【授業報告と宿題】+「新神戸⇔三宮」論議
28-30日、筑波大学で開催された土木学会計画学委員会に参加、「土木計画と宗教」を発表させてもらった。自転車実証実験の報告発表が30以上あり勉強させてもらった。
始発で大学に戻り、興奮冷めやらぬまま授業をした。
バリアフリーを越えて、街頭による地図情報提示とターミナル交通ポータルサイト「のりばインフォ三宮」、さらにはその限界からプロバイダー4社(駅すぱーと、ナビタイム、ジョルダン、駅探)へのバス情報提示手法「関西バス情報見える化会議」(近畿運輸局)ならびに四国、広島等でのバス情報提供の取組み(例えば、高知県で室戸岬から足摺岬を検索せよ。見事にバスが出てくる)を、私の「えらい目にあわされた」体験漫談で紹介した。今後は、その情報が携帯やスマートフォン・iフォンを含めたwifi通信で提供される「どこでもいつでも移動支援案内」=ユビキタスを話した。
宿題は、配布した西田純二「ユビキタス技術による‘まち歩き’支援システム」を読んでくること。次回、議論し、その上で自由移動手段としての自転車について話題提供する。
ところで、利用者利便を第一義に考えるべきで交通事業者の都合、権益だけじゃいけない問題を事例として提示した。新幹線で新神戸駅に着いても「JR市内発駅乗車券」は使いにくい。JR在来線接続がない。地下鉄200円を支払い隣の三宮に行かないとJR在来線につながらない。料金抵抗と、乗換え回数抵抗、さらには新幹線新神戸駅と地下鉄新神戸駅はかなり遠い移動距離抵抗がある。交通局事業者の採算論理と、JRの論理だけではなく、利用者利便を考えて工夫せよというのが私の意図である。
ところが、経済学専攻の学生から、企業は利益を最大化させるのがミッションなのだから、200円料金の市内発駅内在化により利用者利益を最大化し、企業利益を遺失しするのは悪であるとの意見が出された。
確かに、ミルトン・フリードマン主導するシカゴ学派のNeo Liberalismにたてば、そうかもしれないが、その結果、社会的共通資本が遺失している現況(宇沢弘文『社会的共通資本』(岩波書店[岩波新書], 2000年) を考えれば、この学生の意見はいささかバランスが欠けているかもしれない※。
このとき、経済学専攻の別の学生が「企業と消費者の相互に信頼がないことが課題」ではないか(と私は受け取った)という指摘がなされた。モンスターカスターマーを前にして、企業は個別利益を優先するし、個別利益を優先する事業者を信頼しない消費者は、地下鉄三宮ー新神戸間という社会資本を忌避し、クルマで新神戸駅に集まるのではないか。もしくは、新幹線アクセスの悪い神戸市を避ける要因になっているのではないか。=公共利益の遺失
これを解決するには、交通局とJRと観光事業者、行政が一緒になって、この課題解決の社会実験を行い、そのことを通じて相互理解を深めていくことではないか。
この学生の指摘はとても重要な指摘・議論だと思う。私は、これからの社会資本の整備、成長産業の育成については、信頼に基づく社会をいかにつくるかが課題だと思っている。自転車や地下鉄市内乗車券化も含め、相互信頼を醸成する協働による社会実験こそ、地域相互信頼性を構築する武器なのではなかろうか。
※ここでは、世界企業はすべてCSRを戦略としており、禿鷹資本主義のフリードマンを「時代遅れ」とする学生もいたが、こうしたせっかちな評価は非建設的で非教育的であり、避けた。ただ、宇沢は、『自動車の社会的費用』(岩波書店[岩波新書]1974年)でも、利便率最高の自動車の社会的課題を早くから明示している)⇒次回の宿題
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