続いて「老少多く小船に乗」っていた。それから約2時間たって日暮れごろ、津波が堀に進入してきた。「山のごとき大波」は多数の大小船のとも綱を切り一気に川上に運び上げ、船は道頓堀にかかる橋に次々衝突して橋を落とし、船は橋の手前で転覆し、避難している人を投げ出した。そうして、あとからあとから押す寄せる大小の船はその上に折り重なっていった。こうして大阪全体では津波に巻き込まれて341人もの死者を生じた
・いまから百四十八年前、宝永四年(1707)十月四日の大地震の時も船に避難した人が大勢津波によって溺死したということである。いま、同じ場所でおおぜいの死者を出した。痛ましいことである
・津波の勢いは、普通の高潮とは違う
この石碑の文が将来にわたっていつも読みやすくするために、この近くに住んでいる人は毎年墨を入れ直しなさい
⇒784艘の船が各所に乗り上げ、ほかに破船89艘があり、川中の小船等の数はわからないということです。道頓堀大黒橋には1500石以上の大船が押し寄せた。
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